末尾が「110」の見知らぬ番号から電話が…82歳認知症の母が3度目の失踪をした話

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厚生労働省の介護事業状況報告(暫定)によると、令和6年1月末の時点で要支援・要介護認定を受けた人の数は706.7万人で、うち男性が225.4万人、女性が481.2万人となっている。うち65歳以上の認定者は約19.3%だ。ちなみに2年前、令和4年の1月は689万7195人。10年前の平成24年1月の時点では525万404人。年々増加していることがわかる。介護の問題は明らかに国民的な問題だ。

しかし、家族が介護を必要となった時、いつ、どのタイミングで誰に頼ったらいいのかはなかなか難しい。認知症で身体的には元気な場合などはなおさらだ。

ライターの長谷川あやさんは、自身の購入したマンションに両親が引っ越してきたあとの2017年8月1日に父親が脳梗塞で倒れ、要介護5〜4と認定され1年以上介護の必要な状況となった。その後父親は天国に旅立ったが、そのあとに母親の「変化」を感じ始めた。認知症である。

現在長谷川さんの母親は要介護2に認定され、デイサービスとショートステイを利用している。要介護認定が同じでも症状には幅がある認知症。日に日に変化が大きくなっているのを感じていたある日、見知らぬ番号から1本の電話がきたのだという。

頭ではわかっているのに、今日も怒ってしまった

日に日に母が嫌いになっていく。そして、病気だから仕方ないとわかっているのに、毎日、いら立っている自分のことも嫌で仕方ない。介護の後、親を亡くした友人らの多くは、「介護なんて永遠に続くものじゃない。もっとやさしく接してあげればよかったと後悔している」と言う。本当にそうだと思う。今、死なれたら、私は間違いなく後悔する。頭ではわかっているのだ。でも、今日も怒ってしまった。ホルモンバランスでも整えるかと、「命の母」を飲んでみるが、あまり効き目は感じられない(笑)。

82歳。要介護2。母は、日を追うごとに、いろいろなことができなくなっている。もう電子レンジが使えないので、冷蔵庫に入れてあるお弁当やパンは冷たいまま食べる。

時々、失敗はするももの、まだトイレには自分で行ける。ただ、トイレのスリッパを履いたまま部屋に戻ってくる確率は少しずつ、しかし、確実に上がっていき、今や8割を超えた。何度言ってもわからない。もはやトイレにスリッパを置かない作戦に切り替えることにした。ショーツ型の紙おむつ(リハビリパンツ、通称「リハパン」というらしいです。初めて知りました)ももはやひとりでは履けない。そのまま履けばいい状態で手渡しても勝手にこねくりまわして、違う穴から足を通し、「履きづらいわねえ」と言っている。

そのまま履いてろと思わず舌打ちするが、尿や便が漏れて片付けをするのは私だ。履き替えさせるしかない。昨日は、デイサービス(通所介護)から帰ってきて、なんの迷いもなく、靴のまま部屋に上がった。そのデイにはもう2年近くお世話になっているが、お迎えのクルマに乗る時は、毎回、「どこに行くの?」「あやちゃん(私)は行かないの?」と不安そうだ。父が死んだことは、もう何度伝えただろうか。残念ながら、この数ヵ月、会話もかみ合わなくないことが多くなってきた。

同じような状況の人のポストに共感しかない

書き連ねてみると、ひとつひとつは些細なことかもしれない。それでも多くの時間が割かれる。イライラもする。何より、母がかわいそうだ。もはや楽しいことなんて何もないように思える。家ではほぼ寝ている。立つのは冷蔵庫をあさる時とトイレに行く時くらいだ。大好きだったテレビも見なくなった(つけておいても見ていない)。少なくとも私は、この状態なら生きていたくないと感じてしまう。でも、そろそろ死も理解できなくなって、怖くなくなるのかな、それはそれで幸せなことかもしれないとも思ってみたりする。

X(旧Twitter)のおすすめで表示される、私と同じような状況の人のつぶやきには共感しかない。プラごみの中に燃えるゴミを入れるとか、着ていたものをタンスに片づけるとか、冷蔵庫に謎のもの(雑巾やサランラップ、鍵、受話器など)が入っている、デイでランチを食べたはずなのに「何も食べさせてもらえなかった。お腹がすいた」と訴えるとか、そういった取るに足らないように思えることの繰り返しで、疲弊している人は少なくない。とてもよくわかる。というか、Xのアルゴリズムの的確さよ!

この2月には、また警察のお世話になった。その日は母がショートステイから帰ってくる日だった。デイもショートもスタッフの方が部屋まで送ってくれる。で、私がいなくても(その日まではいないほうが多かった)、母は帰宅後、冷蔵庫から食べ物を取り出して食べ、着替えもせず寝ている、というのが、ここ2年ほどのパターンだった。去年の5月にデイから失踪したが、家から自分ひとりで出て行ったことは一度もない。すっかり安心しきっていた。が、この日は出て行ってしまったのだ!

「末尾が110」の知らない番号から電話が…

ショートのスタッフが母を自宅に送ってくれたのは17時前後。私は出先にいて、その後、18時くらいから友人と飲んでいた。すると、18時51分、知らない番号から着信が入る。が、03から始まる10桁の番号で、末尾は「0110」! これって、警察ってことだよね?

友人に「ちょっとごめん」と言って慌てて出る。電話の相手は予想通り警察で、迷子になっていた母と思しき人を保護しているという。母は住所も私の携帯番号も言うことができない。かろうじて自分の名前を言い、その名前から私の連絡先を導き出したのだ。以前、警察にお世話になった際のデータが残っていたのだという。そんな状況を説明してくれた後、電話の相手はこう言った。

「お母さまの可能性はありますか?」

ある、ある、ありまくりだ。時間的にも母が保護されたという駅的にも、120パーセント、母で間違いないだろう。ちなみに母は自宅の最寄りの駅から7、8駅離れた駅で保護されたそうだ。お金は持っていないはずなのに、どうやって乗ったのだろうか。今、調べてみたが、距離にして8キロほどある。歩いたとは思えない。

生中いただきましたーっ!

いいタイミングで、私の後ろで「生中いただきましたーっ!」という店員の声が響いた。「娘、お酒飲んでまーす!」という状況は、警察官に確実に伝わったはずだ。恥ずかしいが、仕方ない。

迎えに行った私の顔を見て、母は「あら、あやちゃん」と笑った。そして、案の定、何も覚えていなかった。

それにしても家族(私)は母が徘徊していることにも気づかず、呑気に飲んでいたというのに、保護し、名前を聞き出し、データから私の連絡先を調べて電話をくれた、日本の警察の優秀なことよ! 本当にありがたい。そして、ご迷惑をおかけして申し訳ないです。

帰路、母が、「お腹空いた。カレーが食べたい」とのたまっている横で、私は、もう一人で家に置いておくこともままならないのかと絶望した。

「介護施設に入れればいい」と言われるけれど

親戚や友人からは、「介護施設に入れればいいじゃないか」と言われる。すでに半年以上前に、デイサービスの連絡帳に「そろそろ考えたほうがいい時期かもしれません」と書かれていた。最近の連絡帳からも母を持て余していることが目に取れる。“その時”は確実に来ている。それなのになぜ入れないのか。正直、母を介護施設に入れることに私はなんの罪悪感もない。あるのは病気になる前の、母との思い出だ。大好きだった頃の母にはもう二度と会えないことは重々わかっているが、別々に住むことでよりそれが現実になることが、まだ少し怖かったりする。

そんな乙女チックな感傷が1割ばかり、あとは金銭的な問題だ。要介護度を3にあげて、特別養護老人ホーム(通称「特養」。例外はあるが、基本的には要介護3以上の認定を受けている人が対象。介護保険によって低価格でサービスを受けることができるが多くの人が順番待ちしている)を狙ってみようと思ってはいる。しかし区分変更の申請書は入手したものの、まだ区役所に提出できずにいる。

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