「まぐれではないと証明できた」京大野球部が史上最多タイのリーグ戦5勝、ベストナイン3人
進撃の京大野球部〜秀才軍団に何が起きたのか(中編)
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2022年春季リーグの開幕節で勝ち点を奪い、好スタートを切ったかに見えた京都大だが、その後は苦しんだ。
続く同志社大戦は強力投手陣に得意の足を封じられ、0対2、0対9と2試合連続完封負け。4月22日の立命館大戦も1対2で敗れ、3連敗となった。
追い打ちをかけるように、チーム内にコロナ禍が襲いかかる。牧野斗威(北野)、徳田聡(北野)、愛澤祐亮(宇都宮)といった主力投手が次々にコロナの濃厚接触者になり、リーグ戦に出場できなくなった。頼れる投手は、3年生ながら絶対的な信頼感のある水江日々生(ひびき/洛星)だけになった。
春のリーグ戦の立命館大戦で完封勝利を挙げた京大・水江日々生
4月30日の近畿大との初戦は水江が先発したものの、0対6で完敗。翌5月1日の第2戦は見るも無惨な試合になった。試合中盤までは接戦を展開したものの、6回表に近畿大にビッグイニングをつくられてしまう。降りしきる雨のなか、スコアボードにはこの回だけで「13」もの数字が積み重なった。
京大ベンチで見守る監督の近田怜王は、気が気ではなかった。
「ただでさえ濃厚接触者が出て選手が少ないのに、雨に打たれて風邪でも引いたら困ります。もう5回コールドで終わっていいので、早くベンチに帰ってほしいと願っていました」
関西学生野球連盟の規定は7回終了時点で試合が成立する。ところが、近大の攻撃時間が長くなりすぎたこともあり、試合は7回終了を待たずに降雨ノーゲーム、再試合になってしまう。京大からすれば九死に一生を得る試合だった。
この日だけでなく、春季リーグは天候不良が続いた。京大にとっては試合間隔が空き、エースの水江を優先的に登板させることができた。雨の近大戦から5日後、順延になっていた立命館大との第2戦で水江は一世一代の投球を見せる。
「いつもならピンチになると強い球を投げようと力んでアバウトになっちゃうところがあったんですけど、この日はスタンスを変えずに淡々とコースを突いて抑えられました。ひとつピッチングをつかんだ試合でした」
水江はそう振り返る。この日、水江は8安打を許しながら立命館大を完封。チームは3対0で勝ち、連敗を4で止めた。
水江の「日々生」という名前には、「毎日を大切に生きなさい」との両親の願いがこもっているという。身長172センチと体格的に恵まれているわけではなく、最速140キロと目を見張るボールがあるわけでもない。それでも水江が戦える理由を監督の近田はこう分析する。
「水江は持っているものをちゃんと扱いきれています。自分の球速、球種の性質を理解して、再現できる。今までの京大生では珍しい投手です」
近田自身、投手として最高峰の舞台で勝負した選手だった。報徳学園では甲子園のスターとして活躍し、2008年ドラフト3位指名を受けてソフトバンクへ。プロの世界では一軍出場なしに終わったものの、その後は社会人野球・JR西日本でプレー。現役引退後はJR西日本の社員として、車掌業務などをこなしている。
JRの上役に京大野球部関係者がいたことからボランティアで指導を始め、現在は出向という形で京大監督を務めている。まだ32歳と若い指揮官だが、主将の出口諒(栄光学園)は「基本的に選手に任せていただいていますが、誰よりも本気で優勝するために考えている人」と絶対の信頼を口にする。
中3日空いた立命館大との第3戦でも再び水江が先発。5回1失点と試合をつくり、その後は戦線復帰した徳田、愛澤、牧野のリレーで1失点に留めサヨナラ勝ちを呼び込んでいる。開幕節の関西大に続き2つ目の勝ち点獲得になった。
クセ球を自在に操り進化それから中7日空けた5月18日、京大は近畿大との再戦を迎える。直後に関西学院大との初戦が控えていたこともあり、投手起用を任される三原大知(灘)と監督の近田の間で「水江は同点かリードした場面で1〜2イニング程度しか使わない」と決めていた。先発はアンダースローの愛澤である。
だが、近畿大は初回から猛烈な勢いで愛澤に襲いかかる。愛澤は近畿大打線の恐ろしさを肌で感じたという。
「これまで振ってくる相手には相性がよかったんですけど、近大は徹底してコンパクトなスイングでセンター返しをしてきました。投げづらくて、これは厳しいなと」
1回表にいきなり3点を奪われ、主導権を握られてしまう。しかし、三原はスパッと愛澤をあきらめ、徳田、牧野へとリレーをつないでいく。
4年生左腕の牧野は、前年から三原が「使ってください」と近田に訴え続けた存在だった。牧野はストレートを投げているつもりでも、自然と打者の手元で小さく動くクセ球だった。ラプソードから牧野の投球を分析した三原は、「コントロールさえまとまってくれば戦力になれる」と確信があったのだ。
だが、牧野は期待を裏切り続けた。試合になるとコントロールを乱し、失点を重ねる牧野に野手陣は冷ややかだった。なかには「なんで牧野を使うんですか?」と当時助監督の近田に詰め寄る選手さえいた。
そんな牧野は自身のクセ球を扱えるようになり、大きく進化した。牧野はこの春のリーグで8試合15回2/3に登板して2勝を挙げ、防御率はなんと0.00だった。
4年生右腕の徳田も伸びのあるストレートを持ちながら、右ヒジの故障もあり伸び悩んでいた。打者の手元で沈むツーシームの使い方を三原と試行錯誤して体得。牧野と徳田が戦力に加わったことで、京大投手陣は厚みを増していた。
ベストナインを受賞した京大の主砲・山縣薫
また、近畿大打線に打ち込まれた愛澤にしても、2回以降は本職のマスクを被って好リードに転じた。「強振してこないならインコースをどんどん突いてやろう」と攻め、近畿大打線を手玉に取った。
すると、6回裏にチャンスが訪れる。主砲・山縣薫(天王寺)の適時打などで1点差に迫り、なおも満塁の場面で代打に梶川恭隆(旭丘)が告げられた。梶川は監督の近田が「こちらが言わなくても、大事な場面で準備してくれている」と全幅の信頼を置く切り札だ。この場面で梶川は逆転満塁本塁打の大仕事をやってのける。
逆転した京大は8、9回をエースの水江がしのいで7対3で勝利。強敵相手の逆転勝ちで3連勝を飾った。
だが、結果的に京大の快進撃はここまでだった。続く関西学院大戦では3対5、1対4の連敗で勝ち点を落とし、近畿大との第3戦は1対10で大敗。
リーグ終盤まで2位の可能性を残し、シーズン5勝は京大史上最多タイという大健闘だった。だが、終わってみればリーグ5位。主将の出口は「個々の力がついてきて、まぐれではないと証明できた」と手応えを得た半面、「優勝するためには壁がもうひとつ、ふたつあるなと感じました」と唇を噛んだ。
高打率を残した山縣、伊藤怜真(北野)、小田雅貴(3年/茨木)の3人がベストナインを受賞。エースの水江は3勝5敗、防御率2.09と堂々たる成績をマーク。選手個々も強烈な爪痕を残した。
監督の近田は「正直に言って、よくやってくれた」と選手たちをねぎらいつつ、こう続けた。
「野球をやっている以上は『てっぺんをとらないとダメ』と伝えています。京大野球部の歴史を変えて、ともに勝利の味を味わおうと。チームの目標を『優勝』から外すことはありません」
さらに秋には、出場機会の限られていた"大物"が合流することになっていた。京大野球部の前途は開けていた。
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