家本政明がJリーグで忘れられない名勝負。レフェリーでも「思わず声が出てしまった」劇的展開の試合とは?
元審判・家本政明が担当した忘れられない試合 名勝負編
Jリーグで最多試合数を担当し、2021シーズンいっぱいで審判を引退した家本政明さんが、ピッチ上の「レフェリー視点」でこれまで見てきた選手、担当した試合を語る好評企画。今回は家本氏が担当したなかで、今でも忘れられない名勝負、思い出の試合を挙げてもらった。
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家本氏が「思わず声が出た」と語る一戦とは
2015年10月31日/Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝
鹿島アントラーズ 3−0 ガンバ大阪
鹿島の試合は数多く担当してきましたが、難しい試合や大変な試合もたくさんあったなかで 、「これぞ鹿島の勝ち方」「鹿島のフットボールとはこういうことなんだよな」と強烈に見せられたのが、2015年のナビスコカップ決勝でした。
カップ戦の決勝は、レフェリーにとってもリーグ戦などと比べて特別な試合になります。その決勝で、レフェリング的になにか大きなことがあると、それだけでゲームが壊れてしまいます。せっかくの華やかな舞台に醜さが関わってしまうのは、レフェリーとしてはあってはならない。タイトルがかかった一発勝負の場は、やはり独特の緊張感があるものです。
この年のG大阪は遠藤保仁選手を中心に戦力が充実していて、リーグも2位と非常に強力なチームでした。ただ、この試合で鹿島のシュート数が24本なのに対し、G大阪が5本だったことからもわかるとおり、G大阪が90分間なにもさせてもらえず。それは私のなかでもショッキングでした。
鹿島らしさはゲームの立ち上がりから強烈です。おそらくG大阪側は「様子を見ながら」という立ち上がりを想定していたと思います。でも鹿島のキャプテン小笠原満男選手が、ファーストコンタクトでガツンと激しくプレッシャーに行くわけです。「これが鹿島だな」と感じた瞬間でした。レフェリーにいい意味でプレッシャーを与えて、レフェリーごと自分たちのペースに引き込んでいく。このしたたかさこそ、鹿島がタイトル戦に強い所以のひとつです。
立ち上がりにガツッとコンタクトする場面で、ファールを取るのか。そして、ファールを取って注意で留めるのか、カードを出すのか。あるいは許容して認めるのか。大きく分けて4つのレフェリングがありますが、どこに線を引くかで、その後の選手たちへのメッセージになります。
警告や注意をする際にも、処置の仕方として強く言うのか、諭すように言うのか。また、コンタクトした選手が誰かによっても意味合いが違います。関わった選手がチームでの影響力が強いほど、やられたほうのダメージが大きくなり、サポーターも含めてゲームの気持ちの上がり方が違ったものになります。ここでレフェリーのマネジメントでボタンの掛け違いがあると、ゲームは崩壊してしまうんです。
その難しいゲームの入りで、私がそこまで神経質にファールを取らないレフェリーだとは、選手たちもお互いに知っています。そのなかで鹿島のほうがより私の判定基準を理解し、鹿島らしさを発揮して主導権を握りました。
その後は、試合終了まで鹿島が一方的にゲームをコントロールし、スコアとしても3−0の完勝。鹿島が鹿島らしく勝ちきった試合として、私の記憶に強く残っている試合です。
J1にまったく引けを取らない好ゲーム2016年7月24日/J2第25節
ジェフユナイテッド千葉 3−4 清水エスパルス
この年は前年に清水が初めてJ2に降格し、1年でのJ1復帰を目指していて、千葉も今年こそはというところです。シーズンのなかで重要な試合はいくつかあると思いますが、互いにとってこの試合はまさにそんな位置づけだったのか、両チームとも気迫に溢れていました。
展開としてはアウェーの清水が2点を先行して、その後、千葉の船山貴之選手が2点を取って同点。終了間際に長澤和輝選手が3点目を決めて千葉が勝つかと思われたところ、アディショナルタイムに清水が2点入れて4−3で劇的な逆転で勝利した試合でした。
両チームとも運動量が豊富で、プレークオリティやインテンシティも高く、球際の激しさはあるけれど決して悪質ではなく、非常にフェア。カードもほとんど出ることもなく、互いの持ち味を存分に出しあった好ゲームでした。
そのなかで唯一、レフェリング的に決定的な場面となったのが、79分の川口尚紀選手(当時は清水)の一発退場です。
一発退場はチームにとって非常にダメージが大きく、拮抗したゲームではなおさらネガティブなインパクトが強くなります。レフェリーとしても、できるならせっかくの好ゲームを壊すようなカードは出したくないと思うものです。
ただ、この時の川口選手のスライディングタックルは、スパイクの裏が相手のスネに入って、誰がどう見てもレッドカードでした。
ここでタックルにいかなければカウンターを受けて決定機を作られる場面で、川口選手としてはいかなければいけなかった。笛を吹かれたあと、彼はうなだれていました。チームメイトもレッドカードが出れば激しく抗議するものですが、この時ばかりはひと言くらいで「しょうがない」という感じでした。
清水は2点を追いつかれて、さらに1人少なくなる厳しい展開で、しかもアウェー。これは千葉に大きく流れが傾くなと思いましたが、そうはなりませんでした。
清水は非常に落ち着いていて、冷静に1点取ろうという雰囲気。この年の清水には経験豊富で主軸となる選手が多かったのは、大崩れしなかった要因だと思います。そのなかでも存在感があったのは鄭大世選手です。
彼はこの試合で2得点して、勝利に導く活躍をしました。もともとリーダーシップの能力に長け、劣勢のなかでチームを鼓舞できる選手で、あの状況で彼がチームにいたことは大きなアドバンテージだったと思います。
こういう展開では勝ちたい気持ちだったり、J1への思いだったり、いろんな感情が複雑に溢れ出してパニックに陥るケースは珍しくありません。相手はもちろん、味方やレフェリーへの当たりも強くなり、プレーも雑になって、ゲームが荒れてしまうことも十分にあり得ます。
それでも決して冷静さを失わず、最後まで中身が非常に詰まった純粋にフットボールを楽しめる試合でした。レフェリーをしていても非常にスリリングで、J1にもまったく引けを取らない好ゲームだったと記憶に残っている試合です。
思わず声が出た名勝負2016年9月25日/J1セカンドステージ第13節
川崎フロンターレ 3−2 横浜F・マリノス
「これぞ等々力劇場!」。まさにそんなゲームでした。ホームの川崎が14分、84分と2点リードして、終了間際まで優位に試合を進めていました。横浜FMも決して悪い内容ではなかったのですが、川崎が攻守において安定して、そのまま試合を終えるかと思っていました。
試合の経過でいろいろとあってアディショナルタイム(AT)が長くなり、そのなかで横浜FMがAT6分に中町公祐選手、8分に伊藤翔選手が立て続けにゴールを奪って同点。伊藤選手が決めた瞬間は思わず「うわ、入った!」と声が漏れてしまうほどでした。
しかし、そこからラストワンプレーくらいのAT10分、川崎はCKが流れたところを田坂祐介選手がもう一度クロスを入れ、小林悠選手がファーに流して決勝点。この時も私は興奮のあまり「うぉぉ!」と声が出てしまいました。
90分以上優位に進めていてそこから追いつかれるわけですから、まともな心理状態ではなく、川崎側はパニックに陥って残り数分でさらに崩れてしまってもおかしくない場面。そのなかで印象的なアクションを起こしていたのが小林選手です。
彼は「等々力でこのままでは終われないだろう!」と言わんばかりに「まだ行くぞ!」とチームメイトを鼓舞して、目が死んでいなかったのを覚えています。ほかにもさすがに全員ではなかったけれど、中村憲剛選手や大島僚太選手など、目が死んでいない選手たちがいました。
そこで点が入るかどうかはわからなかったですが、このままでは終わらない空気感は確かにありました。ただ、私としてはあの時、流れとしては横浜FMが試合を持っていってしまうかもしれないと思っていました。
ところが、ラストワンプレーで小林選手が決めてしまう。最後が小林選手というのもなんとも等々力劇場らしい結末だったと思います。
フットボールには歴史があるもので、等々力陸上競技場というスタジアムには川崎の選手やサポーターのさまざまな喜怒哀楽がたくさん詰まっている場所。その歴史が等々力劇場というワードを生み、あの空気感を作っているのだと思います。
また、等々力は陸上競技場ですが、スタンドに屋根が付いているので、通常の陸上競技場とはまた雰囲気が違うところがあります。そういうのも含め、あそこにはなにか棲んでいるんでしょうね。
レフェリーとしてあの場に立っていたわけですが、いちサッカー好きの人間として魅了されました。川崎や横浜FMに関わる試合はたくさん担当してきましたが、本当に大好きな試合のひとつで、個人的には審判人生のベスト5に入るような名勝負でした。