平凡な温泉旅館に大学生を呼ぶにはどうすべきか…「卒論執筆パック」という人気プランを思い付けたワケ
※本稿は、龍崎翔子『クリエイティブジャンプ 世界を3ミリ面白くする仕事術』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
■湯河原の旅館を急成長させるためにやったこと
2017年に、湯河原で温泉旅館の経営を始めた時のこと。無事にオーナーさんから運営を引き継いだものの、そこからどのように事業を伸ばしていくべきか悩んでいました。
というのも、引き継ぎの時期が11月だったこともあり、次の繁忙期である3月まで、長い閑散期に直面していたのです。想像よりも低空飛行な稼働状況に、社内会議では併設されているカフェの休業が検討されるほどでした。
カフェ休業を回避するために、「私がなんとか方法を考えるから」とメンバーを前に大見得を切ったはいいものの、具体的に何をどうしたらいいかは全く見えず、なんとか手探りで挽回策を打ち出す必要に迫られていました。
そこで手始めに、私たちが置かれた状況を、事実、ボトルネック、考慮すべき制約、ありたい姿という4つの観点から冷静に整理してみました。
■駅から遠く、露天風呂もサウナもない
まずは〈事実関係〉の洗い出しです。
・ハード面:客室はこぢんまりとしているが、改装済みのため内装は綺麗。温泉は男女別に内湯がひとつずつあり、露天風呂やサウナはない。
・ソフト面:接遇スタッフは地域の主婦や大学生が中心。厨房スタッフは一般的な飲食店の調理経験者。懐石やフレンチなどの調理スキルを持つ者は多くない。
・運営状況:稼働率は50%、直接予約の割合は5%、売上額、利益率ともに向上の余地あり。
・ユーザー:日本人顧客が70%近くで、属性としてはファミリー、恋人同士、友人同士、企業合宿のための法人利用など。インバウンド比率は33%だが、主な訪問目的地は「箱根」。
・市場:湯河原町の訪問者は、年齢別では「60代以上」、訪問回数別では「10回以上」が最多。20〜30代の比率は10%以下。
・競合:周辺は高価格帯の宿と低価格帯の宿に二分されている。客単価5万〜10万円程度の、食事や温泉にこだわった高級旅館が主流。駅前には客単価が1万円を切るような温泉ホテルや、民宿などが散見される。
■インバウンドには期待できない
事実調査から明らかになったのは、湯河原というエリアの客層と施設とのミスマッチでした。
神奈川県の観光統計を分析すると、都内在住・中高所得層の中年〜高齢にかけての夫婦が、馴染みの宿を毎年訪れている様が浮かび上がってきました。
長年にわたって常宿を訪問し続けている彼ら・彼女らは当然、目も舌も肥えているため、新規開業した若者が運営する宿に訪問する可能性は限りなく低いと考えられます。実際に、このイメージのギャップに由来すると思われるレビューも散見されていました。
そして引き継ぎ前にメインターゲットとして想定していたインバウンド層は、蓋を開けてみると総宿泊者の3分の1しかいませんでした。それもそのはず、インバウンド客の多くはOTAで宿を予約するのですが、湯河原の知名度の低さゆえ、そもそも検索にひっかからないのです。(…)
■あえてマジョリティ顧客を外す
そこで私たちは思い切って、ボトルネックの遠因となっていた「インバウンド向け」のコンセプトを見直すことを決意します。
と同時に、国内客のマジョリティ顧客である中高年をターゲットから外すことにしたのです。施設の特徴などを踏まえると、湯河原で古くから続く伝統と格式ある旅館と張り合いづらく、中高年のゲストの期待に応えるのは難しいと考えたからです。
逆張りで私たちが目をつけたのは、それまでの湯河原が全く取り込めていなかったマーケット――主に東京に暮らす20〜30代でした。総部屋数11室、最大60名の宿なので、年間で必要な集客数は約3000組程度。この規模であれば、パイの少ない若い世代をターゲットにしても十分に勝負できるのではないか、と考えたのです
手始めに、内装やサービスを国内客向けに整え、じゃらん、楽天などの国内向けのOTA(インターネット上で取引を行う旅行会社)を整理しました。
つづいて、大幅なリブランディングをするにあたって、湯河原の空気感を言語化し、施設のコンセプトに落とし込むため、「湯河原はどんなところか」について思考を重ねました。
地域の歴史を掘り下げ、代々文豪たちが逗留してきた逸話から「湯河原は自分たちの世界にこもる“湯ごもり”の地」というブランドイメージにたどり着きます。その言葉をさらに洗練させ、「湯河原チルアウト」というキャッチコピーを編み出しました。
■参考にした星野リゾート代表のひとこと
新しいブランドイメージに沿ってキーヴィジュアルを撮影し、Webサイトを刷新し、プレスリリースを打ちましたが、これだけでは大きな反響には結びつきませんでした。もちろん、関心を持ってくれる方はたくさんいましたが、人が実際に動くための動機づけがまだ不十分だったのです。
「ホテルのコンセプトは、繁忙期ではなく、閑散期に合わせてつくるべきだ」――とは星野リゾート代表・星野佳路氏の名言です。
繁忙期には放っておいても一定数の宿泊客はやって来ますが、閑散期は何も手を打たなければ閑古鳥が鳴いてしまう。それゆえ、例えば夏に人気のエリアなら、閑散期の冬に人が集まるような仕掛けを設定しておくことが重要というのです。
そう考えると、インバウンド向けのマーケティング方針をやめたこともあり、閑散期や平日にお客さんが集まるような仕掛けをつくることが急務でした。
湯河原の閑散期(10月〜2月)や平日にある程度自由に動くことができる人は、一体誰なのだろう。
真っ先に脳裏に浮かんだのは「長期の休みがあって自由な時間が多い大学の同級生たち」でした。この発見から、ターゲットはもっとシャープに研ぎ澄ます必要があったことに気づかされました。狙うべきは、「東京に暮らす20〜30代」ではなく、「東京の大学に通う大学生たち」だったのです。
■大学生をどうすれば湯河原に呼べるか
では、「東京の大学に通う大学生たち」が思わず湯河原に来たくなるにはどうしたらよいのでしょうか? 彼らの抱えているインサイトとは一体何なのかを知るため、昼夜を厭わず毎日Twitter(現・X:以下、Twitterと表記)にかじりつき、大学生たちの行動パターンを徹底的にリサーチしました。
やれバイトがどうだ、学祭がどうだといったさまざまな情報の海の中で、ある時、ふと卒論に取り組んでいる人がたくさんいることに気づきました。(…)
もしも、上げ膳据え膳で食事が提供されて、いつでも温泉に入れる環境があれば、彼らはもっと卒論や卒制に集中できるはず……そう思ったある夜、私はTwitterでこう呟きました。
「大学生たちに、卒論を書きに湯河原まで来てほしいな」
しばらくして、フォロワーのひとりからこんなリプライが届いたのです。
「卒論学割パックみたいなものをつくってほしいです!」
その何気ないリクエストは大学生の抱えるインサイトと結びつき、頭の中に素晴らしいアイディアが浮かんできたのです。
「卒論を書きに来てください!」と訴えるだけでは人は動きませんし、「大学生は割引します!」というだけではさほどの訴求力はないでしょう。
「行く理由」を明確にデザインした企画をつくり込み、届けてあげることで、実際に行動を起こすハードルが大きく下がるのではないかと考えました。
■即完した「卒論執筆パック」
さらに掘り下げると、卒論を書く大学生の苦しみの多くは「早く取り組まないといけないのに諸々の理由で進捗を生めていない」という葛藤から来ています。つまり、「卒論の進捗がない罪悪感から逃れたい」というインサイトを抱いているのです。であれば、「ちゃんと卒論に取り組む時間は確保できているから大丈夫」と思えるサービスをつくればいいのではないか?
そう考えて企画したのが「卒論執筆パック」という宿泊プランでした。
「卒論執筆パック」とは、かつて文豪たちが湯河原の温泉旅館で逗留しながら缶詰になって執筆に没頭した歴史になぞらえて、大学生たちが卒業論文の執筆作業に専念できるようにした宿泊体験です。
大学生のお財布にも優しいように、学割ということで1泊1万円程度のリーズナブルな価格に設定。3食付きかつコーヒー・紅茶飲み放題で作業に集中できる環境を用意したうえ、希望に応じてスタッフが編集者に扮して進捗を確認したり、原稿の感想をお伝えしたりするなど、ダラけないように牽制するサービスを設けたところ、このプランの告知ツイートは瞬く間に拡散され、初回に用意した40枠がその日のうちに完売したのです。(…)
■年間の利益を3600万円も押し上げた
嬉しい誤算で、「卒論執筆パック」は、大学生以外の方々からも大きな反響がありました。
熱烈なリクエストの声を受けて、一般の方も対象とした「大人の原稿執筆パック」というプランをリリースしたところ、卒論執筆パックをはるかに上回る数の予約が押し寄せました。
これらのシリーズによって、それまで5%しかなかった直接予約の割合はなんと1年で80%(前年比16倍)にまで急上昇。たった11室の旅館にもかかわらず、年間の利益を3600万円も押し上げ、業績を急成長させることができたのです。
その後、今日に至るまで原稿執筆パックはこの温泉旅館の売上を支えるヒット商品となっています。
たとえ不利な条件下であったとしても、ゲストのインサイトを正しく捉えることで、ゲームチェンジを生み出せる可能性は十分にあるのです。
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龍崎 翔子(りゅうざき・しょうこ)
ホテルプロデューサー
1996年生まれ。東京大学経済学部卒。2015年、在学中に株式会社L&Gグローバルビジネス(現・水星)を設立し、北海道・富良野でペンション運営を開始。その後、関西を中心に、ブティックホテル「HOTEL SHE,」シリーズを展開し、湯河原、層雲峡をはじめ全国各地で宿泊施設の開発・経営を手がける。
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(ホテルプロデューサー 龍崎 翔子)