アイルトン・セナを愛したF1カメラマン・熱田護のベストショット6選「どんどん彼の魅力にひかれていった」
アイルトン・セナ没後30年 特別企画
F1フォトグラファー・熱田護 インタビュー後編
1994年5月1日、F1レーサーのアイルトン・セナはレース中の事故により34歳でこの世を去った。没後30年の節目に、セナのメモリアル写真集『Ayrton』(5月31日発売)を上梓するF1フォトグラファーの熱田護氏にインタビュー。後編では、セナを愛した熱田氏が撮影したベストショット6枚を選んでもらった。
アイルトン・セナの思い出を語ったF1フォトグラファーの熱田護氏
熱田護 僕がアイルトン・セナに初めて興味を持ったのは、アリゾナ州フェニックスの市街地コースで開催された1991年のアメリカGP。ポールから一度もトップを譲らずフィニッシュしたセナは、マクラーレンのロン・デニス代表と抱き合って大喜びしていました。
1991年/第1戦アメリカG
世界チャンピオンを経験したドライバーが1勝したくらいでそんなに喜んでいるのはなぜか? それでセナに興味を持ち始め、どんどん彼の魅力にひかれていきました。
【1992年/第6戦モナコGP】ウイリアムズのナイジェル・マンセルと伝説の名勝負を演じた1992年のモナコGP。コースの上にかかっていた橋の上から、セナのドライブするマクラーレン・ホンダを撮影しました。
1992年/第6戦モナコGP
1990年代に入るまでF1はパワーステアリングがなく、ギアもHパターンのマニュアルで肉体的には大変だったと思います。とくにシフトチェンジの多いモナコは腕と集中力が試される"ドライバーズコース"でしたが、セナは圧倒的な強さを見せ、通算6勝を記録しています。
【1993年/第1戦南アフリカGP】最後の"セナ・プロ対決"が実現した1993年、南アフリカのキャラミ・サーキットで開催された開幕戦。予選はウイリアムズのアラン・プロストでポールポジションを獲得し、2位がセナ、3位がベネトンのミハエル・シューマッハという順位となり、決勝も3人がトップを争う展開となりました。
1993年/第1戦南アフリカGP
スタートを決めたセナは、プロストを数周に渡って抑えますが、終わってみればプロストが完勝します。この年のマクラーレン・フォードは非力でしたが、セナは毎戦限界ギリギリの走りを見せてくれ、撮っていても楽しかったです。
【1993年/第3戦ヨーロッパGP】イギリスで開催されたヨーロッパGP。雨となったドニントン・パークでの一戦は、セナのベストレースのひとつに数えられています。
1993年/第3戦ヨーロッパGP
予選ではプロストに1.5秒以上の大差をつけられて4番手に終わりますが、雨の決勝では驚異的な速さを見せつけ、2位のデイモン・ヒルに1分以上、3位のプロストを周回遅れにして優勝します。
1993年のセナは雨がらみや、ウイリアムズがミスをした時には何が何でも勝ってやるという、情念のようなものが見えました。
【1994年/第2戦パシフィックGP】岡山県のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で開催されたパシフィックGP。当時の日本においてセナは大スターで、多くのファンがセナの優勝を期待してサーキットに集まっていましたが、1コーナーでクラッシュに巻き込まれてリタイア。
1994年/第2戦パシフィックGP
セナだけでなく、日本のファンもガッカリしていました。セナは次のサンマリノGPで命を落としますが、僕はセナとシューマッハのタイトル争いが見られなかったのも非常に残念です。
2021年のルイス・ハミルトンとマックス・フェルスタッペンのような勝負が、ひょっとしたら1994年にも実現されたのではないかと時々思ってしまいます。
【イモラ・サーキットのセナの銅像】1994年5月1日、サンマリノGPの決勝7周目、首位を走行するセナのマシンは突如としてコントロールを失い、タンブレロ・コーナーのコンクリートウォールに激突。帰らぬ人となりました。
イモラ・サーキットのセナの銅像
クラッシュの原因はステアリングの故障とみられています。セナが亡くなったイモラ・サーキットの高速コーナー、タンブレロの近くに設置されている銅像。今でも多くのF1関係者やファンが訪れています。
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【プロフィール】
熱田 護 あつた・まもる
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。5月31日にアイルトン・セナのメモリアル写真集『Ayrton』(インプレス/36,000円)を発売予定。専用ケース入りの大型写真集で999部の限定販売。