世界遺産を線路が横切る“はずではなかった”? 近鉄奈良線、移設合意も長い道のり
世界遺産にも認定されている奈良・平城宮跡を、鉄道路線が横切っています。近鉄奈良線です。当然、県は近鉄に線路を移設するよう要望しているわけですが、線路が敷設された当時は、平城宮を避けていた“はず”でした。
いや、元々は避けて線路を通したのだが…
世界遺産ともなれば、その対象物はもちろん、周辺環境もあわせて保護されることが一般的です。都市部にあれば景観に配慮し、周囲での開発行為なども厳しく制限されます。
奈良県には世界遺産に登録された物件がいくつかありますが、そのうち奈良市にある平城宮跡には、なんと鉄道の線路が横切っています。朱雀門から大極殿へ至る途上には踏切も。大和西大寺駅から東へ約2kmの場所です。
平城宮を横切る近鉄奈良線。正面奥に復元された朱雀門が見える。近鉄電車のほか、京都市営地下鉄の車両も通る(2020年11月、小川裕夫撮影)。
平城京は中国の長安(現・西安)をモデルにした都です。その平城京の核となる区画が特に平城宮と呼ばれます。そこを近鉄奈良線の線路が、敷地を南北に分断するかのように横切っているのです。その光景を目にすると、なぜ世界遺産の中を鉄道が横切っているのだろう、近鉄は迂回して線路を建設すればよかったのではと疑問が湧きます。
タネを明かせば元々、近鉄の前身である大阪電気軌道が大和西大寺駅から近鉄奈良駅へと線路を敷設する際、平城宮を避けていました。この区間の線路が南へとカーブしているのは、そのためです。
大阪電気軌道が線路を敷設したのは1914(大正3)年です。当時は発掘調査や研究が現在ほど進んでいなかったこともあり、平城宮の範囲があやふやでした。今でこそ線路は平城宮を分断しているように見えますが、近鉄は当時としては最大限の配慮をして平城宮を避けていたのです。
計画では2060年ごろに線路の移設完了
ところが1960(昭和35)年の発掘調査によって、平城宮の範囲は当初より広大だったことが判明したのです。すでに奈良線には多くの電車が行き来していました。その後1998(平成10)年に世界遺産に認定されると、県は近鉄に対し「線路を移設してほしい」と要望したのです。
一方の近鉄は後から「どいてくれ」と言われても困惑するばかりです。奈良線は奈良と大阪方面を結ぶ重要路線であるうえ、至近の大和西大寺駅は京都線・橿原線も乗り入れる近鉄の要衝です。工事によってたくさんの路線に影響が出ることは必至でしょう。
自由通路が開設された後の大和西大寺駅(2020年11月、小川裕夫撮影)。
また、移設することによって駅間が長くなってしまうという懸念もあります。現在は大和西大寺〜近鉄奈良間に新大宮駅がありますが、仮に県の要望通りに迂回するならば、近鉄は同区間に朱雀大路駅(仮称)を新設するという青写真を描いています。またあわせて、新大宮〜近鉄奈良間にも油阪駅(仮称)を復活させるとしています。
こうなると、線路移設費のほかに新駅を開設する費用も必要になります。近鉄と県の間で負担割合の細部までは決まっておらず、実現に向けた道はまだまだ長そうです。
ただし両者は線路の移設については合意しており、2040〜60年頃までに工事を完了させると発表しています。最短でも約20年かかる壮大な計画です。
平城京が都として機能していたのは、長く見積もっても70年ほどです。対して、近鉄が線路を敷いてから100年以上が経過しました。平城宮は日本が世界に誇る遺産ですが、そこを横切る近鉄の線路と踏切も、歴史遺産と呼ぶには十分な歳月を積み重ねています。