ジャズという言葉は差別用語に等しい。そう聞くと驚く人もいるかもしれないが、これはジャズの歴史においてずっと語られてきたことだ。例えば、ジャズ批評やアメリカ音楽史の名著でもこのように言及されている。

「ある晩、客の中にいた元ボードビリアンがウィスキーに酔ったあげく、Jass it up!と声援を送った。Jassとはシカゴの暗黒街の俗語でわいせつな意味を持っていた」(油井正一『ジャズの歴史物語』アルテスパブリッシング・刊)

「ジャズ(Jazz)は最初、Jassと綴られていた。情熱とか熱意と訳されているけど、真の意味は性的奔放であり、南部の黒人語では性交や女性器のことだった。かなり猥褻な意味があった。(中略)ジャズという言葉には黒人音楽であることの偏見があったし、白人たちは自分たちの家庭には入れたくないという意識がはたらいていた」(ジェームス・M・バーダマ、里中哲彦『はじめてのアメリカ音楽史』ちくま新書・刊)

そんな背景があるので、アフリカン・アメリカンのジャズ・ミュージシャンで「ジャズ」という言葉を拒絶してきた人は少なくない。かのマイルス・デイヴィスが自身の音楽を「ジャズではなくソーシャル・ミュージックと呼べ」と語っていたのはよく知られるし、ジョン・バティステが同じくソーシャル・ミュージックという言葉を用いているのも、こういった文脈と無関係ではない。

シオ・クローカー(Theo Croker)の通算7作目となるニューアルバム『Love Quantum』には、「Jazz is Dead」という曲が収録されている。大御所のサックス奏者ゲイリー・バーツが参加し、盟友カッサ・オーバーオールらとともに”ジャズは死んだ”と連呼するこの曲により、シオ・クローカーは上記の文脈をもう一度、議論の俎上に乗せようとしているのだ。

そもそもシオ・クローカーはこれまでの活動のなかで、自身の音楽を”アフリカン・アメリカンとしての表現”として強く押し出す作品を発表してきた。『Love Quantum』と同シリーズと捉えるべき2021年の前作『BLK2LIFE || A FUTURE PAST』も先人へのリスペクトと未来への視点が共存しているコンセプト・アルバムで、マザーアフリカから現代アメリカまで音楽で辿る壮大な作品だった。

シオが考えるアフリカン・アメリカンの音楽とアフロフューチャリズムのコンセプトには、デューク・エリントンやディジー・ガレスピーといったレジェンドや、その延長線上であるマイルス・デイヴィスやドナルド・バード、ゲイリー・バーツといった先駆者によるハイブリッドなサウンド、さらにその先のロイ・ハーグローヴやJ・ディラ、もしくはムーディーマンのようなデトロイトテクノも含まれている。彼は自身のリーダー作で一貫して、それらすべてを”ジャズから連なるアフリカン・アメリカンの音楽”として同列に奏でてきた。

だからこそ、彼は先人たちが演奏してきた”ジャズと呼ばれている音楽”そのものには強いリスペクトを抱いている。それは『Love Quantum』に収められたスウィングするリズムや、近年のどの作品よりも”演奏手法・演奏スタイルとしてのジャズ”を奏でているシオの姿勢からも明らかだろう。彼が「Jazz is Dead」で糾弾しているのは”ジャズというレッテル”であり、”ジャズを取り巻くアメリカの状況”なのだ。

この取材では最新作そのものより、「Jazz is Dead」という曲に込められた真意をできるだけ掘り下げることにした。シオの意図をより深く聞き取ることは、現在のジャズを始めとしたアフリカン・アメリカンの音楽を捉えるためのヒントになると思ったからだ。

『Love Quantum』にはゲイリー・バーツ、ワイクリフ・ジョン、ジル・スコット、エゴ・エラ・メイ、クリス・デイヴ、カッサ・オーバーオールなどが参加

―まず、『Love Quantum』(愛の量子)というタイトルにした理由は?

シオ:前作『BLK2LIFE || A FUTURE PAST』のヒーローを、今度は愛というテーマに突入させたかったから。自己愛、精神の愛、恋愛、文化への愛など全部含めての愛だよ。Quantum(量子)という言葉はこの世に存在しうる最小のものの単位。人間も突き詰めればそういう量子で出来ているわけで、愛はそんな小さな量子レベルでもあり、宇宙で最もパワフルなエネルギーでもある。それを表現したかったんだ。最も小さいものから最も大きいものへ、という意味だね。

―これまでのアルバムに付けられたタイトルを振り返ると、『Afro Physicist』(アフロ物理学者:2014年)、『Escape Velocity』(脱出速度=ロケットなどが重力圏からの脱出するための最低速度:2016年)、そして『Love Quantum』と物理学に関係ある言葉が多いですよね。物理学に特別な関心があるんですか?

シオ:人の生って、結局は一種の物理学だと思うんだ。僕らはなぜ生まれ、存在するかという説明できない意味を理解するために日々生きている。だから僕も曲を書いたり、音楽を作る上で、それが常にテーマとして流れている。今後、僕が音楽でどこへ行こうと、今、そして過去の自分がいた場所が、基盤になることは変えようがないってことだね。

―もしかして化学を専攻していたとか?

シオ:ははは、大学で学んだわけじゃないよ(笑)。でも、自分の時間の中で勉強をしたり、量子物理学の本を読んだりはしてる。量子物理学、物理学、科学全般を学ぶことは、「より高い存在」である神を説明しようとすることなんだと思う。人間を量子化することで、僕らは自分らでは説明できない人間の存在を知ろうとする。僕にとって科学は、まさに人間の存在を説明し、自分達を理解しようとすること以外の何者でもない。『Afro Physicist』が『Escape Velocity』しようとし、『Star People Nation』(2019年)に届こうとして、結局は『A FUTURE PAST』に戻ってヒーローとなり、『Love Quantum』を見つけた……という一つの大きな物語だってことだね。

―今作の制作プロセスは、前作のときと比べて違いはありますか?

シオ:いや、制作過程は二作ともほぼ一緒だよ。というのも『BLK2LIFE || A FUTURE PAST』を作り終えてすぐ、それこそ翌日には『Love Quantum』に取り掛かったんだ。一部は同時に作っていたくらい。でもサウンド面には違いがある。ミックスも、マスタリングも、目指していた音も違う。『BLK2LIFE || A FUTURE PAST』で目指したのはクリアでクリーンなハイディフィニション(高精細・高解像度)なサウンドだった。『Love Quantum』もハイデフであることは同じなんだけど、そこにもう少しローファイな要素を混ぜて、綺麗になりすぎないようにしている。音のパレットを考える上で、エッジーでシャープなサウンドを意識したんだ。

―なぜそういった、綺麗すぎないサウンドを目指したのですか?

シオ:だって、愛というのはそもそも、とっ散らかってるぐちゃぐちゃなもんだろ?(笑)。愛は難しいよ。生身だしね。このアルバムは僕がジャズを殺すところから始まる。僕の世界の中では、ジャズは死ななくてはならないものだ。美しいイントロはあるにせよ、すごく間違った、生々しい場所からスタートし、そのエッジネスはアルバム中もずっと持ち越される。僕の扱ってる愛というテーマはどれもパーソナルなものだから、僕自身もそれと向き合うのは辛い。だからこそ、それらを反映したサウンドにしたかった。簡単なものに聴こえさせたくなかったってことだね(笑)。

「Jazz Is Dead」を掲げた真意

―ここからが今日の本題で、このアルバムの核となっている「Jazz Is Dead」について深く聞きたいです。この”ジャズは死んだ”、もしくは”ジャズを殺す”というのはどういうことか、あなたの言葉で聞かせてください。

シオ:(ジャズと呼ばれてきた)この音楽をすごく愛してきたし、僕は25年間にわたって演奏し、祖父であるドク・チータムは85年間もそれに仕えてきた。それでもジャズという言葉は、弊害しかもたらさなかったと思っている。音楽に対してもそうだし、この言葉が用いられることで、限られたごく少数の「死の床に伏してる」アーティスト以外はずっと苦しめられてきた。アメリカに限って言えば、演奏できる会場の種類も、会場に観に来てくれる、音楽を聴いてくれるオーディエンスも限定されてしまう。ジャズという言葉がくっつくと、大抵の人々がそこでもう聴くのをやめる。ということはつまり、マスター(原盤)の権利を持ってなかった故人のカタログが競争相手になるんだ。マイルスもコルトレーンもジャズという言葉を嫌っていたにも関わらず、そのカテゴリーに置かれ、ジャズにされてしまっている。死人に口なしだからだ。

僕は自分自身のキャリアにおいて、その段階は終わったと思っている。ジャズの権威やコミュニティに対して、沈黙して、彼らを喜ばせ、へつらうようなことはもうしない。このアートフォーム/音楽は常に(ジャズという)「あの言葉」よりも大きかった。僕の家族のレガシーも「あの言葉」より大きかった。もうこれ以上、ジャズという言葉に限定されるような低いレベルに関わる必要性を感じないんだ。

―なるほど。

シオ:でも、(ジャズと呼ばれている)音楽自体はまったく別だよ。音楽は今も生きているし、成長してる。僕は演奏し続けながら、音楽と伝統を発展させるため、これまで与えられた以上のところを目指したいと思っている。でもそうやって限界を押し広げ、音楽の一部であり続けるのであれば、その音楽が言葉によって限定されてしまうのを見たくないんだ。

ただ例えば、もう何年も行ってないけど……日本やヨーロッパでは、ジャズという言葉に込められた意味合いが違う。アーティストや音楽に対して、アメリカとは違うリスペクトがそこにはあり、受け入れられている。その他のポピュラー音楽と同じレベルで評価され、勢力を誇っているように映る。つまり、軽んじられているのはアメリカだけってこと。それはアメリカの文化を反映しているってことでもあると思うけど、僕はカルチャーの専門家じゃないから、そこら辺はあまり深くは語れないけどね(笑)。だって僕の意見は、僕の37年の人生経験を反映したものでしかないわけだから。

さておき、今のアメリカで「ジャズ」と呼ばれているものは、元々それを作ったアフリカン・アメリカンのコミュニティと繋がっていないし、そのコミュニティを支えるものでもない。むしろ、(ジャズという)言葉を与えることで、それを差別し、その音楽を生きるための手段として使っていた人々から奪ったんだ。僕ら(アフリカン・アメリカン)は人生の荒波に耐え、生き抜くため、音楽で自分を表現した。でもコミュニティからジャズは奪われ、博物館に置かれる作品にされ、ブラック・ネイバーフッドでもなんでもないセントラルパークのど真ん中に置かれ、ごく少数の大学で教えられるカリキュラムにされてしまった。同じことがヒップホップにも起きている。そもそもジャズがそんなことになってしまったから、僕らのコミュニティはターンテーブルとマイクを使って「ジャズ」のレコードをかけて、そこからヒップホップが生まれたわけだよね。そんなふうに、音楽へのニーズは形を変えて続いていくものだ。だからこそ、ジャズって言葉はもう死んだと言っていいんだよ。

―ジャズは元々”Jass”という綴りで、それ自体、差別的な意味を持っていた言葉でした。そのことはあなたも何度か言及しています。だから、アフリカン・アメリカンのミュージシャンの中には”ジャズ・ミュージシャン”と呼ばれたくないと言っていた人も多かったんですよね。

シオ:その通り。ジャズという言葉は、今も昔も侮蔑的な用語だ。その言葉を加えることで、アートフォームの価値は損なわれてしまった。デューク・エリントンはそう呼ばれることを嫌い、拒んだ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、チャールス・ミンガス、ルイ・アームストロングですら「モダンジャズが何かなんて俺にはわからない。教えてくれ。お前らがつけた肩書きだろう。俺がやってるのは音楽だ」と答えている。

人種、社会、経済的なことを抜きにしても、ここで問題なのは、ジャズって肩書きを与えることで「ありがたみ」のあるものに仕立てあげ、その一部になりたい者は、「最低限」を受け入れなきゃならなくなる点だ。他の音楽はそんな目に合わなかったが、ジャズだけはそうだった。そしてジャズから派生したヒップホップやR&Bも生まれた途端、ジャズと同じように、できうる限りネガティブなレッテルを貼られ、反抗的なメッセージが取り沙汰された。それは当然だ。そもそも十分に社会の恩恵を受けられず、リスペクトされないアメリカのブラック・ピープルのニーズから生まれた音楽だったからね。大衆を楽しませる娯楽だけでなく、自らを癒し、解放感や自由を見出すためのものでもあったわけだから。それを取り上げて、フランク・シナトラと同じようにスーツとネクタイを着せ……シナトラ自体は素晴らしいアーティストだとは思うが、博物館や大学に入れても、それはもう過去の産物となってしまい、今の社会やコミュニティに影響を与えるものではなくなってしまう。僕が問いただしたいのは、あくまでも(ジャズという)言葉そのもの、含意、言葉をマーケティングすることで成り立つ業界のことであり、ミュージシャンや音楽そのもののことではないんだ。

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―あなたと同じようなことを考えていた人は、これまでにもいましたよね。マイルス・デイヴィスは自分の音楽を「ソーシャル・ミュージック」、リー・モーガンは「Black Classical Music」と呼んでいましたし、もう少し最近ではニコラス・ペイトンが「Black American Music」を提唱しています。

シオ:そのどれもが、この音楽の何たるかを説明するのにふさわしい言葉だと思うよ。僕自身にはなんと呼ぶのが正しいなんて答えはないし、それに代わる名前を探すことを自分の運命や使命だとも思っていない。もし自分にマーケットをコントロールするだけの能力や権力があるなら、ラップ、ヒップホップ、R&B、ハウス・ミュージック、ダンス・ミュージック、人がジャズと呼ぶもの、ワールドミュージック……それらすべてを「ブラック・ミュージック」にしたいね。だって、それが事実だから。

―「ブラック・ミュージック」ですか。

シオ:そう。僕だったらローリング・ストーンズだって、ブラック・ミュージックの傘下に入れる。彼らがやってたのはハウリン・ウルフであり、マディ・ウォーターズなのであって、それを本人たちも公言してる。アーティスト側はわかってるんだよ。自分に嘘をついて、リスナーを騙そうなんて思っちゃいない。マーケティングのゲームがそうするだけ。僕はそれを指摘したい。ニコラス・ペイトンと一緒だよ。僕は会話を続けたいんだ。君が挙げた例はどれもその通りだと思う。実際、(ジャズは)ソーシャルな音楽だよ。ミュージシャン同士が一緒になって演奏し、コミュニケートしなきゃならない民主的な音楽だからね。すべての音楽がそうだ。ジャズと呼ばれる音楽はそのなかで最も民主的だと言われるけど、他のミュージシャンと協力しないで作れる音楽なんてどこにもない。DJは例外かもしれないが、DJにしたって自分と仲良くやらないとね(笑)。

ある時期にアメリカから生まれた音楽は、すべてブラック・ミュージックなんだよ。ブラック・ミュージシャンたちが、自分の置かれた状況下で作った音楽に影響を受けた音楽だ。それはコミュニティの一部だった。今は、どのコミュニティもアイデンティティや目的意識に乏しく、苦しみ、自分たちの価値への理解や知識が欠如していると思う。アメリカという国の大きなカルチャー自体の問題だ。音楽はそれに比べたら大したことじゃないのかもしれないが、その一部であることには変わりなく、切り離せるものじゃない。だからこそ、僕らは今、アーティストの立場でストーリーをコントロールし、対抗して声を上げて、議論や対話を始めなきゃならない。そうしないと、40〜50年後、彼らの好きなようにされてストーリーを捻じ曲げられてしまう。マイルス・デイヴィスがすでに「ジャズ」という言葉の下に置かれてしまっていることを考えれば、彼の顔が違う色に塗られる可能性だってありうる。紫色に塗られてしまうかもしれないんだ。だから、「ジャズじゃなくてこう呼ぼう」と言って先に進むという単純なことじゃなく、対話を続けるってことだ。「どうしてそうなったのか」を理解すれば、「今後どこへ行くか」に少なくとも影響を与えることはできる。

ルーツは音楽のなかに隠されている

―さっきハウス・ミュージックという言葉が出ました。ハウスがアフリカン・アメリカン由来の音楽であることは、ヒップホップなどに比べてなかなか言及されてこなかった印象があります。そこに言及するジャズ・ミュージシャンとなれば、なおさら少ないですよね。改めて、アフリカン・アメリカンにとってのハウスという文脈で話を聞かせてもらえますか?

シオ:ハウスもブラック・ミュージックの起源から引っこ抜かれて、地球の向こう側にその起源があることにされるか、もしくは起源が隠されてしまった例だよ。その後、ロンドンやベルリンで独自の発展を遂げたのは間違いないけど、ハウスはデトロイトやシカゴの工場で働くブラック・ピープルによって作られたんだ。実際、ファクトリー・ミュージックだ。でっかい自動車工場のような音がするだろう、聴けばわかるよ。

僕はジェフ・ミルズとかムーディーマンの大ファンだ。彼らの音楽は昔からのアフリカン・アメリカンの伝統なんだよ。プリンスの音楽にもハウスの要素があると思う。(ザ・タイムの)モーリス・デイの音楽にもファンクとハウスが同居していたよね。(シュガーヒル・ギャングによる)14分の「Rappers Delight」だってそうだ。ディスコはブラック・ダンスミュージックに対するコマーシャルな、マーケティング上の反動にすぎなかった。つまり、そういう音楽は常に存在していたってことさ。でも(ブラック・)コミュニティから生まれたものは、コミュニティから引き抜かれてしまう。ジャズが持っていかれたらファンクが生まれて、ファンクが持っていかれたらハウス・ミュージックが生まれた。ハウスが持っていかれたら、ヒップホップ、ラップ、R&B……。

いずれにせよ、こういった音楽はすべてマーケティング以外の正当な理由もなく、個別のものにされ、カテゴライズされてきた。アーティスティックな観点からしたら、それは作り手とミュージシャン、リスナーを分断させただけだ。それぞれ別のレッテルが貼られているから、リスナーは「こっちは聴くけど、あっちは聴かない」ということになってしまう。「ケニー・Gが嫌いだ」と思うリスナーは、サックスを持つ黒人がジャケットに映ってるだけでパスしてしまう。カマシ・ワシントンが出てきて、ケンドリック・ラマーのようなストーリーテラーと共に、若いリスナーのサックスに対する考え方を変えさせるまでね! つまり、コミュニティに(ブラック・ミュージックが)取り戻されれば、世界も無視できなくなるということ。だって、心揺さぶり、スピリチュアルで、その一部になることを楽しみ、参加するための音楽なわけだからね。

―最後の質問です。『Love Quantum』のタイトル曲では、スポークンワードのなかに星座や宇宙のモチーフが入っています。今作のボーナストラックは「Sun Ra」というタイトルですが、サン・ラは土星人を名乗っていました。あなたは過去にも「世界中に残っている星から来た人たちの伝説」をテーマにした『Star People Nation』というアルバムを発表していますが、ゲイリー・バーツにも『Libra』(てんびん座)や『Another Earth』というアルバムがありますし、マイルス・デイヴィスやウェイン・ショーター、メアリー・ルー・ウィリアムスも宇宙や星座をテーマにした音楽を作っています。こういった話はあなたの音楽とも深く関わっているかと思いますが、いかがですか?

シオ:ああ。アフリカン・アメリカンは奴隷制によって、自らの歴史のなかから引っこ抜かれてしまったことを忘れちゃいけない。アメリカにおける植民地主義の侵略より前にも、ムーア人の歴史があり、アフリカにはアメリカ以前にもヨーロッパに支配されてきた歴史がある。でも、そういった歴史は僕らには教えられない。実際にエジプトに行って、自分はどこから来たのかと改めて考えることになる。自分にそっくりな顔で体型も似ている人たちを見て、自分の本当の祖先は誰なのかと考える。一旦目覚めたら、(アフリカン・アメリカンたちは)自分の真のアイデンティティを探し始めるんだ。僕らがこの国(アメリカ)から教えられてきたことはストーリーの全容じゃないからね。それに僕らが取り返したカルチャーがあったとしても、それは古いカルチャーのあくまでも断片にすぎない。それこそまさに植民地主義の話だよね。

だから、占星術や精神を学び、自己のパワー、真の先祖を知ろうとすることとは、僕らの先祖が何を理解していたか、世界がまだ何もなかった時にアフリカ大陸には何が存在していたのか……そこに立ち戻ることで、アメリカの奴隷制から始まる歴史以上の「自分」を手に入れることなんだ。アメリカ人のひとりの有色人種としてそれに目覚めたら、まずETのように「家」に電話をしたくなる。自分には与えられないし、簡単には手に入らないようになっている自分の起源。それを知るには情報を集めるしかなくて、その多くは音楽のなかにコード化されて隠されている。だからこそ(ジャズは)パワフルなんだ。19世紀の変わり目に、人はそれを演奏していた。ヴァイブレーションを高め、自由になるために。人々を心のなかだけでも解放し、祖先やホームランドとのつながりを思い出すためにね。だからこそのあのリズム、あの即興演奏、あのコール&レスポンス、あのパーカッシブさなわけで、文字通り、人々の魂を揺さぶり起こしたんだ。だからこそ、それは「Jass」という軽蔑的な名前をつけられ、キリスト教の観点から「近づいてはならないもの」として恐れるべきものに仕立てられたんだよ。

僕のアルバムは、『Another Earth』も『Star People Nation』も『Escape Velocity』も、結局はどれもマインドを突き破って、より気高い自分自身をいかに知るかってこと。アートを楽しむというのは、突き詰めればそういうことだよ。君の質問に直接的には答えてないかもしれないけど、たぶん大事なことは答えられてるんじゃないかな。


シオ・クローカー
『Love Quantum』
2022年7月20日国内盤リリース
BSCD2 ボーナス・トラック2曲収録
再生・購入:https://SonyMusicJapan.lnk.to/TheoCroker_LOVEQUANTUMRJ

日本公式ページ:https://www.sonymusic.co.jp/artist/theocroker/profile/