マツダ本社所有のバイオディーゼル燃料仕様CX-60に乗り、広島から山口県内を巡り取材した(筆者撮影)

今、世の中は「水素バブル」と言えるほど、水素に関わる事業への注目が高まっている。

その背景にあるのが、国の「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」において、2023年6月に経済産業省資源エネルギー庁が公表した「水素基本戦略」だ。


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そうした中、これまで長年にわたり水素に関する施策を推進してきた地域は今後、「グリーン水素」や「ブルー水素」と呼ばれるようになった“新たなる水素”に対して、どのように対応していくのか。

水素先進県「山口県」と、水素先進都市「周南市」を巡って、水素の未来について肌感覚で考察した。そこで改めて浮き彫りになったのは、水素の「利活用」という出口戦略のあり方だ。

ウクライナ侵攻、安全保障、ESG投資の融合で一変

2023年、6年ぶりに改定された今回の水素基本戦略の中で、国は改定の意図を次のように説明している。

「我が国はGXを通じて、エネルギー安定供給、経済成長、国際的な産業競争力強化、脱炭素の同時実現を目指している。今後10年間に官民で150兆円超のGX関連投資を引き出すべく、国による20兆円規模の先行投資支援を行う方針を示している」

こうした大きな資金が動くことで、“新しい水素”に関わる「人・モノ・こと」にも新たなる動きが出ている状況だ。

“新しい水素”とは、再生可能エネルギー由来の「グリーン水素」、化石燃料由来で排出したCO2を回収・貯留・利用して、実質的なカーボンニュートラルと考える「ブルー水素」のことだ。


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精製方法によって区分される水素の俗称。出典:資源エネルギー庁

これに対して、従来の化石燃料由来の水素は「グレー水素」と呼ばれる(資源エネルギー庁の資料より)。

また、国はこうも言う。

「かつての水素基本戦略では、水素の技術を確立し、世界に先駆けて国内水素市場をつくりあげることを念頭に置いて策定。他方、世界の水素市場は2050年までに2.5兆ドル/年の収益と、3000万人の雇用創出が予測されることから、国内市場のみならず、海外市場の取り組みを念頭に置いた戦略の改定が必要」

“かつての水素基本戦略”である2017年の施策や、それ以前の水素関連政策を見返してみると、実証から段階的に家庭用燃料電池のエネファームとトヨタ「MIRAI」等の燃料電池自動車(FCEV)の普及を拡大するといった、“社会受容性をじっくりと吟味する、社会実装まで余裕を持った理想論”というイメージが改めて浮かび上がる。


初代MIRAIは2014年に登場し、水素を身近なものにした(写真:トヨタ自動車)

そのため、エネファームもFCEVも水素インフラの普及についても、あくまでも努力目標にとどめていた。

関係各省庁や自治体が、水素に関連する各種補助金等を用意したとはいえ、規制をともなうような普及のための強制力はなかった。

こうした状況が2020年代に入り、“一変した”のだ。

今回、改定された水素基本戦略も、「国内での利活用」のさらなる拡大を前提としたものであることは変わらない。しかし、そこからは「エネルギー/経済安全保障対策」と「国際競争力強化」を急務とする「待ったなしの緊急事態」といった雰囲気を感じるのだ。

「すでにここまで…」と驚くヨーロッパ事情

その背景にはさまざまな事情があり、複雑に絡み合っている。

最も大きな要因は、ロシアのウクライナ侵攻による、ヨーロッパのエネルギーシフトだ。ヨーロッパでは今、エネルギー源を、天然ガスから水素へと急速にシフトしている。欧州連合として、またヨーロッパ各国や各地域における水素需要の取り込み方は、凄まじいものがある。

風力発電や太陽光発電等の再生可能エネルギーに由来する「グリーン水素」の地産地消のみならず、化石燃料由来で発生したCO2を地中に埋め、再利用するCCS/CCUS(回収・貯留・利用)により実質的なカーボンニュートラルとする「ブルー水素」を、世界中から“かき集めている”といった状況にあるのだ。

そうした実態をまとめた資料をごく最近、ある日系自動車関連企業が社内で共有したところ「すでにここまでの規模になっているとは……」と、驚きの声が社内各所から上がったという。ヨーロッパの水素シフトは、壮大かつ急速に進展しているのだ。

またアメリカでは、2022年8月に制定されたIRA(インフレ抑制法)によって、連邦政府から水素関連企業に対する実質的な支援が拡充され、アメリカ国内の水素関連産業が成長軌道に乗りつつある。

IRAは事実上、中国を強く意識したアメリカの投資呼び込み政策であり、これに中国、さらにヨーロッパが反応し、水素産業への投資が急加速するといった、グローバルでの水素と水素関連事業の争奪合戦が繰り広げられているところだ。

こうして“一変してしまった”水素を取り巻く環境に対して、日本はまったく新しい“攻めの水素戦略”を描かざるを得ない状況に陥ったというわけである。

水素の地産地消を目指していた地域のこれから

水素に関して、筆者は2023年6月、洋上風力発電における余剰電力からグリーン水素をつくる構想を持つ北海道の石狩市や、CCS(Carbon dioxide Capture & Strage)の実証試験でブルー水素の可能性を探っている苫小牧市の実状を取材している。

また、2000年代から世界最先端の水素研究を行う九州大学や、長年にわたり水素実証に積極的な北九州市の動きを定点観測してきた。

このうち、北九州市の現状について、同市の環境局グリーン成長推進部グリーン成長推進課に確認すると、「北九州市における水素社会の実現に向けた方向性」として次のような回答を得た。


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「北九州市における水素社会の実現に向けた方向性」(出典:北九州市)

一時、東田地区での実証実験が休止していたが、2018年7月に「北九州水素タウン構想」が再始動して現在に至っている。この構想では当初に設置した、近隣の製鉄所からの水素を送るパイプラインを再び活用している。

今後については、2023年5月11日に発足した福岡県水素拠点化推進協議会が、北九州市響灘(ひびきなだ)での、水素の大規模な利活用や国際競争力のある水素サプライチェーンの構築を目指すとしている。

同地区では2026年までに洋上風力装置25基の整備が予定されているほか、水素の輸入に対応する港湾設備の建設なども、検討される可能性があるだろう。

再生可能エネルギーによる電力や、そこで生まれるグリーン水素を由来とするエネルギーの地産地消、そして海外からのブルー水素の活用についても今後は、考えられるかもしれない。

このように北九州市は、地域の産業競争力の強化と住民の生活環境向上のため、グレー水素のみならず、グリーン水素やブルー水素を考慮した施策を、福岡県と連携して進めていく構えだ。

北九州市の水素関連施策の詳細については、近日中に改めて現地取材を予定している。

「水素先進県」山口、「水素先進都市」周南市

一方、北九州市から関門海峡を渡った先の山口県に目を移すと、少し事情は違うようだ。山口県の産業労働部産業脱炭素化推進室の資料には、「水素先進県」という表現がある。


冒頭のバイオディーゼル燃料仕様「CX-60」の写真は、山口県庁敷地内で撮影したもの(筆者撮影)

同県は、宇部・小野田地域(アンモニア工場・石油精製工場)、周南地域(苛性ソーダ工場・石油精製工場)、そして岩国・大竹地域(石油精製工場)の3つのコンビナートを持つ、世界に向けた素材供給基地だ。

NEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)が実施した2019〜2020年調査報告によると、全国での最大水素発生量は、1日あたり5900万Nm3。このうち山口県が、9.3%の550万Nm3の水素を生成している「水素の県」である。

特に周南地域は、苛性ソーダ由来の副生水素の供給ポテンシャルが高く、水素の純度も非常に高いのが特徴だ。


山口県周南市のコンビナート(筆者撮影)

そんな山口県は、これまでにさまざまな水素関連の施策を打ってきた。時系列で見ていくと、まず2004年6月に「水素フロンティア山口推進構想」を発表。

株式会社トクヤマの徳山製作所から水素パイプラインを敷き、「水素タウンモデル事業」を2004年度から2009年度まで実施した。

県内に大規模な最終組立施設である、マツダ防府工場が立地している関係もあるのだろう。この時期、山口県は公用車にマツダの「RX-8 ハイドロジェンRE」や「プレマシーREハイブリッド」を導入している。ともに、水素を燃料とするロータリーエンジン車だ。また、2011年9月の山口国体では、トヨタと日野が共同開発した燃料電池式ハイブリッドバスを運行させた。

水素製造の企業誘致では、2015年8月に中国・四国地方では初となる水素ステーション「イワタニ水素ステーション山口周南」が開業し、その後に公用車にMIRAIを導入している。


イワタニ水素ステーション山口周南(写真:岩谷産業)

水素関連事業に対する補助金の拡充にも積極的だ。例えば、2018年度には「やまぐち産業イノベーション促進補助金」を設定している。

また、周南市については、純水素型燃料電池ユニットを周南市の地方卸売市場や徳山動物園に設置したり、県内企業による太陽光発電による水素製造システムの開発を県として支援したりしてきた。

直近では、環境省委託事業として、2015〜2021年度までの7年間、「苛性ソーダ由来の未利用な高純度副生水素を活用した地産地消モデル(周南市)・地域間連携モデル(下関市)の構築」を進めるなど、まさに、水素先進県としての挑戦的な試みを続けてきたと言える。


山口県産業労働部 産業脱酸素化推進室 主幹の小野隆弘氏・左と主任の羽根昌徳氏・右(筆者撮影)

こうした水素関連施策の振り返りと将来の方向性ついて、山口県産業労働部産業脱炭素化推進室・主幹の小野隆弘氏に聞いた。

小野氏は「水素の利活用の観点では、そもそも山口県は大都市圏に比べると人口が少なく、副生水素の活用が限定的だ」と県の実状を説明。

一方で、国のGX関連政策が動き出した昨年あたりから、特に大手企業の水素事業への関心が高まっていることを「県としても実感している」という。

そのうえで、各種実証試験で知見をためてきた地元の中小企業が、大企業に独自技術導入を提案するための勉強会や技術支援を継続的に行っていく必要があるとし、それが「県としての現実的な方法である」との考えを示した。

周南市は「わかりやすい水素の利活用」を目指す

次に周南市役所を訪問し、産業振興部 商工振興課 コンビナート脱炭素推進室・室長補佐の山根正敬氏に、周南市における水素戦略の今後の方向性について聞いた。 

その中で、何度も出てきた言葉が「市民レベルでのわかりやすい水素の利活用」だ。


周南市産業振興部 商工振興課 コンビナート脱炭素推進室の皆さん。松尾陽加氏・左、山根正敬氏・中央、井尻帆乃香氏・右(筆者撮影)

同市の水素関連施策を振り返ると、始まりは2013年まで遡る。

前述のように、大規模コンビナートで純度の高い水素が発生している周南市では、2013年6月から液体水素製造工場が操業している。液体水素製造工場としては、全国で3カ所目となるものだ。

そうした水素先進都市の強みを生かして、2013年に国・県・民間事業者・学識経験者らによる「周南市水素利活用協議会」を設置。翌2014年には「周南市水素利活用構想」を発表している。

そして、当面の達成目標年を2030年と定め、第1期と第2期の水素利活用計画を策定し、各種の施策を推進してきた。基本目標は、次の3点だ。

・水素の利活用促進に向けた環境の整備
・水素の利活用による低炭素・省エネ・災害に強いまちづくりの推進
・水素関連ビジネスの創出と市内企業の連携・競争力の強化

現行の第2期では、ステップ1(2015〜2017度)、ステップ2(2018〜2020年度)、そしてステップ3(2021〜2023年度)の3段階で進めている。

だが、ステップ3の現時点で、燃料電池車の普及台数は目標の200台に遠く及ばない38台(2022年実績)にとどまっているのが実状だ。

普及がスピードアップしていない背景について、「(他の次世代車と比べて)価格が高いこと、車種が限定的なこと、水素インフラが市内に1カ所のみであること」といった、燃料電池車が抱える典型的ともいえる課題を指摘した。


現行MIRAIの価格は710万6000円〜。価格面でのハードルも高い(写真:トヨタ自動車)

また、各種の実証実験は国の補助事業であり、過去に市内に設置した水素関連施設の一部は撤去されている。市としては、燃料電池車の水素燃料に対する補助などを行っているが、水素関連施策の全体として見れば市の予算は限定的だ。

関心は高まり小学校の社会科見学の対象に

こうしたこれまでの経緯を見ると、市民レベルでの本格的な水素の利活用については、まだ時間を要すると見られる。

それでも多くの周南市民は、コンビナートを基盤とする各種産業が市民生活を支えていることを理解しており、各種の報道や市の普及啓発活動によって、「わが町が水素先進都市であること」を十分、認識しているという。例えば、小学校の社会科見学に水素関連施設が含まれることがあり、市外の小学校からも見学があるそうだ。

また、以前に実施していた環境省事業の実施期間中ほどではないようだが、国がGX戦略を打ち出したあと、各方面から水素先進都市・周南市への関心は高まっていると、市は認識。人材育成や新な企業誘致に向けた各方面との会合も、継続して実施しているところだ。

その他、変わり種としては、水素が入った周南市の地酒が販売されている。創業200年の酒蔵「はつもみぢ」とトクヤマが共同開発した、「水素晒(すいそさらし)」だ。


水素が入った地酒「水素晒(すいそさらし)」(筆者撮影)

「はつもみぢ」12代目蔵元の原田康宏氏によると、そもそもはトクヤマ社内でのアイディア検討イベントの中で発案されたものだというが、「開発には数年間を要した」という自信作だ。


「水素晒」と「はつもみぢ」12代目蔵元の原田康宏氏(筆者撮影)

周南市としては、今後も市民に寄り添った形でさまざまな水素の利活用を検討していく。

これまでの施策における知見と、国が打ち出したGX戦略による水素関連事業の環境変化を踏まえて、2024年度以降の新たなる水素利活用計画を示すため、現在準備を進めている段階だ。

議論は当然、グリーン水素やブルー水素への対応、またアンモニアや合成メタンについても及ぶだろう。それでも、周南市にとって苛性ソーダ由来の水素は「地域資源」であり、これからも「利活用が重視されるべき」という立ち位置に変わりはないだろう。

例えば、グリーン水素やブルー水素を想定した水素関連機器や商品の基礎研究の中で発生する水素を、市外の企業などが積極的に活用することも考えられる。また、既存の水素に加えて、太陽光などによる水電解で得たグリーン水素を、港湾関連で使う燃料電池パッケージで利活用することもありうるだろう。

国が水素とともに利活用を推進するアンモニアや合成メタンについても、周南市内での直接的な利活用に限らず、「周南市が生み出す新たなるエネルギー」として、国内外の産業界での利活用が進むことも期待される。

「水素を使う人々の顔」が見える戦略を

グローバルで水素産業が大変動期に入った今、国はグリーン水素とブルー水素の導入に多大な投資を推進し始めようとしているところだ。

その中で、当然ながら忘れてはいけないのは、「人はなぜ、水素が必要なのか」という、日常生活における「水素の利活用」について真正面から向き合う姿勢を貫くことである。

理論上のCO2削減達成目標からのバックキャストだけでは、「水素を使う人々の顔」が見えてこない。水素を机上で色分けするのではなく、「人中心」の水素のあり方について、今一度考えるべき時期だと強く思う。

(桃田 健史 : ジャーナリスト)