全米オープン、大会2日目。

 大坂なおみの初戦である対ダニエル・コリンズ(アメリカ)戦は、センターコートのナイトセッション、1試合目に組まれた。

 試合開始時間がいわゆる"プライムタイム"の夜7時であるこの枠は、その日行なわれる試合のなかで、最も視聴者数の見込めるカードが組まれやすい。

 なお、大会2日目は女子第1シードのイガ・シフィオンテク(ポーランド)の試合もあった日。世界1位を差しおいてのセンターコートでの開幕戦は、大坂なおみのアメリカでの人気や知名度を裏づける現象だった。


大坂なおみは復活するのか、それとも...

 米国経済紙『フォーブス』が今年5月に発表したアスリートの年収ランキングでも、大坂は5920万ドル(約84億8000万円)で全体の19位、女性アスリートのトップを記録している。

 全米オープン開幕時の世界ランキングは44位。今季のグランドスラムの戦績では、全豪オープン3回戦が最高で、全仏オープンは初戦敗退。ウインブルドンは欠場している。

 それでも彼女の市場価値は、まるで衰える気配がない。その理由を、そして現在の大坂の姿を、アメリカのスポーツジャーナリストはどう見ているのだろうか?

「彼女は本来、とてもテニスが好きな選手だと思います。競い合うことよりも、テニスそのものが好きなタイプ。でも最近の彼女は、テニスが楽しそうに見えません」

 言葉を選びつつそう言ったのは、多くのテニス大会でオンコートアナウンサー等として活躍し、今回の全米オープンでもMCを務めたニック・マッカーベル氏だ。テニスを取材し始めたのは2009年からで、ほかにもフィギュアスケートや陸上などオリンピック競技も多く取材している。

 マッカーベル氏が大坂の試合で最初にMCを務めたのは2015年10月。シンガポールで開催された「ライジングスター」という、若手プロモートのためのエキジビションイベントだった。

 その時、マッカーベル氏の印象に残っている大坂は、「内気」で「少し変わった子」だったと述懐する。

「ライジングスターでオンコートインタビューをした時、彼女はややシニカルなジョークを言い、それが観客にはあまり受け入れられなかった。そのことをよく覚えています。でもそれが、彼女が自分を表現する方法なのかなと思いました。本来はシャイで、人前で話すのが苦手な少女が、緊張を取りのぞくためにああいうジョークを言うのかなと」

 その約2カ月後の全豪オープンで、マッカーベル氏はあらためて大坂を取材した。当時の大坂は予選からの出場だったが、すでに"次代のスター候補"として注目を集める存在。なによりアメリカでは、"ネクスト・セリーナ"としての期待感が高かったという。

 アメリカに住む者と、それ以外の人々の理解の乖離として大きいのは、この"セリーナの後継者"という肩書の重みだろう。全米オープンで25年のプロキャリアに幕を引いたセリーナ・ウィリアムズは、テニスやスポーツの枠に収まらぬ、アメリカを象徴するスーパースターだ。

 黒人、貧しいゲットー育ち、女性......。それら複数の"マイノリティ"としての顔を持つ彼女は、既成概念や先入観を打ち破る、多様性や革新のシンボル的存在。そのセリーナも30半ばを迎え、次なるスターを求める機運がアメリカ国内で高まっていた時に現れたのが、大坂なおみだった。

「2016年の全豪オープンは、なおみが本格的に"ネクスト・セリーナ"と呼ばれ始めたタイミングだと思います。セリーナもたしかこの大会の会見で、なおみについて聞かれていました。

 人種的マイノリティであること、姉がいることや家族の足跡、そしてプレースタイルの面でも、なおみはウィリアムズ姉妹にそっくりでした。なので、彼女がセリーナの後継者と目されるのは自然だったんです。

 ただアメリカでは、セリーナの人気は絶大。もちろん一面では、ウィリアムズ姉妹と比べられることは光栄でしょう。ただ、重圧などもう一方の面では、"オーマイガッド"的状況です」

 それら重圧と注視を跳ねのけ、若くして4つのグランドスラムを獲得した大坂が、「天井知らず」の人気と市場価値を獲得したのもまた、必然だとマッカーベル氏は見る。

 ただそのうえで、現在の大坂の立ち位置に危ういものを感じる、とも彼は言った。

「全米オープンの前哨戦のトロント大会で、なおみと話しました。その時に感じたのは、彼女がこの先、どの道に進んでも不思議ではないということです。今のような感じで続けていくのかもしれない。以前いたトップレベルにも戻れるだろうし、でも、引退もあるかもしれない。

 それはもう予測不能で、ダーツを投げて、この3つのうちどこに刺さるかという感じでしょう。カギになるのは、彼女が本当にテニスを楽しめるかどうか次第だと思います」

 なお最後に、マッカーベル氏が今まで取材してきたアスリートのなかで、大坂と似た存在がいるかどうか尋ねてみた。

「そうですね......体操のシモーネ・バイルズが挙げられるでしょう。彼女もパイオニアですし、東京オリンピックでメンタルヘルス問題を世間に問いかけた動きも似ています。羽生結弦はタイプは全然違いますが、メディアの注目度やファンの人気では似たものがあるのかもしれません。トラックランナーのアリソン・フェリックスも、多様性という意味でなおみと似たアピール力がありました。

 でも......なおみと似ている人は思いつかないですね。彼女の世代で、成功とマーケティングパワーという意味で、彼女は突出しています」

 今回もうひとり、大坂なおみについて深い見識を示してくれたのは、『ワシントンポスト』紙記者のエイバ・ワレス氏。黒人と白人の両親を持つ彼女は、ある種の共感を込めて大坂を取材してきた。

 だからこそワレス氏は、最近の大坂の状況を心配する。

「今季の彼女はケガも多かったので、テニスの状態を正しく判断するのは難しいです。ただ......私は個人的に、テニスをすることが彼女の幸せであってほしいし、そうでないなら、もっと休養したほうがいいのではと思います。

 もちろんスポーツジャーナリストとしては、彼女にテニスを続けてほしい。でも彼女は、アスリート以外にもいろんな側面を持っています。メンタルヘルスの提言をしたり、ファッションに興味もあるし、ほかの選手たちのプロモートもしている。自己表現や、いろいろな情報を発信するプラットフォームが、今の彼女にとっては必ずしもテニスコートである必要はない。だったら、休むのも手でしょう」

 今の大坂にとって、ビジネスを展開する手段がテニスである必要はない、というワレス氏の分析は興味深い。

 さほどコートに立たなくても、大坂の市場価値は維持されるのだろうか? その問いに、ワレス氏は「そうだと思います」と即答する。

「アメリカにおけるなおみのブランド力は、もう確立されています。彼女はアメリカと、日本を中心としたアジア全体にリーチできる。さらには父親がハイチ人なので、カリブ海や南米のマーケティングも期待されていると思います。それに彼女には、270万人のインスタグラムフォロワーがいます。これは企業からすれば大きな評価対象でしょう。

 それに、なおみがあまり試合に出ていないことも、一般の人たちはよく知らないと思います。私たちはテニスを取材しているので、ふだんのツアーの成績も気にしますが、一般の人たちが知っているのは、グランドスラムの戦績くらい。

 彼女がツアーで初戦負けしたことは知らなくても、すでに4つのグランドスラムで優勝していることは、多くの人が知っている。もちろん、スポンサー的には彼女がコートに立つことが望ましいでしょうが、そうでなくても十分にマーケティング効果は期待できると思います」

 ここで、複数の競技取材の豊富なワレス氏にも、マッカーベル氏に向けたものと同じ問いを投げかけてみる。

 ほかに、大坂と似たアスリートはいるだろうか?

「興味深い質問ですね。アスリート全般なら、シモーネ・バイルズが近いでしょう。テニス選手なら、ココ・ガウフがコート内外の発言力も含めて似ていますよね。

 でも......性格や言動、マルチカルチャーのバックグラウンドなども含めて、彼女と似ているアスリートはほかに思いつきません。それが、彼女をここまで大きな存在にしている要因じゃないのかな? ほかに誰もいない。唯一の存在だからこそ、みんな彼女に飛びつくんだと思います」

 アメリカで多様な競技を取材している共通項があり、同時に人種や性別の異なるふたりのスポーツジャーナリストは、結果的に似た見識を示した。

 大坂と似たタイプのアスリートは、他競技も含め見当たらないこと。今の大坂の言動には危ういものも感じるが、それすらも彼女の個性や魅力になっていること。

 そして大坂なおみは、誰にとっても「エニグマ=謎」であること----。それらすべての要因が、多くの人々を引き寄せてやまないのだと。