(写真: Fast&Slow/PIXTA)

かつては小学校を卒業後、近隣の公立中学校に進学する人がほとんどだったが、近年は都市部を中心に中学受験が過熱している。「よりよい学校に進学させたい」という親心もあるのだろうが、「中学受験はしたほうがいい」と本当に言えるのだろうか。ハーバード大学院理学修士、元Google、ベンチャー投資家というキャリアを歩んできた山本康正氏が、学歴や中学受験について子ども向けに語った。

※本稿は山本康正氏『きみたちは宇宙でなにをする? 2050年に活躍するために知っておきたい38の話』から一部抜粋・再構成したものです。

「頭がいい」ってなんだろう

「頭がいい人」と聞いて、きみはどんなイメージを抱くかな?
 テストで100点を取る人、成績上位の人、そんなところかな?

でも実は「頭がいい」の定義は、時代や国によって結構変わるんだ。

たとえば、中国では、20世紀のはじめまで約1300年にもわたって「科挙」というテストが行われていた。今でいえば政府の官僚(国の予算や法律にかかわる国家公務員)を選ぶ試験だね。合格すれば高い地位とお給料が手に入ったが、合格できるのは受験者のほんの一握りだけ。めちゃくちゃに難しくて、競争率が高いテストだったんだ。

その科挙のテストの出題内容は、おもに「国語」だ。とくに重視されたのは暗記力だったが、そのほかにも自分で詩をつくったり、論述できたりと、とにかく国語的能力に特化して求められていた。

数学や理科が得意な人は、科挙の時代の中国に生まれていたら「頭が悪い」と思われていたかもしれない。

けれども時代は大きく変わった。たくさん暗記ができること、たくさん知識をもっていることには、今の時代においてそこまで価値はない。検索したり、AIに聞いたりすれば誰でもすぐにわかることだからだ。クイズ王、雑学王なんてポジションも、テレビ番組に出るにはいいかもしれないけれど、いずれはあまり見向きもされなくなっていくかもしれないね。

知識は大事だ。ないよりはあるほうが断然いい。だが、知識をもっていること以上に、発想力や新しいものを生み出す力のほうがずっと重要視されるようになっているのが今の時代だ。

知識をベースにAIを活用して新しいアイデアを想像できる人、無関係にみえるなにかとなにかを結びつけて新しいものを生み出せる人。他者と意見を交換しながらどんどん改良できる人。

これからの時代において「頭がいい」とされるのは、おそらくこんなタイプだろう。

「勉強ができる」と「頭がいい」の違い

そういう意味では、「勉強ができる」と「頭がいい」も実は別物だ。

学校の勉強が得意なタイプの人たちは、ルールに従い、レールの上を走るのが得意な人が多いだろう。そういう人は、中高生時代までは結構いいところまでいける可能性が高い。

けれどもいざ大学に入り、自分から学びに行く能動的なスタイルがメインになると、それまで有利だったはずの武器があまり役に立たなくなる。

学びの範囲が絞り込まれていくと、まんべんなくできるオールラウンダーよりも、その1科目で突出したタイプの人が輝き出すからだ。

どっちがいいとか悪いとかではない。そのときどきの学力を測るシステムにマッチするかどうか、という単純な話だ。

運よくマッチすれば、もしくはそのトレンド(流行)を正しく見極めて努力すれば、その時代の「頭がいい人」になれるだろう。

「頭のよさ」はそれぞれの時代によって変わる。

日本の教育は偏差値が評価の基準になっているが、海外の多くは偏差値なんて聞いたことはないんだ。現実には偏差値だけで「頭のよさ」はジャッジできないし、取りこぼしている部分もすごく多いはずなんだ。そもそも世界の天才は日本の入学試験なんて受けていない。本当に偏差値という数字に意味はあるんだろうか。

きみもいったん立ち止まって、「頭のよさってなんだろう?」と考えてみてほしい。じっくりと考え抜けば、「じゃあここから自分はこの時代に、どんな努力をしていけばいいのだろう?」という問いへの答えがみえてくるかもしれない。

それでも高学歴は有利?

頭のよさは時代によって変わるし、偏差値は絶対的な評価軸ではない。じゃあ今の時代、いい高校、いい大学に進んで高学歴になることに、意味はないのだろうか? そう考える人もきっといるよね。

結論からいえば、学歴はまだまだ使えるカードだ。ただ、そこまで絶対的な切り札にはなりえない。30代、40代と年齢を重ねていくほどに、効き目がだんだんと薄れていく。そんな種類のカードだと考えておこう。

その人がどんな人なのか、初対面の第一印象だけではわからない。けれどもそれなりのレベルの大学を試験を受けて卒業しているのであれば、「少なくとも勉強はできるんだな」「受験という壁を乗り越える努力はした人なんだな」という判断はできる。

そうした判断材料として、学歴はとてもわかりやすいカードだし、就職活動でも有利に働きやすい。同じ大学出身者同士であれば親近感も湧くし、価値観も通じやすい。OB・OG(きみが入学した大学を卒業した先輩たち)のネットワークがあと押ししてくれることもあるだろう。

ハーバード大学やスタンフォード大学のような海外の名門大学は、同窓会をきっかけに大きなビジネスがまとまることだって珍しくない。

ただ、20代、30代と働く時間が長くなるほどに、学歴の効力は薄れていく。それよりは「社会に出てからどんな仕事をしてきたのか」が重視されるからだ。

外資系企業の中途採用(一度就職した人を対象にした採用)であれば、出身大学のレベルよりも、社会に出てからどんな仕事をしてきたか、どんな実績を出してきたかが重視される。40代、50代と年齢を重ねていくほどに、当然その傾向は強くなるだろう。

だからといって、「学歴なんてもう意味がない」とは僕は思わない。現実をみれば、あればあったで有利に働く場面がまだまだ多いからだ。

ただし、きみたちの親世代の頃ほどに、学歴は有効なカードではないことも覚えておいてほしい。

中学受験はしたほうがいい?

最近、都市部では中学受験をする子の数が増え続けている。

きみは中学受験をしたい?

僕は地域差や家庭の事情があるので、「中学受験は絶対にしたほうがいい」とまでは思わない。

ただ、もし挑戦できる環境にあるならば、試しに挑戦してみても損はないだろう。試験の結果で合格・不合格が決まるという本番に向かって緊張感をもって学んでいく経験は、学びの基礎体力を鍛える絶好のトレーニングにもなるからだ。

中高一貫校に進学するメリットをいくつか挙げるならば、同じように受験勉強をがんばってきた、努力の価値を知っている友人ができることだろう。学ぶ意欲が高い仲間がそばにいれば、くじけそうになっても励まされるし、自分の目線も自然と上がっていく。高校受験をショートカットして、大学受験や課外活動に力を注げるのも大きなメリットだろう。

ただし、自分と似たような仲間が集まるということは、公立高校のような多様性が生まれづらいという見方もできる。オリジナリティ(自分らしさ)が育ちづらい、といってもいいかもしれないね。

また、よく似た仲間たちに囲まれた環境で過ごすと、自分とは異なる属性や背景をもつ人への理解が浅くなることもあるだろう。

選んだ道を正解にできるかどうかはきみ次第

もちろん今述べたような内容に、当てはまらないケースもあると思う。結局のところは運やめぐりあわせ、相性といった本人の努力とは関係ない部分も絡んでくるからだ。


ただひとつ、確実にいえるのは、中学受験をすることが絶対の正解で、しないことが不正解というわけではないということ。違うルートをたどった人たちが、同じ大学で合流することもある。

僕の中学時代の友人は当時有名進学校に進んだが、学風が合わず、とても苦しそうにみえた。ほかにも、試験というゲームが得意で大学受験もうまくいったものの、なぜ学ぶのかという人生の目的がはっきりしないまま社会人になり、迷っている人もいる。

彼らはまわりの人からは成功者にみえる。でもそんなことはないんだ。一見、華やかにみえる人でも、人生をずっともがいている可能性もあるんだよ。

だから選んだ道を正解にできるかどうかはきみ次第だし、ルート変更はどのタイミングでだってできるんだ。

(山本 康正 : 京都大学客員教授)