「相手選びを妥協したくない」頭が良く面白くおしゃれな37歳女性がパジャマのままデートに行った驚きの理由
※本稿は、ソフィー・モート『やり抜く自分に変わる1秒習慣』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■どこまでが自分の原因でどこまでが自分以外なのか
たいてい故意の行動ではないが、脳が「自分には耐えられない」と思い込んでいる物事を避けるために取る行動を「セルフ・サボタージュ」という。目標を達成して理想の人生を生きる能力を自ら妨げる行為のことだ。
サボタージュの知識が豊富になると、たいていこんな疑問が浮かぶ。「これのどこまでがサボタージュで、どこまでが状況によるものなんだろう?」。私はいつもこう答えている。「見当がつかないなら、五分五分だ(50パーセントはあなたが原因で、残りの50パーセントはあなた以外のことが原因だ)と考えて、そこから取り組めばいいですよ」と。
そうすれば、自分を責めすぎる人は「何もかも自分のせいだとは限らない」とわかるだろうし、いつも他人のせいにしている人は、わが身を振り返ることができるだろう。
■出会いを求めている、と認めることが恥ずかしい
「デートにまつわるトラブルのどれが私の行動のせいで、どれがたまたま起こったことなんだろう? つまり、まだいい人に出会えていない、ということ」
ゾラは驚くほど自立していて、とびきり頭がよくて、面白くて、とてつもなくおしゃれだ。最後の一言は表面的な話に聞こえるけれど、ここ重要だから! ゾラがセラピーに来たのは、ただ来たかったからだ。治す必要のある急性の症状はないし、対峙(たいじ)しなくてはいけない過去のトラウマもなさそうだ。単純に、彼女は信じているのだ。充実した人生を送りたいなら、セラピーを受けるのがお勧めだ、と。
ゾラは人々の行動に興味をそそられている。そして、自分にもまだ自覚していない人生のパターンがないか、知りたくてたまらない。私は時折思っていた。ゾラは、私のセラピストの先生が「一緒にショーを見てくれる誰か」と呼ぶ存在がほしいだけなのでは? と。別に批判しているわけじゃない。私を含む多くの人が、そういう存在を求めている。つまり、自分という存在の証人になってくれる人がほしいのだ。一緒に人生の浮き沈みを分かち合い、自分を心から理解して、進んで一緒にいてくれる誰かが。
ある日私は、この考えがしっくりくるかどうかゾラに尋ねてみた。そして、「セラピー以外の場所にそういう人はいないの?」と聞いた。「いない」とゾラは答え、「実は出会いを求めている、と認めるのが恥ずかしいの」と打ち明けた。
恥ずかしい理由は、愛やパートナーを求めているなんてみっともない、と思っているから。強い人間はそんなものを求めない、と信じているのだ。強い人間は一人でいるほうが幸せだ――これは、いわゆる「リミッティング・ビリーフ」[訳注:考え方や感じ方を制限する思い込み]だ。これも、「自分の願いやニーズを話してはいけない」と自分自身に命じる、ある種のサボタージュだ。理由は、話したら弱い人間に見えるから。
■過去のデートがうまくいかなかった理由
ゾラはこの話題に慣れてくると、10年間にわたってほぼ切れ目なく誰かとデートしてきた、と話してくれた。「いい人にめぐり会えないんじゃないか、と焦り始めてはいるけど、誰でもいいから妥協する、なんてつもりも絶対にない」と言い切った。
私たちは、先ほど紹介したゾラの重要な問い――デートにまつわるトラブルのどれが私の行動のせいで、どれがたまたま起こったことなんだろう?――に答えるために、セラピーに取り組んだ。私がいつもやるように「五分五分」の地点から始めて、過去のデートがうまくいかなかった理由を挙げてもらった。
では、サボタージュではなかったわかりやすい事例を挙げよう:単純にウマが合わなくて別れた、将来に対する考え方が合わなくて(ゾラは子どもがほしくないけど、相手はほしがっていた、などで)別れた、性欲が薄れるととくに絆がないことが判明して別れた。
では、「ゾラ」が原因だったわかりやすい事例を挙げよう:「うまくいかない」という恐れからデートを断わってしまった、ゾラが新しい恋人と親密になれると思って繊細な情報(自分自身の嫌いなところ)をすべて伝えたのは、もしかしたら相手を遠ざけるためだったのかもしれない。
■パジャマのままデートに行った
ほかにも、もっとわかりづらいサボタージュもしていた。
ある日、ゾラは「パジャマのままデートに行ったことがある」と言った。時々セラピーのときも着ている、日中に着てもおかしくないおしゃれなパジャマスーツではない。クリスマス用のパジャマに虫食いセーターで出かけたのだ。理由は「おしゃれしていようがいまいが、ありのままの私を好きになってほしいから」。その気持ちはわかる。ずいぶん長い間、女性たちは他人の目を引くように、魅力的に映るように装わなくてはならない、と教わってきた。
そんなの納得できない。なぜありのままの自分じゃダメなのか? なぜ素のままの自分を愛してもらえないのだろう? そういうものに「クソ食らえ」という姿勢は力をくれるし、フェミニストとして、私も心から賛同する。でも、セラピストとしては、知っているのだ。拒絶を恐れている人、「拒絶される」と思い込んでいる多くの人が、デートに行って、まだ始まってもいないのに――たとえば――何の努力もしないことでぶち壊してしまうことを。ゾラの話も、その一例のように聞こえる。
想像してみてほしい。努力してくれた人との初デートと、起き抜けの姿でやってきた人との初デートを。それぞれの装いがどんなシグナルを送っているか、考えてみてほしい。
努力するかどうかで、届くメッセージは違う。「私は自信に満ちている。自分をケアするのが好きだし、このデートは努力するに値すると思ったの」。努力しない人はおそらく……それと正反対のメッセージを送っている。
■あえてデートがうまくいかない理由を探していた
ゾラによると、パジャマでデートに出かけても最高の気分じゃないことは自覚していたし、そんな装いを選んだ自分を正当化しようと、ちょっぴり身構えていることにも気づいていた。「男はいつだって女に完璧でいてほしいと思ってる。そんなのもううんざり! これも家父長制の証拠の一つよ!」と。家を出たときはパワーに満ちていたのに、デートの場所に着く頃には、けんか腰になっていた。
この行動をさらに深く掘り下げていくと、ゾラがハッと気づく瞬間が訪れた。
「信じられない! 私はいつもデートがうまくいかないことを心配してたんだ。だから、始まる前に、うまくいかなくなる方法を探してたのよ!」
パジャマ姿でデートする人たちがみんな、セルフ・サボタージュをしているとは限らないし、服のチョイスで誰かを批判するつもりなんて毛頭ない。
ただ、私はゾラをよく知っているから、これが「らしくない」行動で、デート中の彼女のサボタージュのパターンと一致していることがわかったのだ。この話をしたのは、安全を求める行動がこっそり忍び込んでいる場合がある、と伝えるためだ。ヒツジの皮(もしくはパジャマ)をかぶったオオカミではないけれど、自分の思い込みや恐れに気づいていないと、忍び込んだサボタージュをうっかり見逃しかねない。
脱出のヒント
・自分が自分のパターンに対して思いのほか大きな影響力を持っていることに徹底的に向き合ってはじめて、自分でこしらえた障害物を特定し、それを変えることができる。
・サボタージュとは思えない考えをあれこれ検討しているうちに、実はサボタージュだった、とわかることもある。これは、公平な判断ができる友人やセラピストと一緒に行ったほうが、ラクに進むだろう。
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ソフィー・モート臨床心理学者
心理学学士号、神経科学修士号、臨床心理学博士号を取得。Instagramやブログ、オンライン診療を通じて情動的幸福を提供するセラピーの普及に努めている。5000人以上のメンタルヘルスを支援してきた。マインドフルネスアプリ“Happy Not Perfect” を開発し、“Vice Magazine” “Girlboss” “Psych Central” “Teen Vogue” など世界的なメディアで取り上げられる。デビュー作となった“A Manual for Being Human” は、イギリスでSUNDAY TIMES BESTSELLERとなり世界10カ国に翻訳されベストセラーに。
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長澤 あかね(ながさわ・あかね)
翻訳家
奈良県生まれ。横浜在住。関西学院大学社会学部卒業。広告代理店に勤務したのち、通訳を経て翻訳者に。訳書にエイミー・モーリン著『メンタルが強い人がやめた13の習慣』(講談社)、キャンディス・ブシュネル著『25年後のセックス・アンド・ザ・シティ』(大和書房)、『マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法』(PHP研究所)などがある。
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(臨床心理学者 ソフィー・モート、翻訳家 長澤 あかね)