コロンビア戦に登板したWBCカナダ代表のスコット・マシソン【写真:Getty Images】

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コロンビア戦の9回に登板…2安打されるも無失点に封じた

 第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンド・プールCは14日(日本時間15日)、米アリゾナ州のチェイス・フィールドで2試合が組まれ、第1試合でカナダがコロンビアに5対0で完封勝利。9回には元巨人のスコット・マシソン投手が登板し、2安打無失点の好投。1次ラウンド突破に向け望みをつなぐ白星に貢献した。【フェニックス(アリゾナ州)=木崎英夫】

 11日(同12日)に開幕したプールCで、カナダはこの日が3戦目。マシソンに初の登板機会が訪れたのは5点をリードした9回だった。先頭の8番メルカドに初球の真っすぐを狙い打ちされ左前に運ばれた。ここからコロンビアは代打攻勢をかける。9番フリアスに代わるメンドーサに内野安打を許し無死一、二塁。ピンチを背負った場面で、真っすぐを封印した。

「昔のようなストレートはもう投げられないからね。なのでストレートを捨ててツーシームでいきました」

 日本時代には当時歴代4位となる160キロを計測した球も、この日は90マイル(約145キロ)が最速だった。マシソンは1番ラミレスの代打サンチェスにツーシームで挑み遊撃へのゴロで併殺に仕留める。そして2死三塁となった場面で迎えたのが、今季から大谷翔平のチームメートになるエンゼルスのウルシェラだった。出方を見る77マイル(約124キロ)のカーブで好打者を誘いライン際への左飛に打ち取り無失点でカナダの2勝目に貢献した。

 9日に行われたマリナーズとの強化試合以来、5日ぶりの実戦登板だった。宝刀スプリットは織り込まず、球威が落ちた直球も途中から捨てた。それでも打ち取れる自信があった。巨人時代に寄り添ってくれた「シンノスケ・アベから学んだ」配球を駆使し持てる力を9球に集約した。

9年前に一発食らったバレンティンと言い合い…2軍降格を覚悟した

 マシソンは、地元メディアから初陣について問われるとその心境を簡潔に述べた。

「僕の野球人生はずっと不安と緊張を強いられる場面での投球でしたから。気持ちは多少高ぶってはいましたけどね。でも5点差があったので、積極果敢にゾーンを攻めストライクを取る意識を持って投げました」

 日本時代の不安と緊張の日々からマシソンは多くを学んできたという。

 自分を強くした、その始まりが9年前の4月だった??。

 2014年4月16日の神宮球場。1点リードの9回に登板したマシソンはヤクルトの主砲バレンティンに同点弾を浴びた。セーブチャンスをふいにしたばかりか、ダイヤモンドを回る際にバレンティンと言い合い、両軍のベンチが飛び出す不穏な空気を作ってしまった。試合後、監督室に呼ばれた。2軍の降格のお告げを覚悟した。ところが、原辰徳監督からまったく予期せぬ言葉を耳にする。

「グッジョブ! 強気でいい投球だったじゃないか。闘争心にあふれていたな。僕は君をクローザーとして使うから。あしたから頑張って!」

原監督の言葉が「ずっと僕の背中を押してくれている」

 マウンドに上がる意欲は巨人時代と今も変わらない。2月で39歳になったが、「ハラサンが僕に自信を持たせてくれました。あの日のことがずっと僕の背中を押してくれています」と明かす。

 2012年から2019年までの8年間、巨人に在籍し引退。その後、2021年の東京五輪米大陸予選にカナダ代表メンバーの一員として出場したマシソンは今回、2度目の代表復帰を果たした。

「プロとしては引退したが、国際大会でのプレーは引退していません。チームから要請があればいつでも(カナダ代表として)プレーする」という。

 淀むことなくこの日の登板を振り返った言葉の中で、最後、いちばんのぬくもりが伝わってきた。

「ブルペンを休ませることができたのがよかった」

過去4大会いずれも予選で敗退しているカナダにとって、2次リーグ進出は悲願である。当地入り前、日本時代に痛めた左ひざに打った注射は、「さらに勝ち進めばまた打ちます」とマシソン。日本での経験とメイプルリーフ旗への熱い想いを胸に右腕は次の登板機会を待つ。(木崎英夫 / Hideo Kizaki)