浅田真央「思いが溢れて、言葉になりません」。覚悟と進化の演技にスタンディングオベーション
アイスショー『BEYOND』に出演した浅田真央
「何度だって立ち上がる。これは、私たちの進化の物語」
大型スクリーンに文字が浮かぶ。金色の煌めきが一斉に広がり、さまざまな色の光線が氷上を行き交い、絡み合う。音響も気分を高め、情感をくすぐる。スケーターたちの躍動で氷上に活気がみなぎり、異世界の物語へ人々を引き込む。
「まず光を見つけて、そこから旅に出ていきます。ひとつずつ(困難を)乗り越えて、パワーを集結させて、最後に花開くというか。不死鳥のように強く羽ばたくイメージで」
浅田は、唯一無二のフィギュアスケーターと言えるだろう。現役時代、トリプルアクセルは彼女を語る枕詞だったが、それは一端でしかない。天性の「スケート愛」と人生を懸けて磨いたスケーティングが、「真央ちゃん」の本質だった。
周知のとおり、記録も輝かしい。6度の全日本選手権優勝、4度のグランプリファイナル優勝、3度の四大陸選手権優勝、そして3度の世界選手権優勝。五輪も、2006年のトリノは年齢制限で逃すも、2010年のバンクーバー大会で魂を揺さぶる銀メダル。
2014年のソチ大会ではメダルにこそ届かなかったが、むしろ大会ハイライトだった。ショートプログラム(SP)の失敗から渾身の巻き返し、不屈さが胸を熱くさせた。悲劇を歓喜に変えられる生きざまが、彼女を真のヒロインにしたのだ。
アイスショー『BEYOND』は、そんな彼女の人生の投影でもあるか。
2017年4月に現役引退を発表後、浅田は『サンクスツアー』の公演を3年間、202回にわたって重ね、2021年4月にひとつの幕を閉じた。しかし、前に進むのをやめなかった。2ヶ月後にはリンクに立っていた。「覚悟と進化」
それをテーマに、同年11月にはチームを組んでトレーニングを始めたのだ。
「始めてから、いろいろ大変なことはありました。でも、新たなアイスショーを見ていただきたい思いが強くて」
浅田はそう説明している。
「練習では泣いたり、笑ったり......。乗り越えられたのはチーム力で、底力だと思います。それは私たちにしかないチームワークで、『BEYOND』の魅力だと思っています。タイトルどおり、乗り越えるというか。私もリフトだったり、(スロー)ジャンプだったり、挑戦してきました」
「すべてを出し尽くしました」
彼女は『BEYOND』で、過去を颯爽と超えていた。
現役時代も使ったミュージカル『アイ・ガット・リズム』、三つ編みを赤いリボンでひとつに結んだ浅田は弾むように滑り、まるで赤と白のキャンディのようだった。一方、現役時代の名プログラム『シェヘラザード』では男性とペアで、色気のある衣装も高潔な演技。恋するような艶っぽさとアスリートとしてのたくましさを同時に披露した。
また、ショパンの『バラード第1番』はピアノの鍵盤を叩く音と雨を感じさせる映像の融合が白眉(はくび)で、彼女がダブルアクセルを決めると観客を陶酔に誘った。静と動の対比だ。
競技者として代名詞のひとつになった『白鳥の湖』では、人間の業を演出した。背景の映像は幻想的だがリアルで、たなびく薄い雲が月をなで、湖上に浮かんだような城にいる錯覚を与える。スワンの浅田は清廉で美しく、ブラックスワンでは不敵で妖しかったが、右足だけ純白のスケート靴なのはメッセージか。
他にも、映画サウンドトラック『ラヴェンダーの咲く庭で』、オペラ『カルメン』など浅田の現役時代メドレーになったが、過去を再現させつつ、新しいものをつくり出していた。時空を超える旅を重ねるたび、会場にエネルギーが満ち、夢の世界と現実がリンクした不思議な感慨があった。スタンドでは、観客が体を震わすように手拍子を鳴らしていた。
「すべてを出し尽くしました」
公演後の会見、浅田座長がそう言って口角を上げると、カメラのシャッター音が一斉に鳴った。疲労困憊のはずだが、笑顔を絶やさない。
「声援を出してはいけないルールがあるなか、皆さんに拍手をもらって、マスク越しでも笑顔を見ることができて、(サンクスツアーから)1年半ぶりにすばらしい舞台になりました。思いが溢れて、言葉になりません。こうした状況のなか、多くの方が会場に来てくださったおかげで、最高の公演になりました。みなさんに最後まで拍手をもらえて、スタンディングオベーションもとても自信になりました!」
稀代のスケーターの最大の魅力は、熱気を力にし、それを還元できる力にある。その引力で、彼女を中心に人が集まる。それは黄金の渦だ。
「千秋楽まで全力で、『BEYOND』の世界観を送り届けられたらと思います!」
不死鳥フェニックスの衣装を身にまとった浅田は、鳴り止まないアンコールの拍手を受け、その先へ向かうことを誓った。広げた翼は色鮮やかで、生気に満ちていた。何度でも甦り、再生する物語だ。