若者相手に大ゲンカ…戦国大名・伊達政宗のなんとも大人げないエピソード

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「無礼者!」

思わぬ粗相や狼藉により、不興を覚えた者の口走るこのセリフ。

不興を買ってしまった者には、状況しだいで死刑宣告に聞こえる重さがある一方、第三者には「小物感」が伝わってしまう軽さもあります。

(そんな些細なことで、いちいち目くじら立てなくても……)

やはり大物であれば、ちっとやそっとの事で動揺したり、声を荒らげたりなどしないもの。

伊達政宗。Wikipediaより

そんな美学は戦国時代の武士たちも同じだったようで、今回は独眼竜として有名な伊達政宗(だて まさむね)のこんなエピソードを紹介したいと思います。

そんな一撃、痛くも痒くもない!が……

今は昔、ある時のこと。政宗の屋敷へ旗本の兼松又七(かねまつ またしち)が見舞いにやって来たそうです。

「伊達公におかれましては、ますますご活躍と聞き及んでおりまする……」

「いやいやそれほどでも、ははは……」

と言ったかどうだか、他愛ない(特に内容を書き留めるほどでもない)雑談に花を咲かせ、さぁそろそろ帰ろうか……といったその時。

「……っ!」

いったい何を思ってか、又七は突如として政宗に跳びかかり、持っていた扇でその頬っ面を強打したと言います。

又七がキレる5秒前。手にしていたその扇で……(イメージ)

あまりに脈絡がなさすぎて、周囲の者はもちろんのこと、政宗自身も怒りよりも戸惑いを隠せません。

……が、ここでうろたえを見せてしまっては、天下の笑いものとなってしまうでしょう。政宗は平静を装って答えます。

「日ノ本に隠れなき英雄・この伊達政宗が頬をなでさするとは大した奴。不届きな振る舞いなれども、その度胸はきっと天下のお役に立つであろうぞ」

はーっはっはっは……わざとらしく豪快に笑い飛ばし、又七に褒美を与えて帰らせたそうです……が、その後。

「貴様ら!主君が目の前で打たれたと申すに、何もできずただ見ているばかりとは不届き千万!」

とのことで、側に控えていた小姓には切腹を申しつけたということです。言い分自体はもっともですが、又七を許した以上、小姓も赦しておかないと器量の狭さがバレてしまいます。

(また、いくら歓談中だったと言っても、不意に扇で顔面を打たれた当人の不覚も不覚です)

どうしても腹が癒えず切腹を申しつけるにしても、周囲から八つ当たりと思われない別の理由を用意すべきでした。

大人げなさすぎ!若者相手に大喧嘩

一三一 伊達正宗屋敷へ、御旗本兼松又七見舞ひ咄の後、又七走り懸り、扇を以て正宗の頬をしたゝに打ち申し候。正宗少しもさわぎ申さず、「日本に隠れなき伊達正宗が頬先を撫でたりとも、さすりなりともするもの覚えなし。其方は曲者に似たる者なり。後には御用に立つべき者ぞ。」と褒美にて候。又七帰宅以後、正宗の側に居り候小姓を呼び出し、「主人の面を打ち候者を見ながら、差し置き候は、腰ぬけなり。」とて切腹申し付けられ候由なり。

※『葉隠』巻第十より

……というエピソードが伝わっていますが、この話には元ネタがあるそうで、細川忠興(ほそかわ ただおき)の書状などによると、寛永7年(1630年)、政宗が旗本の兼松又四郎(かねまつ またしろう。亦四郎)と喧嘩したそうです。

……内藤左馬宅江伊達政宗饗宴の処に、兼松亦四郎政宗出入ありと云……

※『佐竹家譜』寛永7年庚午7月22日より

ここで言う出入(でいり、いでいり)とは喧嘩のことで、現代でもヤクザ用語として出入などと言うことがありますね。

事情はともあれ、60代で60万石以上の大身でありながら、まだ20代で700石の小身に過ぎない又四郎と同じ土俵で喧嘩を繰り広げたことは大層うわさになったようで、誰が詠んだかこんな落首が出回ったといいます。

立派な刀だが、切れ味は……?(イメージ)

政宗の 太刀は正銘 やきば(焼刃)なし せき兼松に きれはおとれり

【意訳】名刀と評判の正宗だが、どうやらきちんと焼き入れがされていないため、その切れ味は美濃国関(現:岐阜県関市。刃物の産地)の兼松に劣っている。

伊達政宗を名刀「正宗」にかけ、評判だけは立派だが、焼き入れされておらず芯(精神的な強さ)がないため、兼松ごとき若造(※)と喧嘩をするのだ……。

(※)兼松又四郎と言えば、織田家の猛将・兼松正吉(まさよし)が有名ですが、正吉は寛永3年(1627年)に亡くなっているため、この又四郎はその子孫が通称を受け継いだのでしょう。

「あと10年早く生まれていれば天下が獲れた」などと豪語し、伊達男として名を馳せた政宗でしたが、その残念な晩年を彷彿とさせます。

無礼な若者にも、大人の対応を心がけたい……言うは易しだが(イメージ)

昔から「金持ち喧嘩せず」と言うように、とかくつまらぬ喧嘩は避けるのが大人というもの。血気盛んな若者がどんな粗相をしたのかは知る由もありませんが、政宗の轍を踏まぬよう、余裕をもって対処したいものですね。

※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年12月
原武男 校訂『佐竹家譜』東洋書院、1989年8月