この記事をまとめると

■昭和から平成初期に流行ったクルマ遊びを紹介

■加熱しすぎて社会問題に発展してしまったモノもある

■チューニングなどが緩和された影響で今では一部の文化は珍しくなくなった

ストリートで流行ったクルマ遊び

 今ではコンプライアンスなどが厳しくなったり、防犯カメラやドライブレコーダーで記録されることも当たり前になった。それだけにマナーは向上しているのだが、昭和、そして平成前期にかけてクルマ好きはやりたい放題だった時代もあった。当時としても許されることではないが、どこか懐かしい思い出があるのも事実。昔なつかしの、今ではやっちゃいけないことを紹介しよう。

 ちなみに、今あらためて助長や幇助するわけでもなく、そういうことをやっていたということで、懐かしむのを前提として読んでいただきたい。

ゼロヨン

 走り屋といえば、峠や湾岸エリアでのドリフトや環状線のルーレットがお馴染み。そのなかでも消滅したと思われるのがゼロヨンだ。

 コースを使ったものは今でも行われているが、昔やっていたのは普通の道路を使ったもの。信号を使ったり、有志がスタートの旗を振っていた。一般道を使うため、わけもわからず並んでしまったという話もある。

シグナルグランプリ

 ゼロヨンに似ているが、こちらは赤信号で並んだ場合の張り合い。今でもなんとなく意識して強くアクセルを踏むことはあるが、当時はそれ以上にビンビンに張り詰めた感じがあった。今ではスポーツカーが横に並ぶこともほとんどなく、やりたくてもやれなかったりする。

ナンバー隠し

 今やナンバーを曲げたりするのはご法度だが、走り屋などはけっこうやっていたし、オービス避けの赤外線プレートを付けてもいた。カバーも一時流行ったが、今では透明なカバーも違反になる時代だ。

チューニング

 チューニングは合法ならいいだろうと思うかもしれないが、昭和はチューニングがOKな幅が非常に狭かった。規制緩和でなんでもOK的な昨今では想像できないかもしれない。車高を落とすのはもちろん、フェンダーミラーをドアミラーにするといった簡単なこともダメだった。まさに危険な遊びだった。

キャノンボール

 映画にもなった遊びで、A地点からB地点まで誰が早く着くか競うという単純明快な内容だった。大規模なものは某自動車雑誌主催のもので、これは警察も動いたほど。それを真似て地元のクルマ好きで開催される小規模なものも多かった。

最短時間自慢

 キャノンボールに近いが、集合しなくてもできるのがこちら。たとえば東京だと御殿場ICと東京料金所のように定番のふたつの地点があって、そこを何分で走れるかを競った。計測員がいるわけでもなく、あくまでも自己申告。別に虚しくなるだけなので、ウソをつく人もいなかったし、記録を更新すると噂で広まったものだ。