人気レーサーのひとり、山原さくら

矜持と情熱
〜ミラクルボディを持つガールズたちの深層〜
山原さくら インタビュー

【親子鷹レーサーの意外な過去】

 ガールズケイリンのトップレーサー山原さくらは、父・利秀も競輪選手。幼い頃からその影響を多分に受けて育ったと思われがちだが、実際はそんなことはなかったと笑って話す。

「もちろん子どもの頃から競輪場に行き、父を応援していました。でもそれは仕事をしている父を応援しているのであって、自転車自体には興味はなかったですし、かっこいいとか、自分もやりたいとは思わなかったですね。むしろ母が草月流のいけばなをやっていたので、その影響を受けていました。かなり大きくなるまでスポーツとはかけ離れた生活をしていたんですよ」

 スポーツが嫌いだったわけではなく、高校で何か新しく始めたいと思ったが、ほとんど運動経験がなかった山原は入れる部活がなく、断念。悩んだ末に山原は「女子高生ライフを存分に楽しむ」と決める。そこで勤しんだのが、母が聴いていたことでハマったEXILEの"推し活"だった。スーパーでレジ打ちのバイトを始め、そこで稼いだ資金を持ってライブやイベントに足しげく通っていたという。本人の言葉の通り、およそスポーツと縁のない生活だった。

 しかしそれが今や、ガールズケイリンで人気、実力ともに屈指の存在だ。今年4月にはガールズケイリン史上3人目となる通算500勝を達成した。その競技人生は波乱万丈と言える。

【自転車を始め、急成長】

 山原が初めて競技として自転車に乗ったのは、高校2年生の冬のことだ。

「ちょうど進学か就職かを考える時期でした。そんな時に父がガールズケイリン復活を知らせるチラシを持ってきて、それを見た母が『自転車で一番になればEXILEのメンバーに会えるかもしれないよ』と勧めてきたんです。それならやらなきゃと悩む間もなく、決めました」
 
 ここから山原は急成長を見せる。自転車競技どころか、体を動かす習慣すらなかったにも関わらず、父の指導を受けることで才能を覚醒させ、高校3年の5月に開催されたJOCジュニアオリンピックカップ自転車競技大会のスプリントで優勝してしまった。数ヶ月前まで"推し活中心"の生活を送っていた女子高生の躍進に、周囲が驚いたことは言うまでもない。そして山原自身も知らない自分自身に気がついたという。

「スプリントで優勝できましたが500mタイムトライアルでは2位だったんです。それがすごく悔しかった。私はそれまで人と競い合うことがなかったので、ここで初めて自分は負けず嫌いなんだと気がつきました」

 この好結果で、一躍、ロンドン五輪の代表選手候補に名前が挙がった山原は、2011年春の高校卒業にあたり、地元企業に就職しつつも、世界の舞台を目指した。最終的にその選考に漏れ、五輪出場の道は閉ざされたが、もう自転車競技への思いは止められなかった。

「オリンピックは自分の力では難しいと気がつきましたが、自転車をやめる気持ちはなかったですね。ナショナルチーム候補として練習している時、ガールズケイリン1期生の選手たちが競輪学校(現日本競輪選手養成所)で練習する姿を近くで見ていたので、私もそこでやってみたいと思いました。それは本当に自然な流れだったと思います」


高いポテンシャルを誇る山原

【訪れた人生最大の試練】

 2013年5月にデビューし、すぐに初勝利、初優勝。1年目でガールズケイリン最高峰のレースであるガールズグランプリ(4着)の出場も果たした。安定感が持ち味で着実に勝利を積み重ねるだけでなく、2016年には特別レースのひとつ「ガールズケイリンコレクション」でも優勝を飾っている。しかし順風満帆だった山原の前に大きな試練が立ちはだかった。

「2019年11月、ガールズグランプリの出場権を賭けた『ガールズグランプリトライアル』の直前に、ホテルで倒れてしまったんです。その前からずっと体調が悪くて、疲れも取れず、おかしいなと思っていたんですが、私が我慢強くて、我慢しすぎた結果、動けなくなり、救急車を呼ぶことになってしまって」

 病名は卵巣嚢腫茎捻転(らんそうのうしゅけいねんてん)※。手術をし、長期入院での療養が必要となり、選手としてのキャリアも一時、中断を余儀なくされた。そこから厳しい復帰への道が待っていたが、山原はここで持ち前の明るさを発揮する。
※卵巣に腫瘍ができ、それが捻れて症状が出る病気

「手術を受けるまでは不安でしたが、お医者さんから『3ヶ月で元気になる』と言われ、すぐに前を向けました。いちばん苦労したのは体重管理。私はすごく太りやすいんです。入院中はプロテイン中心の食事にして人生最低体重を維持できたのですが、退院後、家に帰ったら(最低体重を気にした)母がたくさんスイーツを用意してくれていて、私もそれに抵抗できず、やっぱり太ってしまい(笑)。こんな体では恥ずかしくて復帰できないと思い、必死で練習して、体重を落としました」

 むしろ本当の苦しみはここから始まった。半年後に復帰を果たし、モチベーションにしていた優勝も予想より早く手にできた。いざビッグレースへと思いを新たにしたものの、腹部の痛みはまだ完全に治っておらず、思うように練習ができない日々が続き、勝てなくなっていく。そのフラストレーションで気持ちが落ち込んだという。

「そんな状態でしたが、優勝すればガールズグランプリに出られる特別な開催『ガールズグランプリトライアル』に出られたんです。みんながそれこそ命を賭けるほど真剣に挑むレースなので、自分なんかがここにいていいのかと考えてしまい、本当に恥ずかしかった。でもそこでファンの皆様からの声援を受けて、こんな自分でも見てくれている人がいるって思えたことが嬉しかったですね。ここで自分のペースで頑張ろうって気持ちを切り替えてから、すべてがいい方向に向き始めました」


今は病気も完治し好成績を残し続けている

【人とのつながりを感じられる仕事】

 2022年、山原は勝利を積み重ね、6年ぶりにガールズグランプリ出場を果たした。そこで2着に入り、完全復活を印象づけた。30歳になった今、キャリアのピークを迎えている。

 病気を経験したことでメンタルが確実に強くなったと山原は話す。痛みもその後の経験も、あれほど苦しかったものはない。それを乗り越えられたのだから、どんな困難でも乗り切れるはずと、何事にも前向きに考えられるようになった。

「ここまでを振り返れば、大変なこともあったけれど、ファンの皆様やいろいろな選手など、人とのつながりを感じられる仕事をしていることを実感しています。今は後輩の選手にも自分の経験を伝えていきたいと思うようになりました。自分の言葉に説得力を持たせるには、もっと強くならないと。まだ獲れていないグランプリなどのビッグレースを勝ち、そしてファンの皆様に実際、競輪場でレースを見たいと思える選手になれるように、これからも頑張ります」

 EXILEのメンバーにはまだ会えていない。だが多くの人との出会いがあるこのガールズケイリン選手という仕事を、山原はとても気に入っている。

【Profile】
山原さくら(やまはら・さくら)
1992年12月11日生まれ、高知県出身。高校時代に自転車競技をやり始め、高校3年のJOCジュニアオリンピックカップ自転車競技大会のスプリントで優勝し、翌年の全日本アマチュア選手権大会 スプリントでも優勝を飾る。19歳の時に競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入り、20歳でデビュー。その後は着々優勝を積み重ね、2023年4月にガールズケイリン史上3人目となる通算500勝を達成した。