ガザ地区にもはや安全な場所はないという(写真:Jonathan Alpeyrie/Bloomberg)

パレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルに仕掛けた史上最悪の攻撃では、双方合わせ3000人以上の死者をもたらし、イスラエルから約200人の人質がガザ地区に連れ去られた。中東専門家も想定していなかったハマスの用意周到な奇襲攻撃を受け、イスラエルは大規模なガザ地区への軍事侵攻の態勢を整えている。

奇襲攻撃後にイスラエルが侵攻してくるのをハマスが想定しているのは確実。ガザ地区でイスラエル軍を迎え撃つ準備を行うハマスとイスラエル軍の激戦が交わされる見通しだ。

過去の衝突におけるイスラエルとパレスチナ側の犠牲者の比率から判断して、ガザ地区では数万人規模の死者が出るおそれもある。特にイスラエルの商都テルアビブに近いガザ地区北部は、地域一帯が真っ平らになるほどの破壊が進む可能性もある。

前回を例に被害推定なら死者約4万人も

「ガザ地区にもはや安全な場所はない。今この瞬間に死んでもおかしくない」。ガザ地区に住む友人は筆者の取材に、声を振るわせた。イスラエル軍はガザ地区北部の住民に対し、南部に避難するよう呼び掛けたが、その南部ハンユニスでも空爆で建物が崩壊するなどガザ全域が攻撃対象になっている。

イスラエル軍は、「陸・海・空からの連携した攻撃を含めた広範な軍事作戦を遂行する準備を進めている」との声明を発表、ガザ地区に接するイスラエル南部には戦車や装甲車などが集結し、地上戦がいつ始まってもおかしくない状況だ。

イスラエル指導部は国民感情を考慮する必要があり、ハマスやイランなど敵対勢力に囲まれたイスラエルにとって抑止効果を得るためにも報復的な大規模軍事作戦は不可避だろう。

イスラエル側では1400人以上が死亡、パレスチナ側ではイスラエル軍の空爆で2200人以上が死亡した。筆者がエルサレムに通信社特派員として駐在していた際には、イスラエル人1人の犠牲に対してパレスチナ人100人が殺害されると象徴的に語られていた。

実際、2008〜2009年にイスラエルがガザ地区に侵攻した際には、イスラエル人の犠牲が9人だったのに対し、1400人近いパレスチナ人の死者が出た。これは倍返しどころか150倍返しである。2014年のガザ侵攻時にはイスラエルの死者が73人だったのに対して、パレスチナ人約2250人が死亡した。これは約31倍に相当する。

今回の衝突による犠牲者数はうなぎのぼりだが、2014年の比率を当てはめると、停戦までに計4万人のパレスチナ人が命を落とす計算になってしまう。こうした数字は机上の空論であり、実際にはイスラエルに対する国際社会の批判の高まりや、ヨルダン川西岸への騒乱波及、ガザ地区に連れされた人質をめぐる交渉、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラやイランの参戦可能性など複雑な要素が絡んでくるだろう。

プーチン大統領が停戦の仲介に意欲

すでに世界各地でガザ地区での犠牲拡大を受けて親パレスチナのデモが行われたほか、中国の王毅外相は「自衛の範囲を超えている」とイスラエルの軍事行動を批判した。

ロシアのプーチン大統領がイスラエルの首脳や中東首脳と電話会議を行い停戦に乗り出しているほか、アメリカのバイデン大統領も近くイスラエル訪問する予定だ。

イスラエルは国際社会の世論よりも国益を重視する傾向が強いが、ヨルダン川西岸での騒乱拡大やヒズボラの参戦など2正面作戦を強いられる場合、ガザでの地上侵攻作戦は長期化するとの見方もあり、イスラエルは厳しい状況に陥る可能性がある。

不可避とみられるイスラエル軍のガザ地区への軍事侵攻はどう展開され、どのような結末を迎えるのだろうか。過去のガザ地区やヨルダン川西岸での軍事作戦を考慮して予想したい。

イスラエルのベニー・ガンツ前国防相は、「ハマスを消し去る」との決意を語っているが、ガザ地区に根を降ろし、住民からも一定の支持を受けるハマスを根絶するのは不可能だ。

市街地でのゲリラ戦を展開するハマスに対し、中東の最強の軍事力を誇るイスラエルだが、その軍事力を人口が密集するガザ地区に全面投入することはできない。

過去の例を見ると、ハマスが建設した地下トンネルの破壊を終了した、ハマスのテロ基盤を破壊した、ハマスの脅威を除去したなどとイスラエル軍は作戦目的の達成を表明し、エジプト政府などの仲介で停戦に入るのが通常のパターンである。

かつてないほど長期化する可能性

2014年のイスラエル軍のガザ侵攻では、7月17日の作戦開始から8月26日の停戦まで50日間を要している。今回の作戦規模は、前回と比べられないくらいに大規模になる可能性が高く、長期化するものとみられる。

イスラエル軍は、ガザ地区やヨルダン川西岸で過去に実施した際の作戦の教訓を踏まえ、戦車を侵攻させる場合、仕掛け爆弾の脅威を除去するために道路の舗装を剥がしたり、家屋を破壊して進路を確保したりして作戦展開するだろう。

さらに、ハマスの地下トンネルは、民家からイスラエル境界などに向けて掘られており、イスラエル軍は、建物から民間人を退避させたうえでバンカーバスター(地中貫通爆弾)を使用するとの見方も出ている。

こうした結果、イスラエルとの境界に近いガザ地区北部の地域は、家屋が軒並み破壊される甚大な被害が出る恐れがある。イスラエルは2014年の侵攻作戦でハマスの脅威を除去したと表明したにもかかわらず、今回の事態を招いている。このため、これまでの被害規模を大きく上回る凄惨な状況がガザ地区で展開されることになるだろう。

ガザ地区では北部の住民に退避するようイスラエル軍は呼び掛けており、対象住民の数は110万人に上る。だが、国連施設や学校など安全とされる場所は既に避難した住民で一杯になっているほか、南部に親戚がいない人などもおり、北部から避難した人の数は限定的だ。

対象地域に住む友人は取材に、「どこに行っても安全な場所はない。われわれはイスラエル建国で生じた難民の子孫であり、さらにどこかに避難するつもりはない。ここで死ぬ覚悟だ」と語った。

乗っ取られた「パレスチナの大義」

ガザ地区では、ハマスの支持者がかなり存在するが、友人は「パレスチナの大義は、イスラエル極右とハマスによる狂信的な宗教戦争に乗っ取られてしまった」と嘆いた。ハマスはガザ地区で恐怖の支配体制を敷いており、「ハマスを批判するような人は誰もいない」と、ガザ地区の実情を証言した。

こうした状況下、ガザ地区で厭戦気分が高まることは想定できず、焦点は、ガザ地区でのパレスチナ人の死者数が拡大していくことが予想される中で、イスラエルや国際社会、ヒズボラやイランなどの反イスラエル陣営がどう動くかになるだろう。

イスラエルとヒズボラは2006年に軍事衝突し、イスラエル軍はレバノンに侵攻、ヒズボラもゲリラ戦を展開したほか、イスラエルに大量のロケット弾やミサイルを撃ち込んだ。ヒズボラはその後、ロケット弾やミサイルの備蓄を進め、10万発以上のロケット弾やミサイルをイスラエルに向けて発射可能といわれている。

シリア内戦を経てイランがシリアに強固な足場を築き、2006年時と比べてヒズボラは戦闘力を格段に向上させている。中には射程が300キロに及ぶイラン製の短距離ミサイル「ファテフ110」数百発も保有しているとされ、テルアビブやエルサレムなどイスラエルの重要都市を機能不全に陥らせる能力があるとみられている。

アメリカ軍は、すでに東地中海に展開した空母「ジェラルド・フォード」を核とする空母打撃群とともに、空母「ドワイト・アイゼンハワー」とミサイル巡洋艦、2隻のミサイル駆逐艦で構成する空母打撃群の派遣を新たに命令。

ヒズボラやイランの軍事介入を警戒している。バイデン政権は2024年の大統領戦をにらみ、ユダヤ系やキリスト教右派の投票行動への思惑から親イスラエル姿勢を鮮明にしており、ヒズボラやイランが動けば、アメリカ軍も限定的に参戦する可能性も帯びる。

双方「戦果」を誇示して停戦に向かう

中東の他地域への戦火拡大やヨルダン川西岸への騒乱拡大、第3次インティファーダ(対イスラエル抵抗闘争)への発展がなければ、最終的には、双方合わせて数千人から1万人を超す死者が出て、イスラエルはハマスの脅威を除去したなどと発表する一方、ハマスはイスラエル軍に打撃を与えたと戦果を誇示して双方は停戦に向かうだろう。

だが、イスラエルの生存権を認めないハマスは戦力を再構築して、数年後にはイスラエルに脅威を与える存在になることは間違いない。2国家共存を不可能にするようなヨルダン川西岸での入植拡大を進めるイスラエル右派と、過激化するハマスの宗教に刺激された争いの着地点は見えてこない。

(池滝 和秀 : ジャーナリスト、中東料理研究家)