「キーが打てない」30代男性を襲った"まさかの病"
ゆ、指が……(写真:C-geo/PIXTA)
フリー編集者の男性(30代)は、ある日、手の指がしびれ、曲がらなくなった。
「このままでは、仕事に支障が出てしまう(やばい……)」と、慌ててクリニックを受診したものの、正しい診断にはいたらなかった。だが、その後に判明した“意外な病気”とは――。
男性の名前を杉山孝明さん(仮名)としよう。それは2023年4月のことだった。
雑誌やウェブサイトの編集をしている杉山さんは、その日、自宅兼オフィスで、朝からパソコンに向かって作業をしていた。ところがいつもと違い、キーボードを打つたびに違和感があった。
右手の小指と薬指に問題アリ
「滑らかにキーボードを打てないのです」(杉山さん)
どこがおかしいのか、手指を動かしてみると、右手の小指と薬指に問題があるとわかった。ごく軽いびりびり感としびれがあり、動かしにくくなっていたのだ。
締めきりがヤマ場を迎えており、数日前からは、毎日、明け方近くまでパソコンを使う生活だった。「指を酷使したためだろう」と考えた杉山さんは、この日は早々にパソコン作業をストップ。
ところが翌日になっても、症状はよくならない。「むしろ、昨日より指が動きにくくなっている感じがしました」(杉山さん)と言う。
「このまま症状が続いて、キーボードが打てなくなるのはヤバい」と焦り、ネットで何の病気が疑われるかを調べてみた。「手指のしびれ」「パソコンが打てない」などと検索すると、「尺骨(しゃっこつ)神経マヒ」という整形外科の病気がヒットした。
この症状は「尺骨神経マヒ」だ!
尺骨神経マヒとは、手指を開いたり、閉じたりする運動に関係する尺骨神経が、骨の変形やケガなどによりダメージを受けることで起こる病気だ。指のつけ根が曲がりにくいところなど、症状にぴったり当てはまった。
「手や腕の使いすぎも原因になる」とも書かれており、杉山さんは、「たぶん、これの気がする、自分はデスクワークだし!」と確信したという。
すぐに近くの整形外科クリニックを受診したところ、予想通りの診断結果が告げられた。「このときは、ネットで調べたとはいえ、『病名を当てちゃうなんて、すごいぞ、俺!』と思いましたね(笑)」と杉山さん。
ちなみに件の整形外科医は、レントゲンの写真をじーっと見ながら、
「肘付近の神経(尺骨神経)が通る管が狭い。あなたのような人は、尺骨神経マヒを発症しやすいんですよ。以後、注意するといいでしょう」
と指摘したという。
杉山さんは神経の痛みを改善する内服薬を処方してもらい、クリニックを後にした。
しかし、薬を飲んで3日ほど経っても、症状はよくならない。それどころかしびれは増し、指は曲がりにくくなっているようにさえ感じた。
いよいよキーボードがまともに打てなくなり、「あの医者の診断は本当に合っていたのかな?」と、不安でたまらなくなってきた頃、ある変化が体に起こった。
「問題の指側、つまり右側の二の腕あたりに、『ブツブツ』と、ほんのり赤いふくらみができ始めたのです」(杉山さん)
「これは尺骨神経マヒではない!」
そう確信した杉山さんだったが、さて、どの診療科を受診すればいいかわからない。迷った末、皮膚に症状が出ていることから、皮膚科に行ってみることにした。
結果、皮膚科医は腕のブツブツを見るなり、「あっ、これ帯状疱疹ですね」。まさかの病名を告げられた杉山さんは、「えぇーっ?」と心の中で叫んだという。
そう、手指のしびれや動かしにくさの原因は、尺骨神経マヒなどではなく、帯状疱疹の初期症状だったのだ。杉山さんは帯状疱疹について、ある程度、知っていたつもりだったが、自身の症状がその病気とはつゆほども疑わなかったという。
「帯状疱疹は『高齢者の病気』という思い込みもありました」(杉山さん)
幸いにも、早期に皮膚科を受診したことは大正解だった。帯状疱疹の治療薬である抗ウイルス薬を服用すると、腕のブツブツはまもなく消え、手指の症状も2週間後には完全になくなった。
杉山さんは自戒の念を込めて、こう振り返る。
「この話を友人にすると、みんな最初に診てくれた整形外科医の誤診を批判します。でも、一番の問題は、『この症状は100%尺骨神経マヒだ』と思い込んでしまった自分にあります。ネット検索は便利ですが、安易な自己診断と思い込みには注意しようと、心に誓いました」
総合診療医・菊池医師の見解は?
総合診療医で、きくち総合診療クリニック院長の菊池大和医師によれば、「帯状疱疹は発疹が出るまで、確定診断ができない病気です。このため、この男性のようなことが少なからず、起こりうる」と言う。
帯状疱疹は「水疱瘡(みずぼうそう)」を引き起こすウイルス、「水痘・帯状疱疹ウイルス」が活性化することで発症する皮膚の病気だ。
「初めて水疱瘡にかかった後、症状が治まってもウイルスは完全に除去されるわけではなく、実は神経細胞に棲み着いて残っています。加齢や過労、ストレスなどで免疫力が低下すると、潜伏していたウイルスが活性化し、病気を引き起こすのです」(菊池医師)
特徴は赤い発疹だが、最初は痛みやしびれ、かゆみなどの症状から始まることも多い。初期は狭い範囲にとどまり痛みも激しくないが、数日のうちに範囲が広がり、発疹は水ぶくれ状に。痛みも強くなることがある。
「『胸の前や横』『背中(肋骨に沿って出る)』『顔の三叉(さんさ)神経の第1枝(おでこから目までの部位)』ができやすい部位です。ただし、神経の通っている部分であれば、どこに出てもおかしくない」(菊池医師)
また、通常は体の片側に出るが、まれに両側に出ることも。離れた2カ所に出るケースもある。顔にできると失明や難聴、顔面神経マヒの合併症が起こることがあるため、入院治療が必要になることも多い。
重症化予防のためには早期発見、早期治療が重要。とはいえ、早すぎると、杉山さんのように的確な診断がつけてもらえないこともある。
症状の出方や感じ方は個人差が大きい。背中など自分では見えない場所にできることもあるので、家族がいる場合は、一緒に観察をしてもらうといいだろう。
“高齢者の病気”というのは誤り
「疑わしい症状が出たら、以後、毎日、観察を続けること。皮膚にわずかでも異変が見られたら、すぐに皮膚科や総合診療科などを受診しましょう」(菊池医師)
帯状疱疹の予防策として、菊池医師は「疲れやストレスをためない」「十分な睡眠をとり、ストレス発散を上手に行う」「バランスのとれた食事を摂る(たんぱく質を多く、糖質・脂質を控えめにすることを意識する)」「糖尿病を持っている場合は、血糖のコントロールをする」ことを挙げる。
50歳以上であれば「帯状疱疹予防ワクチン」の接種も勧められるという。
「何より、帯状疱疹が“高齢者の病気”というのは誤り。3割は40歳以下で発症しています。 当院でも20代、30代の患者さんが珍しくありません。コロナ禍で人と接する機会が減ったことによる免疫力の低下が要因、という意見もあります」
かかるととんでもなくやっかいな、帯状疱疹。早期発見とともに予防にもしっかり取り組みたい。
本連載では、「『これくらい大丈夫』と思っていたら、実は大変だった」という病気の体験談を募集しています(プライバシーには配慮いたします)。「これはぜひ」という体験談をお持ちの方は、応募フォームからご応募ください。
(狩生 聖子 : 医療ライター)
(菊池 大和 : きくち総合診療クリニック)