前回五輪金メダルのザギトワ(右)、銀メダルのメドベージェワともに公式戦出場すらなく今大会は代表漏れ【写真:Getty Images】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#95 “フィギュア界のこれから”へ3つの提言

「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載。注目競技の一つ、フィギュアスケートは「フィギュアを好きな人はもっと好きに、フィギュアを知らない人は初めて好きになる17日間」をコンセプトに総力特集し、競技の“今”を伝え、競技の“これから”につなげる。五輪2大会に出場し、「THE ANSWER スペシャリスト」を務める鈴木明子さんは大会佳境を迎えた今だから伝えたい、未来への3つの提言を行う。

 第2回は「女子のシニア年齢引き上げ問題」。今大会、金メダル大本命とされたのは今季シニア1年目の15歳カミラ・ワリエワ(ROC)。前回の平昌五輪は同じくシニア1年目の15歳アリーナ・ザギトワが金メダル、銀メダルのエフゲニア・メドベージェワが獲得。しかし、ともに今季公式戦出場すらなく代表漏れ。近年はトップ選手の低年齢化に伴い競技寿命も短くなり、10代のうちに第一線を離れる選手も少なくない。そのたびに議論されるのが、現行15歳以上のシニア大会出場可能年齢。過去に17歳引き上げも国際スケート連盟(ISU)で検討されたが、実施には至らず。

 現役時代、大学1年生の時に摂食障害を経験し、シーズン中の無月経など女性特有の健康障害とも闘いながら29歳まで競技を続けた鈴木さん。トップ選手の低年齢化が進む今、女子選手の競技寿命とシニア年齢規定に思うこととは――。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

 ◇ ◇ ◇

 フィギュアスケート界の女子の現状については「寂しい」。これが、率直な想いです。

 今大会はフィギュアスケートの歴史上で最高難度のプログラムが見られる五輪でした。実際、ジャンプは一番の得点源。しかし、この競技には音楽があり、表現も含めてのフィギュアスケートです。どうしても、年齢を重ねるうちにできなくなるジャンプがありますが、年月を経て、積み重ねてきたからこその表現も滲み出てきます。エッジワークなど、ジャンプ以外の技術も同様です。

 そうした成長の過程を見るまもなく、一瞬の光のように、ぱっと燃え、散ってしまう。打ち上げ花火のようではなく、線香花火のように長く楽しめる競技であってほしい。それは、選手たちのためであり、ファンのためでもあります。

「あの選手を応援したい」と思い、良い時も悪い時も見続けてくれるのは競技にとって大切なこと。にもかかわらず、今は「あれ、あの子はいなくなっちゃったの?」ということが多い。本来、次はどんなプログラムを滑るのだろうかと“その後”が楽しみになるもの。そうすれば、必然的に長く愛される競技になる。輝きが一瞬で終わってしまえば、興味が薄れるのも無理はありません。

 フィギュア界で女子の競技寿命を考える時に議論されるのが、シニア移行の年齢の引き上げです。

 これは本当に難しい問題ですが、私は「引き上げてみても良い」という気持ちがあります。もし、上げるなら18歳でしょうか。15〜18歳は女性の体つきが一番変わる時期。その3年間に、しっかりとスケート技術の基礎を作ることに重点が置ければ、選手として成熟していくと感じます。

 振り返ってみると、1994年のリレハンメル五輪以降、2006年トリノ五輪の荒川静香さんを除き、7大会で10代の選手が金メダルを獲得しています(※1)。それでも、ひと昔前は息が長く活躍する世界的なスケーターが多く、私自身もそんな競技人生を目指していました。今は規定が解禁となる15歳でシニアデビューし、世界で戦えるように育てていく傾向があり、選手や指導者の焦りも出てくると感じます。

フィギュア界にあるジャンプ偏重「本来の良さが失われつつある」

 一方で、シニアの年齢を引き上げた場合の問題もあります。

 シニア以下を「ジュニア」とした場合、ジュニアの選手の方がシニアの選手より点数が高いことも起こり得ます。ジュニアで選手としてピークを迎え、シニアに到達できない選手も出るかもしれない。引き上げるなら、「シニア」のカテゴリーが、ジュニアを経た意味があるものにしないといけない。「できなくなってきた人たちがシニアにいる」ではいけません。ただ、それをクリアできれば、指導も変わると思います。

 もし、シニアの年齢が引き上げられ、競技寿命の長い選手を育てるとなると、基礎の部分もすごく大切になります。ジャンプのピークは筋力的・体力的な影響もありますが、スケーティングの技術は滑れば滑るほど、美しくなっていく。まさに、熟成される感じがあると思います。ただし、今はそのバランスがかなりジャンプに比重が乗っています。

 どうしても、難しいジャンプを跳べれば得点が高くなりやすく、とにかく「早く跳べるように」という方針。体が大きくならないうちにジャンプを作り上げようとするから、教える側も跳ぶ側も焦る。「この年齢までに、このジャンプができなかったら選手として終わり」という考えもあるかもしれません。そうなると「もう、この競技は諦めなければいけない」と選手に思われるのが、すごくつらいことです。

 そして、ジャンプ偏重で選手にとって最も大きな問題となるのが、健康障害です。例えば、摂食障害。私も19歳の時に患い、48キロだった体重が32キロに。体重が軽い方が有利なジャンプ。過去に、多くの海外スケーターも摂食障害を告白しています(※2)。また、過度に追い込むことで、私はシーズン中は無月経になりました。そうしたことは競技人生のみならず、引退後の健康に関わってくることです。

 それでも、私は29歳まで現役を続けることができました。ジャンプも一番状態が良かったのが26歳くらいから。もちろん競技のレベルも違いますが、選手の伸びる時期は、人それぞれであるとも思います。

 フィギュアスケートは今、本来の良さがどこか失われつつあると感じます。採点もジャンプに重きが置かれた現状から、バランスが取れてくることが望ましい。ジャンプの難易度を求めることは、スポーツとしては正しい一方で、体を酷使すると一向に怪我は減らず、選手寿命も短くなってしまう。結局はどれを求めるかだと思います。競技人生が短くなっても、この一瞬で世界最高レベルのものが欲しいと思うのか。

 私は、選手たちはそもそもフィギュアスケートが好きだからこそ、いろんなものを長く表現してみたい、スポーツとしてこのフィギュアスケートを楽しみたいというのが、本来のあり方だと思っています。

 私自身、単純にスケートが好きで始め、その気持ちがずっと続いていたから、やり切ることができ、競技に未練なく終わることができました。これは、本当に幸せなこと。好きなことを見つけ、一生懸命やり、最後までやり切ることは、引退後の人生においてもつながってくる。もし、本当は好きだったのに諦めなければいけない競技であると、どうなるでしょうか? そこにすごく大きな差が生まれます。

「スケートが好き」という気持ちを持ったまま終えられた人は、次の世代にもスケートを好きになってもらいたいという想いにつながっていく。これは競技の普及・発展という点にも関わることだと思います。

今季印象的だった25歳エリザベータ・トゥクタミシェワ

 もし、仮に選手の競技寿命が延びたとしても、考えなければいけないことがあります。選手の競技環境はその一つです。全日本選手権に出るような選手も、多くは大学卒業とともに引退。もし、体力的にも精神的にも続けられると思っても、経済的理由で諦めるケースもあります。

 私は大学卒業後、練習拠点としていたスポーツクラブ「邦和スポーツランド」を所属先とし、契約社員として仕事をしながら競技を続けられる環境を用意していただいたことが大きかった。トップ選手はスポンサーがつくこともありますが、それ以外は親が負担するか、アルバイトをしながら競技を続けるか。そこから比べると、競技を続けられる環境は増えていると引退から8年間で実感していますが、これも大切な問題です。

 最後に。この問題を考える上で今シーズン、私にとって印象的だった選手が、ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ選手です。

 25歳になるシーズン、彼女のことをすごく応援していました。彼女が15歳でシニアデビューした2011年のグランプリ(GP)シリーズで、リーザ(トゥクタミシェワの愛称)が1位、私が2位。「すごい若い選手が出てきたな」と思ってから10年間、世界チャンピオンにもなり、でも五輪にはなかなか縁がなく、ただでさえロシアからは若い選手がどんどん出てくる。その中で、競技をやり続けていくことはつらいこともあったはずです。

 でも、自分のスケートを貫いてきました。長く見てきたファンにとってはリーザの活躍はすごくうれしかったはずだし、周りの選手たちにとっても希望になる存在。今回はロシア代表補欠となりましたが、それでもここまで続けてくれたことを私自身もとてもうれしく思っています。

 彼女のように息の長いスケーターが増えることは、フィギュアスケートの発展という点でも、意味があることではないでしょうか。

(※1)1994年リレハンメル五輪でオクサナ・バイウルが16歳で金メダルを獲得以降は、98年長野五輪のタラ・リピンスキー(15歳)、02年ソルトレイクシティ五輪のサラ・ヒューズ(16歳)、10年バンクーバー五輪のキム・ヨナ(19歳)、14年ソチ五輪のアデリナ・ソトニコワ(17歳)、18年平昌五輪のアリーナ・ザギトワ(15歳)と10代選手が優勝。06年トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香は24歳だった。

(※2)19歳で引退したソチ五輪団体金メダリストのユリア・リプニツカヤ(ロシア)、元全米女王のグレイシー・ゴールド(米国)ら、海外スケーターが摂食障害を告白。18年平昌五輪で銀メダルを獲得したエフゲニア・メドベージェワ(ロシア)も自身のSNSで「身長158センチで、体重は33キロ〜59キロの間」で変動し、健康障害に悩まされた過去があることを明かしている。

鈴木 明子
THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)