■「副作用もなく安全」として紹介されているが…

「いま人工呼吸器を装着している患者は30代。やや肥満ですが、それ以外に基礎疾患はありません。コロナ第5波になってからは、40、50代の現役世代が重症化するようになりました。しかも患者数が激増してベッドが塞がり、搬送依頼があっても受けられない時もあります」

撮影=岩澤倫彦
新型コロナ患者を治療する埼玉医科大学総合医療センターの医療従事者 - 撮影=岩澤倫彦

こう話すのは、新型コロナ治療の最前線で指揮をとる、埼玉医科大学総合医療センターの岡秀昭教授。自身が基礎疾患を抱えながらも、急増するコロナ患者の対応にあたる。

デルタ株に置き換わった新型コロナウイルスが猛威をふるい、病床が圧倒的に足りず、必要な治療が受けられない状態が続く。東京都内では、親子3人の家族全員が新型コロナに感染、40代母親が自宅療養中に死亡する悲劇も起きた。国民全体の半数が一度もコロナのワクチンを接種していないまま、第5波の出口は見つかっていない。

未曾有の混乱と不安の中で、いま注目を集めている薬がイベルメクチン(製品名:ストロメクトール)。

一部の医師やメディアが「重症化を防ぐコロナの特効薬」「副作用もなく安全」として紹介、SNSでは「イベルメクチンがあれば、ワクチン不要」という情報まで飛び交う。18日、衆議院の内閣委員会閉会中審査で、厚生労働省の山本史官房審議官は、イベルメクチンの承認申請がされた場合、優先かつ迅速に審査すると述べた。

だが、新型コロナの治療にあたる専門家の大半は「イベルメクチン」に対して懐疑的だ。その理由を探ると、一般の人が知らない5つの“誤解”がみえてきた――。

■「使った、治った、だから効いた」論法の落とし穴

「イベルメクチンという特効薬がある。100人近くに使ったが、本当によく効く」
「体重60キロ以上の人なら4錠、それ以下の人は3錠を1回飲むだけ」
「イベルメクチンを飲んだ患者は、全員1人も死んでいない」
「アベノマスクのように、イベルメクチンを全国民に配るべき」

兵庫県でクリニックを経営する長尾和宏医師は今月10〜12日、フジテレビ「バイキングMORE」や日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」に出演して、イベルメクチンを絶賛した。自宅療養を余儀なくされたコロナの患者たちに、イベルメクチンを投与して「よく効いた」という。現役医師による体験談は強い説得力がある。だが、そこには意外な“落とし穴”が潜んでいるのだ。

医薬品の承認審査に詳しい、日本医科大の勝俣範之教授が解説する。

「かつて薬は“使った、治った、だから効いた”という『3た論法』で十分とされていた時代がありました。しかし、実際は同時に服用した他の薬の影響や、患者の自己治癒力など、バイアス(偏り)が絡む可能性があると分かってきたのです(交絡因子)。現在のエビデンスレベルでは、医師の体験談(専門家の意見)は低いランクとなります。こうした経緯から、医薬品の承認には、多人数の患者を対象に行うRCT(※)という臨床試験によって、科学的な有効性の証明が必要となりました。確証もないのに、思い込みで薬を使うのは人体実験に等しい行為です」

提供=岩澤倫彦

■100人の治療体験だけで特効薬とするのは早計

科学的根拠に基づいた医療=EBM(Evidence-based Medicine)が、世界的な主流となったのは1990年代以降。それ以前の医学教育を受けた世代の一部には、いまだに体験に基づく「3た論法」が幅をきかせている。イベルメクチンがコロナによく効くと主張している長尾医師は、1970年代後半から80年前半に医学生だった。

また長尾医師はイベルメクチン以外にも、抗生物質や解熱鎮痛薬も処方していると、テレビで述べている。そもそも新型コロナに感染した8割の人は、特別な治療をせずに回復することを考えると、100人程度の治療体験だけでイベルメクチンをコロナの特効薬として語るのは早計ではないだろうか。

(※RCT=研究の対象者を2つ以上のグループにランダムに分けて検証する臨床試験)

■「有効性がある」論文の大半が中南米やアジア発

新型コロナウイルスは非常に速いスピードで世界中に感染が拡大したため、新薬の開発が追いつかなかった。そこで別の治療目的で承認されていた薬を使う「ドラッグ・リポジショニング」が多用されたのである。

イベルメクチンもその一つ。ノーベル医学・生理学賞を受賞した北里大学の大村智博士が、土壌の微生物から発見したアベルメクチンを基に開発され、日本では糞線虫症や疥癬の治療に使われている薬である。また、アフリカや中南米、中東諸国などでは、オンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬として広まり、世界で約4億人が服用したとされる。

撮影=岩澤倫彦
糞線虫症や疥癬の治療に使われているイベルメクチン(製品名:ストロメクトール) - 撮影=岩澤倫彦

イベルメクチンの本家というべき北里大学では、世界中から新型コロナの治療に有効だったと報告する論文を収集して、西村康稔経済再生担当相や自民党にアピール。そしてツイッターなどで一般向けに情報発信している。北里大によると、少なくても世界27カ国以上で80以上のイベルメクチンに関する臨床試験が実施され、有効性があるという報告が数多く存在するという。

この情報から、イベルメクチンは世界中で新型コロナ治療薬としての有効性が証明されていると信用している人が多い。ただし、イベルメクチンの臨床試験を行なっている27カ国のうち、日本や欧米は6カ国。それ以外は、中南米やインドなどアジアの国々だ。

■エビデンスレベルの低い論文では有効性を肯定できない

新型コロナのパンデミックによって、信頼性の低い医学論文まで公開されるようになったと、前述の埼玉医科大学・岡教授は指摘する。

「医学論文の評価は、どのような医学誌に掲載されるかで決まります。インパクトファクターという論文の引用数で医学誌は格付けされていますが、一流の医学誌ほど専門家による査読と呼ばれる審査が厳しく、評価の低い医学誌は査読が甘い。

新型コロナの感染拡大が起きてからは、査読前の論文(プレプリント)が数多く公開されるようになりました。早く治療情報を共有するためですが、従来なら発表されないような問題があったり、質の低い論文が公開されてしまうようになったのです」

岡教授に、イベルメクチンの有効性を証明したとされる論文を確認してもらったところ、意外なことが分かった。

「イベルメクチンに関しては、査読を受けていない論文、観察研究などのエビデンスレベルが低い論文が大半を占めています。中にはエビデンスレベルが高いRCTやメタアナリシス(※)で、イベルメクチンの有用性を示した論文もありました。

しかし、最近になってデータ捏造の疑いが明らかになり、信頼できないものとなっています。したがって、現時点ではイベルメクチンの有効性は肯定できません。RCTやメタアナリシスの論文だから、なんでも信頼性が高いというわけではないのです」(岡教授)

現在、日本でイベルメクチンは、新型コロナの治療薬として承認されていない。そこで北里大学は公的な研究費4億円を得て、去年9月からイベルメクチンの第2相臨床試験をスタートさせた。しかし、計画していた症例数(240人の患者)が集められず、終了予定を今年3月末から今年9月まで延長している。その一方で、先月は製薬会社・興和と組んで、新たなイベルメクチンの第3相臨床試験を発表して波紋を呼んだ。

ちなみに、臨床試験の途中で、海外の論文を引用するなどして有効性をアピールするのは、臨床試験に参加する患者に影響を与える可能性があるので、禁じ手とされている。

(※メタアナリシス=複数の研究論文のデータを統計的手法で解析した研究。エビデンスレベルは最も高いとされる)

■都医師会がイベルメクチン緊急使用を提言したワケ

第5波が深刻化する中で、イベルメクチンを自宅療養の軽症患者に緊急使用すべき、と提言しているのが、東京都医師会である。尾崎治夫会長が単独取材に応じて、その真意を述べた。

撮影=岩澤倫彦
単独取材に答える東京都医師会の尾崎治夫会長 - 撮影=岩澤倫彦

「コロナの感染拡大は、災害というべき状況で、一刻も早く手を打たなければなりません。イベルメクチンの有効性に議論があるのは承知していますが、開業医が自宅療養の患者に投与することで救える命があるでしょう。何より重い副作用がほとんどないことが世界中で使われて分かっている。肝機能障害が起きているという指摘もありますが、一般的な市販薬にも同じ副作用があるのに、イベルメクチンだけやり玉に挙げるのはいかがなものか。

実は第3波の時、イベルメクチンの製造元であるメルク社から、東京都医師会が4万錠を買い取る交渉をしました。重い副作用に備えて損害保険会社にも話をつけましたが、メルク社が応諾しなかったので実現しませんでした」

さらに尾崎会長は、アフリカ諸国でイベルメクチンを寄生虫の駆除薬として服用した国と、していない国を比較したところ、コロナの感染者数に大きな違いがあるという分析結果から、イベルメクチンの効果だという考えを示した。

今は、非常事態であることに異論はない。ただし、アフリカ諸国のイベルメクチンとコロナの感染者数については、医療に積極的な国と、そうではない国との違いが表れたという見方もあるだろう。イベルメクチンにワクチンと同様の予防効果を期待する根拠にはならない。

■処方量によっては重い副作用が出る危険もある

ところで、イベルメクチン(製品名:ストロメクトール)のパッケージには、「劇薬」と記されているのはご存じだろうか?

撮影=岩澤倫彦
『劇薬』と記載されたイベルメクチンのパッケージ - 撮影=岩澤倫彦

劇薬とは、「原則として、動物に薬用量の10倍以下の長期連続投与で、機能又は組織に障害を認めるもの」などに該当する薬が指定され、慎重な取り扱いが必要となる。

イベルメクチンは重い副作用が出ていないというのは、寄生虫の治療で1回、もしくは2回のみの服用の場合だ。新型コロナの治療では、イベルメクチンを1回服用するだけでなく、連続5日間の服用ケースや同時に他の医薬品を処方する医師もいる。

東京大学薬学部の小野俊介准教授は、イベルメクチンのリスクについてこう述べた。

「イベルメクチンはCYP3A4という代謝酵素で代謝される薬です。この手の代謝プロファイルの薬剤は、薬の飲み合わせや、肝機能が低下した患者で血中濃度が想定よりも高くなってしまうことがあります。治療において注意が必要な薬です」(小野准教授)

■イベルメクチンを個人輸入する3つのリスク

最新の新型コロナ診療ガイドラインでは、イベルメクチンは推奨されていない。そこで、イベルメクチンのジェネリックを個人輸入する動きが広がっている。一般的なネット通販とほぼ同じ手順なので、誰でも合法的に購入できるのだが、3つのリスクが潜んでいる。

1番目のリスクは「偽造品の可能性」。イベルメクチンは南半球の国々でも、コロナ治療薬としての期待が高まっているため、メキシコで偽造品が確認されたという報道がある。

2番目は「重篤な副作用が起きてもすべて自己責任」という点。医薬品副作用救済制度(PMDA)は、個人輸入のケースに適用されない。

3番目は「医師が介在せず、自己流の服用になること」。ツイッターなどではアメリカの医師グループによるイベルメクチンの服用例が紹介されているが、これについて小野准教授は警鐘を鳴らす。

「政府の関連機関や学会との関係が明確ではない医師グループが、勝手に提唱する用法用量を鵜呑みにするのは、とても危険な行為です。医師が関与していないと、イベルメクチンが本当に効いたのか、副作用が現に出ていないか、本人も周囲も冷静に確認することができません。飲みっぱなし、副作用が出たら出っ放しになります」(小野准教授)

■軽症患者向けに期待できる治療法がほかにある

イベルメクチンが注目されているのは、自宅療養を余儀なくされ、治療を受けられない人が急増していることに関係している。コロナの中等症から重症の治療法は確立されているが、これまで軽症患者の治療だけが空白になっていた。

それが先月、抗体カクテル療法(製品名:ロナプリーブ)が、世界に先駆けて承認されて大きく変わろうとしている。埼玉医科大の岡教授も、この治療に期待を寄せていた。

撮影=岩澤倫彦
抗体カクテル療法で使われる『ロナプリーブ』 - 撮影=岩澤倫彦

「抗体カクテル療法は、重症化や死亡リスクなどを7割低減することが臨床試験で証明されました。発症から7日以内に、肥満や高血圧などの基礎疾患がある軽症患者に点滴で投与します。有効性が判然としないイベルメクチンではなく、抗体カクテル療法を早急に投与する体制づくりとワクチンの接種が、命を救うことに繋がるでしょう」(岡教授)

岡教授によると、海外では点滴ではなく、皮下注射でも有効性が確認されているという。皮下注射が許可されると、開業医が自宅療養の患者に投与することも可能になるはずだが、東京都医師会の尾崎会長は、根本的な課題があると指摘する。

「抗体カクテル療法にはアナフィラキシーショックなどのリスクはありますが、皮下注射が承認されたら、開業医が訪問診療で対応することが可能かもしれません。ただし、実際は薬が足りず、必要なところに届いていないのです。菅首相は、品川のホテル(宿泊療養施設)にメディアを集めて、抗体カクテルの薬は十分に確保しているとアピールしていましたが、それは期待感だけを持たせて国民を騙す行為です」

政府や東京都の姿勢に疑問を呈した、尾崎会長。すでに第5波の対策として野戦病院の設置に向け、人的配置まで検討していることを明かした。

イベルメクチンは、現時点で「コロナの特効薬」と言えるほどの科学的根拠はなく、イメージだけが独り歩きしている。この非常事態に必要なのは、抗体カクテル療法の薬と野戦病院など治療体制の確保、そしてワクチン接種など感染拡大を抑止する抜本的な対策ではないだろうか。

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岩澤 倫彦(いわさわ・みちひこ)
ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家
1966年生まれ。フジテレビの報道番組ディレクターとして「血液製剤のC型肝炎ウイルス混入」スクープで新聞協会賞、米・ピーボディ賞。著書に『やってはいけない がん治療』(世界文化社)、『バリウム検査は危ない』(小学館)、『やってはいけない歯科治療』(小学館)など。
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(ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家 岩澤 倫彦)