登場時の京成「スカイライナー」AE車(撮影:南正時)

飛行機の旅がまだまだ一般的でない時代、空港までのアクセスはタクシーやバスに頼らざるをえなかった。

日本で空港と市街地を結ぶ本格的なアクセス鉄道は、東京オリンピックを控えた1964年9月に浜松町と羽田空港間に開業した「東京モノレール」が最初だった。その後、成田空港が開港すると、都心から遠いこともあり高速移動できる鉄道が求められるようになった。

現在は全国各地に空港への鉄道路線があり、そして現在、JR東日本が2031年度の開業を目指して羽田への新たな路線となる「羽田空港アクセス線(仮称)」の整備を進めている。

今回は「空港アクセス鉄道」をテーマに、隠れたエピソードを交えて振り返ってみよう。

リニア構想もあった成田アクセス

成田空港や新千歳空港などの都市部から離れた空港は、今でこそ京成「スカイライナー」やJR北海道の快速「エアポート」などが高速運転で都市部のターミナルと結んでいるが、これらの空港にはかつて、より速い「高速鉄道」の計画があった。

東京駅と成田空港を結ぶ路線として計画されていたのは「成田新幹線」で、同区間を約30分で結ぶとされていた。そのルートは東京駅南側から越中島や葛西、鎌ヶ谷、千葉ニュータウン、印旛沼付近、そして成田市土屋を経て空港に至るというものだったが、計画は断念。工事中に頓挫した新幹線は異例であった。その設備と用地を活用し、現在の京成・JRは成田空港ターミナルに乗り入れている。

一方、成田空港へのもうひとつの高速鉄道構想が、日本航空(JAL)が計画していたリニアモーターカーだった。JALが開発したのは「HSST」(High Speed Surface Transport)と呼ばれる常電導磁気浮上システムのリニアで、JALはこの車両を「実験機」と呼んでいた。成田空港アクセスのほかに、千歳空港―札幌市内のアクセス用の交通機関としても考えられており、計画では札幌―千歳空港間を時速300km程度、所要時間8分で結ぶというものだった。

JALのHSSTは1985年のつくば科学万博に出展し、時速30kmで会場内を運行した。さらに1989年に開催された横浜博覧会では2両編成のHSST05型が走った。これは鉄道事業法に基づくリニアモーターカーによる日本初の「営業路線」で、美術館駅―シーサイドパーク駅間の515mを運賃600円で運行した。


JALが空港アクセス向けとして開発したHSST。1989年開催の横浜博覧会会場を走る姿(撮影:南正時)

HSSTは結局、空港アクセス鉄道に活用されることはなく、JALは開発からも撤退。だが、その成果は2005年の愛知万博開催時に開業した愛知高速交通「リニモ」に生かされている。

成田空港アクセスの紆余曲折

1978年の成田空港の開港に先駆けて、1973年12月から京成上野―京成成田で運行を開始した特急が京成電鉄の「AE車」と呼ばれた特急車だ。AEは「Airport Express」の頭文字。空港アクセス特急として走り始めたのは、成田空港開港時の1978年5月だった。愛称は「スカイライナー」。現在のスカイライナーは所要時間40分程度だが、当時は京成本線を経由したため60分かかった。

筆者は運行開始直後に渡欧のため「スカイライナー」で成田空港に向かったが、京成本線はとくに都心部は名だたるカーブ路線で車体の揺れが大きく、当時は決して快適な特急とは言えなかった。トイレの便器の消毒液が揺しい揺れと同時にあふれ出てズボンを濡らしたことなど、今となっては黎明期の思い出のひとつだ。

当初はクリーム色と茶色という落ち着いた塗装だったAE車は、1983年から青と赤のストライプ塗装に変えてイメージアップを図った。開業時からしばらくは成田空港駅(現・東成田駅)から空港ターミナルまでバス連絡だったが、1991年3月にはターミナル地下に直接乗り入れ、アクセス鉄道としての機能が大きく向上した。


AE車の後継として1990年にデビューしたAE100形。登場時の姿(撮影:南正時)

スカイライナーが大きく飛躍したのは、2010年7月の成田スカイアクセス線開業であろう。北総鉄道の印旛日本医大駅から線路をさらに東へ延ばして成田空港まで直結し、新しく登場した2代目「AE」スカイライナーが在来線最速の最高時速160km運転で、日暮里―成田空港間を最速36分で結んでいる。

成田新幹線計画が国鉄分割民営化とともに消滅した後、JR東日本は成田空港アクセス列車として1991年3月から「成田エクスプレス」(N'EX)の運行を開始した。京成の空港ターミナル乗り入れと同時で、これは先述のとおり成田新幹線用の施設や用地を活用した空港への乗り入れ路線ができたことから実現した。

N'EXはJRのネットワークを生かして新宿、横浜、大宮など首都圏各地のターミナルから発着し、京成の強力なライバルとなった。初代の253系は、分割・併結による柔軟な運転を考慮した3両ユニットの構造と、それまでの国鉄やJRの特急車両とイメージの違うデザインが目を引いた。とくに向かい合わせの固定座席は、筆者にはフランスの電車を思わせるエレガントで落ち着いた雰囲気にように感じられた。20年足らずで世代交代し、2010年以降は後継のE259系によって運行されている。


山手線の205系と並んで走る「成田エクスプレス」の253系(右)(撮影:南正時)

モノレール独占が破られた羽田アクセス

一方、長らく東京モノレールが独占していた羽田空港アクセスも、1990年代に大きく変貌した。

京急には東京モノレール開業前から空港線があったが、駅は空港ターミナルとかなり離れており実際には空港鉄道とは言えなかった。だが1993年には空港乗り入れを目指して羽田駅(現在の天空橋駅)まで延伸、1998年には空港への直接乗り入れが実現し、羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業。アクセス路線として本格的に機能するようになった。


京急空港線が空港ターミナル地下に乗り入れる前、「羽田」(現・天空橋)行きの北総開発鉄道(当時)7000系電車(撮影:南正時)

京急蒲田駅は、地上時代は2面3線で品川・横浜方面の列車と空港線の列車をさばいていたが、2010年5月には京急蒲田―大鳥居間の上り線が高架化、さらに2012年10月には下り線も高架化され、ダイヤの制約が大幅に軽減された。箱根駅伝のコース上として有名だった踏切も姿を消し、現在は「要塞」とも言われる巨大な高架駅となっている。

成田アクセスを担う京成と羽田アクセスを担う京急は都営浅草線を介して直通しており、成田空港と羽田空港という首都圏の大空港を直通する列車があるのは特筆すべき点だろう。日中は北総線を経由して都営浅草線・京急線方面にほぼ30分毎に運転されており、成田空港駅から羽田空港第1・第2ターミナルまでの所要時間は北行が1時間36分、南行が1時間34分である。

ここまで成田・羽田への鉄道を紹介してきたが、当然ながら空港アクセス鉄道はこれだけではない。1990年代以降、各地のアクセス鉄道整備は着々と進んだ。その歴史を簡単にたどってみよう。

国鉄で初めての空港アクセスは、1980年に開業した千歳空港駅(現・南千歳)だった。この時点ですでに、北海道と本州の行き来が航空主体であったことを示している。現在の新千歳空港駅が開業したのは新千歳空港ターミナルビルがオープンした1992年7月で、ビルの地下に直接列車が乗り入れるようになった。アクセス列車の快速「エアポート」は札幌都市圏を代表する列車の1つといえる。


「快速エアポート」のヘッドマークを付けたJR北海道の721系電車。ヘッドマーク取り付けは1990年代末で終了した(撮影:南正時)

新千歳空港駅開業の翌年、1993年3月に開業したのが福岡市地下鉄の福岡空港駅だ。博多駅からの所要時間は5分、繁華街の天神からも10分程度と非常に便利な空港アクセス路線である。地下鉄空港線はJR筑肥線と直通しており、JR車両も空港駅に乗り入れる。

次いで1994年に開港した関西国際空港への路線は、JR西日本と南海電鉄の2社が同時に運行を開始した。JRの特急「はるか」は野洲・京都方面から関空まで直通し、今年3月の大阪駅「うめきた」新ホーム開業によって大阪駅にも停車するようになり、より利便性が高まった。一方、難波と関空を結ぶ南海の特急「ラピート」は奇抜なデザインで注目を集め、登場から約30年を経た今も人気が高い。関西のもう1つの大空港、大阪国際空港(伊丹空港)には1997年に大阪モノレールが乗り入れた。


JR関西空港線開業前の報道公開で並んだ281系「はるか」(右)と223系2000番台(撮影:南正時)

JR羽田アクセス線で何が変わる?

その後も空港アクセス路線整備は続く。日南線田吉駅から分岐し、宮崎空港旅客ターミナルに直接乗り入れる宮崎空港線は1996年に開業。戦後長らく鉄道がなかった沖縄県では、2003年8月に沖縄都市モノレール(ゆいレール)の那覇空港―首里間が開業した。

2005年に開港した中部国際空港へは、名古屋鉄道(名鉄)の空港アクセス列車「ミュースカイ」が最速28分で名鉄名古屋駅とを結んでいる。2007年3月には、仙台空港へのアクセス路線として第三セクターの仙台空港鉄道が開業。仙台駅から東北本線経由で直通し、快速は17分で結んでいる。

そして現在、JR東日本は2031年度の開業を目指し、羽田空港アクセス線の建設に着手するとしている。ルートは田町からの東海道貨物線(大汐線)を整備し、東京貨物ターミナルと羽田空港間5kmに新線を建設して東京―羽田空港間を約18分で結ぼうというものだ。開業すれば、羽田アクセスの新たな競争時代が到来するだろう。


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(南 正時 : 鉄道写真家)