大学に残って研究を続けたかったが・・・、理系院生の高山さんが語る、現状とは(写真: Graphs / PIXTA)

日本の研究力向上のため、重要な担い手になる若手研究者を育てるのが大学院の博士課程だ。しかし、修士課程から博士課程への進学者は減少傾向にあり、最近は1割程度の進学率しかない。経済的な事情や卒業後の大学におけるポスト不足など、将来への不安から進学しない選択をしている院生が多いと考えられる。

それでも、「博士課程で学ぶ意義は大きく、メリットもある」と現役の大学院生は語る。この連載では、人文系、社会科学系、理工系など、さまざまな分野の修士課程や博士課程で学ぶ大学院生に取材し、現状をひもといている。3回目は、博士課程で人工知能分野について研究している大学院生に、博士課程で学ぶ意義について聞いた。

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情報系の大学院博士課程の実情


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「情報系の大学院の場合、博士課程に進学しても、そこまでキャリアが狭まることはないと思います。需要も高い分野ですので、今後も大きく変わることはないのではないでしょうか」

こう話すのは、名古屋工業大学大学院で博士後期課程3年に在籍している高山拓夢(ひろむ)さん。工学研究科情報工学専攻に所属し、人工知能について研究している。名古屋工業大学の博士前期課程は修業年限2年の修士課程に、博士後期課程は修業年限3年の博士課程に該当する。高山さんは学部に入学してからずっと名古屋工業大学で学んできた。

博士課程を卒業するには、国際論文誌や国際会議で研究成果をいくつか発表したうえで博士論文に取り組む。忙しい時期には朝から夜遅くまで研究に没頭している。その際、情報系ではシュミレーション上のみの実験が多いので、研究室にずっといるわけではない。高山さんも研究は基本的に自宅で進めている。

「研究はパソコンとペンがあればできますから、研究室に集まるようなコアタイムがありません。個人の裁量に任されているところが多いと思います。ただ、コロナ禍で一時は完全にリモートになって、自宅でやる気がでないので研究室に通うという人もいました。私の場合は基本的に自宅で研究しています」

理系の単科大学である名古屋工業大学では、学部生のおよそ75%が博士前期課程に進学するという。その後は就職する人がほとんどで、そのまま博士後期課程に進む人は少ない。これは他大学の理系大学院でもほぼ同じ傾向といえる。高山さんは人工知能について深く学ぶために後期課程に進んだ。

「Web開発の分野を専門にしている人であれば、学部や博士前期課程を卒業して、企業で実践する道を選ぶケースも多いです。一方で、私が研究している分野は、人工知能を動かすときにどれくらいの性能を持っているのか、動いたときにどういう振る舞いをするのかといったことを数学的に解析する場合が多いので、基礎的な研究が重要になります。

そのためには腰を据えて、まとまった時間で取り組んだほうがいいと考えて、私は博士後期課程で学ぶ選択をしました。同級生よりも社会に出るのが遅れるという面はあるものの、マイナス面は感じません。就職活動に関してもそれほど苦労することなく、大手メーカーの研究所から内定をいただいています」

博士課程に進学した人は減少傾向

文部科学省の「令和4年度学校基本調査」によると、大学院修士課程修了者の主な進路状況は、博士課程に進学した人の割合が10.3%だった。平成6年の16.9%から減少傾向が続いている。


一方で、博士課程に在学している人の内訳は、「令和3年度学校基本調査」の推計では、修士課程からの進学者は約3万人。これに対して、社会人学生と留学生が約4万5000人と、修士課程からの進学者の1.5倍いると見られている。特に社会人学生の場合は、企業で携わっている研究開発業務と、博士課程での研究が密接に関わっているケースも多いだろう。

では、修士課程から博士課程に進学する人は、どのような考えをもっているのだろうか。高山さんの場合は、純粋な知的好奇心が出発点だったと話す。

「博士後期課程に進学する人の中には、博士号を取得してキャリアに箔を付けたいという人もいます。海外で研究を続ける人や、大学教員になりたいと考えている人にとっては、博士号を持っているかどうかでその後が大きく変わってきます。理由は人それぞれで、それでいいと思います。

私の場合は、まずは人工知能の仕組みをもう少し知りたいと思いました。さらに大きな目標は、新たな知見を獲得することです。純粋に知を探求しているうちに、思わぬ大発見につながることで、社会的な課題を解決するケースはよくある話だと思います。

人工知能、AIの技術は、今最も注目されている分野の1つだと思います。でも、1980年代後半から1990年代前半にかけては、研究は大きな成果が得られず下火の状態でした。AIは本当に役に立つのかと言われながら研究を続けているうちに、新たな発見によって今の状況が生まれました。研究によって新たな知見を発見することに、大きな意義を感じています」

「大学に残る選択」は厳しい現状

研究を深めて新たな知見を発見したいと考えれば、そのまま大学に残って研究を続けたいと思うのではないだろうか。しかし、大学への就職は狭き門になっている。

文部科学省が今年1月に発表した「博士後期課程修了者の進路について」によると、2021年度の博士課程修了者1万5968人のうち、大学などで助教や講師として就職した人は2518人。全体の15.8%に過ぎない。

一方で、任期付きの研究職ポジションである博士研究員、いわゆるポスドクになった人が1500人いる。任期が終わればほかの大学や研究機関、企業などに応募しなければならず、不安定な雇用形態の中で研究を続けることになる。

高山さんも、引き続き大学に残って研究することも選択肢の1つにあった。けれども、やはり将来への不安があったと明かす。

「就職の道を選んだのは、ポスト面での不安もありました。情報系であれば勤務する場所などを選ばなければ大学での就職先はあると思いますが、自分がどのようなキャリアを進んでいけるのか描きづらくなっているのは間違いないです」

こうした状況は、国の大学政策が作り出したものでもある。2004年の国立大学の法人化以降、国立大学の運営費交付金が10年間にわたって削減され、多くの大学で人件費に皺寄せがきたと言われている。

さらに、1996年度から2000年度まで実施された「ポスドク1万人計画」も、結果的に大学教員への道を狭めることになった。若手教員のポストは減少しているのに、ポスドクが増えたことで、30代後半になっても正規採用の教員になれない人が増えてしまった。

加えて高山さんは、若手教員ポストの待遇にも疑問を持っている。

「待遇面を考えて、大学に残る道よりも就職を選ぶ人は少なくないのではないでしょうか。仮に助教で大学に残ったとしても、企業に就職する場合に比べると、待遇面でも大きな差があると思います。

もちろん、一概に大学が悪いというつもりはありません。教員のキャリアや待遇面を改善する取り組みも進んでいますし、金銭面の支援制度もある程度は充実しています。それでも、もっと研究を極めたいと考えていても、最終的に就職を選ぶ人が多いのが現状だと感じています」

自分のアイデンティティが確立できる

博士課程への進学や修了後の状況は、文系と理系、研究分野の違いによって状況は違う。文系の場合は、そもそも博士前期課程、修士課程への進学率が高いとはいえない。この連載で前回触れたように(過去記事:「文系学生は門前払い」就活に苦しむ院生の嘆き)、文系で修士で卒業したからといって、就職に有利には働かないのが現状だ。

高山さんが研究している人工知能の分野は、キャリアを考えるうえで条件のよい分野の1つと言えるだろう。しかし、高山さんは博士後期課程で学ぶことのメリットは、もっと別のところにあると実感している。それは、研究を通して自己のアイデンティティを確立できることだ。

「研究が世の中の役に立つことも非常に大事なことで、考えなければいけないことだと思います。けれども、それとは別の視点で見ると、20代前半から後半にかけての頭の回転が速い時期に、専門分野を決めて全力で研究に取り組むことも、今後の人生を考えるうえでは重要なことではないでしょうか。

1つの分野を極めていくことは、自分はどういう人間なのかという問いの答えを得る一つの方法です。自分のアイデンティティになるものが得られます。アイデンティティが確立することは、今後の人生を歩んでいくうえで大きな支えになり、人生を豊かにしてくれると思っています」

博士課程に進む人が少ないのは、将来キャリアや経済的な状況など、大学院生が抱える不安が背景にある。それでも、9年にわたって大学と大学院で学んできた高山さんは、博士課程で学ぶ意義や価値を感じている。研究力の向上を叫ぶのであれば、誰もが博士課程進学に挑戦しやすい環境づくりが今以上に必要ではないだろうか。

(田中 圭太郎 : ジャーナリスト・ライター)