WBCでアメリカに勝利した大谷翔平(EPA=時事)

WBCで日本代表監督を務めた栗山英樹氏が、監督任命から優勝までの日々を振り返った書籍『栗山ノート2 世界一への軌跡』より、一部抜粋・再構成してお届けします。

人生の答え合わせ

アメリカへ着いてから数日は、時差ボケに悩まされました。アメリカにいても体内時計は日本のままで、朝から音楽を聴いていました。

試合後に音楽を聴くことはありますが、日中はその日の試合について考えているので、基本的に音のない生活を過ごしています。私自身にとってはレアなケースで、さだまさしさんの『案山子』と、中島みゆきさんの『銀の龍の背に乗って』を、繰り返し流しました。

さだまさしさんの楽曲は、学生時代から聴いていました。プロ野球選手になりたかった当時の自分を思い出して、まさか自分が侍ジャパンの監督になり、本場でアメリカと勝負することになるとは、との感慨が湧き上がってきました。

中島みゆきさんは北海道出身なので、北海道に住んでからはそれまで以上に聴くようになりました。『銀の龍の背に乗って』を聴いていると、監督としての自分の非力さや拙さを痛感させられて、自己嫌悪のらせんに陥ってしまいます。それではいけないと別の自分が立ち上がり、いまこの瞬間の幸せを嚙み締めました。

小学校から野球に打ち込んで、中学時代にアメリカのチームと対戦しました。こちらは関東選抜で、あちらは単独チームだったと記憶していますが、「強いな」と感じたことを覚えています。

それ以降は、高校でも、大学でも、プロに入っても、大舞台で思う存分野球をやった記憶はありません。いつも壁に打ち負かされ、いつかきっと、いつか必ず、と思ってバットを振り、ボールを追いかけました。

ファイターズの監督を拝命してからは、大好きな野球を存分に戦える舞台に立つことができました。しかし、当然のことながら勝負の世界は厳しく、最後の3年間はBクラスが続き、のたうち回るように監督生活を終えました。

森信三先生は「すべてためになる」と言います。苦しみは学びとなり、夢の舞台に立つために情熱をたぎらせ、知恵を働かせて前へ進みます。

自分にとっての夢の舞台に立って、どんな景色が広がっているのか見てみたい。年齢を重ねてもそんな思いは強くなり、ついにWBCの決勝という夢舞台で、アメリカと戦うことができる。

多くの先輩方がメジャーリーグに追いつけ、追い越せとやってきたからこそ、日本野球のいまがあります。先人たちが踏み出し、踏み固めてくれた道があるからこそ、私たちは野球に魅せられ、打ち込み、人生を懸けることができた。

だからこそ、黄金の好機とも言うべきこのチャンスを、逃してはいけない。2023年の1月1日のノートに、「WBCは人生の答え合わせになる」と書きました。ファイターズの監督としての10年間は、果たして何だったのか。WBCを戦うことで、あれだけ苦しんだ意味が分かるのではないかと考えたのです。その答えを、しっかり感じ取って、記憶に刻み付けよう。

いよいよ、その日がやってきます。

宿題を残す

準決勝から決勝までの間に、いくつか解決しなければならないことがありました。

ひとつ目は、村上の打順です。

私がカラーで見てきた現実になる姿は、「4番、村上」でアメリカを倒すというものでした。翔平や吉田は色々な経験を積んできて、何番で打っても微動だにしない自己が確立されています。23歳の村上にはWBCを経て彼らと並び立ってほしいので、4番でチームを勝たせることで彼自身のステージをさらに上げ、日本球界を引っ張っていく存在になってほしい、と考えていました。

調子そのものは上がりきっていないけれど、前夜のサヨナラ打は間違いなく好転のきっかけになります。彼にとってベストの起用法は4番に戻すことなのか、それとも5番のままなのか。深夜まで答えは出ず、ベッドに入っても煩悶は続きます。

答えが出たのは翌朝に目が覚めて、脳がすっきりしたときでした。第4章でふれた渋沢栄一さんの「成功と失敗は、心を込めて努力した人の身体に残るカスのようなもの」という言葉から、今回のWBCでの成功は気にしなくてもいいのだろうと考えました。

そのうえで、「大善は非情に似たり」の姿勢を取るべきだと決めました。4番に戻すよりも悔しい思いをさせたままのほうが、村上宗隆という選手にとって将来的にプラスになる、と考えました。

4番から5番へ落としたときはLINEで通話をしましたが、今回はメールで「このまま5番でいきます。ムネに宿題を残します」と伝えました。

決勝戦で活躍をすることになっても、「4番ではなく5番だった」という事実が残ります。残された宿題は、成長への糧になる。「終わり良ければすべて良し」と言われることがありますが、たとえば入社したばかりの社員や成長過程のスポーツ選手には、次の仕事や大会につながる宿題を、つまり課題を与えていいのでしょう。

それは、成長の養分です。

慎独

打順は決まりました。次は投手です。先発は今永とし、細かく継投していきます。現在の調子から考えて、投げてもらう順番を決めました。

あとは、翔平とダルです。

翔平については、2日前の会話で必ずいくと信じていました。

ダルについては、待つしかありません。

球場入り後、吉井投手コーチから報告がありました。

「監督、ダルが『いきます』と。順番はどうしますか?」

2人で話をして、ダルは8回に決めました。翔平は9回の登板を基本として、打順の巡りや試合展開を睨みながら、7回以降まで可能性を広げておく。最終的には、試合前に本人と話をして決めることにしました。

2016年のクライマックスシリーズ第5戦で、翔平に抑えでマウンドに上がってもらいました。日本人最速の165キロを記録して、三者凡退で締めくくった試合です。この試合の彼は指名打者で出場していたのですが、ベンチの近くにブルペンがあったので、試合展開を見ながら肩を作ることができました。

今回は、そうもいきません。ブルペンがレフトの後方にあるのです。ベンチとブルペンの動線を調べると、グラウンドに出ないでブルペンまで行けるルートを見つけました。10メートルほどお客さんが歩くスペースを通らなければならないのですが、この動線を使える確認はしておきました。

誰かに頼まれたわけでもなく動いた大谷翔平

あとは、翔平がどうやって肩を作るのか。試合前にやるべきことが多く、練習中にゆっくり話す時間を取れませんでした。慌ただしくブルペンとイニングの話をすると、翔平は力みのない口調できっぱりと言いました。

「大丈夫です。肩を作るのは自分でやりますので、気にしないでください。監督が思っている9回に合わせます」

翔平なりのイメージは完全に出来上がっている。それは、私が考えているものと寸分違わず重なり合っています。

ビハインドを大きく背負う展開では、ダルと翔平を無理に登板させることはできません。追いかける展開だとしても1、2点差です。

必ずリードして終盤へ持っていく。何としても2人につなぐ――そんな言葉が心に浮かびました。

私自身も試合前の準備を進めていると、岸マネジャーがスマートフォンの写真を見せてくれました。今日これから投げる投手たちに、翔平がアメリカの打者の映像を見ながら、傾向と対策をレクチャーしてくれているひとコマでした。誰かに頼まれたからではありません。翔平自身がみんなの役に立ちたい、と考えたからでした。

一枚の写真を見つめる私の胸に、儒教の経書『大学』に収められている「慎独」の二文字が広がりました。「誰も見ていないところでも心正しく、雑念を抱かずに行ないを慎む」というものです。侍ジャパンの監督を引き受ける以前から、大事にしている言葉です。

若い投手陣にアドバイスする翔平は、まさしく「慎独」の精神に包まれていました。

確乎不抜の志

試合前のスタメン発表の前に、選手たちにしっかりと伝えたことがあります。「この強いアメリカに勝つために、みんなに集まってもらいました。普通に力を発揮してくれれば、我々のほうが強いです」と言いました。

それから練習へ向かい、試合直前に翔平に話をしてもらいました。侍ジャパンを応援してくれるみなさんが広く知ることになる、あの名言が飛び出した瞬間です。

「僕からはひとつだけ、憧れるのはやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見たらマイク・トラウトがいたり、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しもが聞いたことのある選手たちがいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるためにきたので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、いこう!」

実は試合前に、こんなことがありました。

通訳の水原一平が、ボールを3ダースほど抱えて監督室の前を通りました。私の視線に気づいたのか、一度は通り過ぎたものの戻ってきます。彼が抱えているのは、マイク・トラウトのサインボールでした。トラウトと翔平はエンゼルスのチームメイトで、一平も知り合いということで、サインボールをお願いされたのだと聞きました。

そういうことも踏まえたうえで、翔平は「憧れるのをやめましょう」と問いかけたのでしょう。


『易経』の教えに「確乎不抜」というものがあります。意思や精神がどっしりとして、何事にも動じないさまを表わしています。

アメリカという巨大な敵を前にしても、怯まず、臆さず、気後れせず、ためらわず、敢然と立ち向かっていく。翔平のひと言は、侍ジャパンの原点とも言うべきスピリットを呼び覚ましてくれました。

難しい仕事を担当することになったり、強いチームと対戦することになったりすると、気持ちがもやっとしたり、重圧が肩にのしかかってきます。そんなときこそ、「確乎不抜の志」で挑みませんか。

『易経』はいまから3000年も前に成立した思想です。それだけ長く受け継がれてきたのですから、たくさんの人を救い、勇気づけてきたに違いありません。きっとあなたも、そのひとりになれるはずです。

(栗山 英樹 : 北海道日本ハムファイターズ前監督)