「前妻の子に遺産を渡すために借金?」民法改正、遺留分の罠
2019年7月1日に民法が改正され、相続に関する状況も変化しています。
「遺留分」に関する権利が、遺言により遺産を独り占めした相続人に対し、「金銭を請求できる権利」に変わりました。
相続の問題に詳しい司法書士の鈴木敏起さんに、50代の主婦・春海さん(仮名)という方を事例にして、想定できるトラブル例について聞いてみました。
「遺留分侵害額請求権」と民法改正が悩みのタネに…
春海さん(仮名)は、50代の主婦。夫にとって春海さんは二度目の結婚で、二人の間に子どもはいません。夫には、前妻との間に子(芳夫さん:仮名)が一人いました。
夫がガン闘病の末、55歳で亡くなりました。夫の遺産は4000万円相当の自宅のみ。闘病にあたり、預金はゼロ。医療費に充てるため生命保険を解約し、春海さんの預金もほぼ使い果たしてしまいました。
夫は、春海さんのために、自宅を春海さんに遺贈するという遺言を書きました。
なお、この自宅は、夫が前妻と生活していたときに暮らしていた家で、芳夫さんの生家でもあります。
妻である春海さんに自宅だけは残したいという夫のまごころでしたが、残念なのが前妻の息子・芳夫さんへの「遺留分」に思い至らなかったこと。
亡くなった相続人のうち子や親がもつ、故人の総遺産に対する比率である遺留分。芳夫さんがそれを請求するのは、法律上で決められた権利だったのです。
●夫の死後、前妻の息子から遺留分の請求が!
亡夫が残してくれた自宅。遺留分を支払えない場合、どうすればいいのでしょうか
夫の死後すぐ、春海さんは芳夫さんに連絡をし、夫の葬儀に出てもらいました。
後日、芳夫さんから春海さんに連絡が入ります。
「亡父とのつながりを感じたいので、遺留分を請求させてください」
しかしここで問題が。亡夫と春海さんには自宅以外の財産がありません。また、春海さんは自宅に住み続けたいと思っています。
春海さんは芳夫さんに自宅の名義を一部渡さなければいけないのでしょうか。
ここで、民法改正による遺留分の扱いについて説明します。
★ポイント1:民法改正前は、不動産に対する遺留分は「名義の共有」で支払われた
子や親がもつ、故人の総資産に対する比率である遺留分。
民法の改正前は、遺言で遺贈するとした財産が不動産の場合、その不動産は遺留分を請求する人と請求された人の共有名義となり、その後の権利関係が複雑になりました。
★ポイント2:民法改正後は、不動産に対する遺留分は「金銭」で支払われる
改正後においては、遺留分に関する権利が「金銭を請求できる権利」に変わりました。
不動産を共有しなくてよくなりましたが、お金のない春海さんの場合、金銭債務として芳夫さんに1000万円支払わなければならないという悩みが増えることに…。
●春海さんの選択肢1:金銭債務として芳夫さんに1000万円支払う
春海さんが、遺留分を払うためのお金がないことを伝えると、芳夫さんは言いました。
「闘病生活でお金が尽きているのはよく知っており、自分もお金がほしいわけではない。亡父とのつながりを残しておきたいので、生家でもある自宅に自分の名義をいくばくか残したい」
春海さんは、自宅が共有になることも気になりましたが、芳夫さんは、春海さんが自宅を売却する必要のあるときにはきちんと協力してくれるということでした。
芳夫さんの提案にのる場合、自宅を共有名義とすることになります。法律が定めていない方向にかじを切ることになりますが、まずはその方法があるのでしょうか。
●春海さんの選択肢2:代物弁済契約して自宅の名義を共有、約200万円の譲渡税を納める
遺留分請求が「金銭を請求できる権利」に変わったといえ、支払うべき金銭がなければ、金銭で解決できません。
春海さんが専門家に相談すると、芳夫さんに1000万円を支払う代わりに、自宅の名義の一部をもたせる方法はあると言います。
(1) 遺言を執行して自宅を春海さんの名義とします。
(2) 自宅の春海さん名義の一部(持分)を芳夫さんに移転することで、芳夫さんの遺留分請求(金銭債権)の支払いに充てるべき合意をします。これを「代物弁済契約」といいます。
(3) これに伴う登記申請をし、春海さんと芳夫さんの共有名義とします。
しかしここに、民法改正後の落とし穴がありました。
民法改正前は、このようなとき、遺留分減殺請求をすることで、遺言の効果を一部失わせて、当然に自宅が共有になりました。
しかし民法改正後の遺留分侵害額請求は、遺言の効果を妨げないため、遺言を執行したのちに名義の整理をしようとすると、「代物弁済契約」を行なう必要が出てしまいます。
このとき、代物弁済によって支払いを免れた春海さんに、譲渡税が課税されます。
計算を単純化すると(利益から控除できる取得費などを考慮に入れないと)、課税額は、遺留分4分の1相当額(1000万円)の約20%の約200万円となります(※)。
※取得費を多く計上できるなど、環境によっては、譲渡税がかからないこともあります。税率は、夫の取得年数により異なります。税理士を交えて、検討する必要があります。
夫を闘病の末に亡くし、貯金を使い果たした春海さんにとって、この税金は支払うことができません。
ほかに方法はないのでしょうか。
●春海さんの選択肢3:遺産分割協議して自宅の名義を共有する
春海さんがさらに専門家に相談すると、ほかの相続人が協力的な今回のケースにおいては、次のような方法もあると提案を受けました。
(1) 遺言を使わず、芳夫さんとの間で「遺産分割協議」をする。
(2) 遺留分相当割合の4分の1を芳夫さんの持分とし、春海さんと芳夫さんとで、3:1の共有名義とする。
「芳夫さんの意向は、亡父とのつながりがほしいということであり、売却時には協力してくれるという合意もできているので、支払うべき金銭がない以上、不動産共有もやむを得ないでしょう。遺言を使うと代物弁済により譲渡税の課税があるのであれば、遺言を使わないこの方法も一考です」
この提案に、春海さんは心が動きました。「自宅を春海さんに遺す」という亡夫の遺言に背くことになりますが、お金がない以上、こちらの方法を進めることに。
「遺留分として1000万円を芳夫さんに渡す」のでも、「代物弁済契約をして自宅の名義を共有とし、譲渡税約200万円を国に納める」のでもなく、第3の案「遺産分割協議をして自宅の名義を共有する」ことを選んだ春海さん。
ただ、共有のデメリットから解放されたわけではありません。
後の祭りではありますが、春海さんと生前の夫はどうすべきだったのでしょうか。
●最善の策:シンプルにできる遺留分対策は、やはりお金。生命保険を死守する
今回のケースでは、いずれの提案においても、共有のデメリットは残るのが難点です。
しかし、共有デメリットを解消できる方法があります。
遺留分請求に対して支払いができるように、生命保険をかけておくことです。
芳夫さんは、「お金はいらない、自宅名義の一部がほしい」ということでしたが、法律が金銭債権と規定している以上、春海さんとしてはお金を支払えば解決です。
芳夫さんの気持ちに寄り添うことはできませんが、課題を将来に残さない、きれいな措置と思います。
闘病生活に入る前に、夫が生命保険に加入しており、預金が枯渇したために保険解約などしていなければ、今回のケースでも、きれいに収まりました。お金の必要な相続人に直接お金を残せる生命保険は、使いどころが多くありますね。
遺留分侵害額請求には、保険で手当て、が基本といえます。
今回のケース以外でも、遺言の内容をそのまま実施してしまうと、相続人の間に禍根を残してしまうことがあります。
その場合、故人の思いとは裏腹に、不動産の共有を解決策として検討することもあります。
しかし、民法改正後は、改正前よりも共有にあたっての課題が多くあり、このように、金銭請求に対してきちんとお金で準備をしておくことが、対策の王道と思います。
●教えてくれた人
【鈴木敏起(すずきとしおき)さん】
東京都昭島市燦リーガル司法書士行政書士事務所
代表。相続総合支援業務や家族信託支援業務を得意とし、司法書士会主催の専門職向けの研修や、一般向けセミナーの講師を多数務める。
「遺留分」に関する権利が、遺言により遺産を独り占めした相続人に対し、「金銭を請求できる権利」に変わりました。
相続の問題に詳しい司法書士の鈴木敏起さんに、50代の主婦・春海さん(仮名)という方を事例にして、想定できるトラブル例について聞いてみました。
「遺留分侵害額請求権」と民法改正が悩みのタネに…
亡夫の遺産ゼロ。遺言書で自宅は確保できたものの、前妻の子に遺留分を支払わねばならず…
春海さん(仮名)は、50代の主婦。夫にとって春海さんは二度目の結婚で、二人の間に子どもはいません。夫には、前妻との間に子(芳夫さん:仮名)が一人いました。
夫がガン闘病の末、55歳で亡くなりました。夫の遺産は4000万円相当の自宅のみ。闘病にあたり、預金はゼロ。医療費に充てるため生命保険を解約し、春海さんの預金もほぼ使い果たしてしまいました。
夫は、春海さんのために、自宅を春海さんに遺贈するという遺言を書きました。
なお、この自宅は、夫が前妻と生活していたときに暮らしていた家で、芳夫さんの生家でもあります。
妻である春海さんに自宅だけは残したいという夫のまごころでしたが、残念なのが前妻の息子・芳夫さんへの「遺留分」に思い至らなかったこと。
亡くなった相続人のうち子や親がもつ、故人の総遺産に対する比率である遺留分。芳夫さんがそれを請求するのは、法律上で決められた権利だったのです。
●夫の死後、前妻の息子から遺留分の請求が!
亡夫が残してくれた自宅。遺留分を支払えない場合、どうすればいいのでしょうか
夫の死後すぐ、春海さんは芳夫さんに連絡をし、夫の葬儀に出てもらいました。
後日、芳夫さんから春海さんに連絡が入ります。
「亡父とのつながりを感じたいので、遺留分を請求させてください」
しかしここで問題が。亡夫と春海さんには自宅以外の財産がありません。また、春海さんは自宅に住み続けたいと思っています。
春海さんは芳夫さんに自宅の名義を一部渡さなければいけないのでしょうか。
ここで、民法改正による遺留分の扱いについて説明します。
★ポイント1:民法改正前は、不動産に対する遺留分は「名義の共有」で支払われた
子や親がもつ、故人の総資産に対する比率である遺留分。
民法の改正前は、遺言で遺贈するとした財産が不動産の場合、その不動産は遺留分を請求する人と請求された人の共有名義となり、その後の権利関係が複雑になりました。
★ポイント2:民法改正後は、不動産に対する遺留分は「金銭」で支払われる
改正後においては、遺留分に関する権利が「金銭を請求できる権利」に変わりました。
不動産を共有しなくてよくなりましたが、お金のない春海さんの場合、金銭債務として芳夫さんに1000万円支払わなければならないという悩みが増えることに…。
前妻の子から遺留分の請求。民法改正後に考えられる3つの選択肢とは?
●春海さんの選択肢1:金銭債務として芳夫さんに1000万円支払う
春海さんが、遺留分を払うためのお金がないことを伝えると、芳夫さんは言いました。
「闘病生活でお金が尽きているのはよく知っており、自分もお金がほしいわけではない。亡父とのつながりを残しておきたいので、生家でもある自宅に自分の名義をいくばくか残したい」
春海さんは、自宅が共有になることも気になりましたが、芳夫さんは、春海さんが自宅を売却する必要のあるときにはきちんと協力してくれるということでした。
芳夫さんの提案にのる場合、自宅を共有名義とすることになります。法律が定めていない方向にかじを切ることになりますが、まずはその方法があるのでしょうか。
●春海さんの選択肢2:代物弁済契約して自宅の名義を共有、約200万円の譲渡税を納める
遺留分請求が「金銭を請求できる権利」に変わったといえ、支払うべき金銭がなければ、金銭で解決できません。
春海さんが専門家に相談すると、芳夫さんに1000万円を支払う代わりに、自宅の名義の一部をもたせる方法はあると言います。
(1) 遺言を執行して自宅を春海さんの名義とします。
(2) 自宅の春海さん名義の一部(持分)を芳夫さんに移転することで、芳夫さんの遺留分請求(金銭債権)の支払いに充てるべき合意をします。これを「代物弁済契約」といいます。
(3) これに伴う登記申請をし、春海さんと芳夫さんの共有名義とします。
しかしここに、民法改正後の落とし穴がありました。
民法改正前は、このようなとき、遺留分減殺請求をすることで、遺言の効果を一部失わせて、当然に自宅が共有になりました。
しかし民法改正後の遺留分侵害額請求は、遺言の効果を妨げないため、遺言を執行したのちに名義の整理をしようとすると、「代物弁済契約」を行なう必要が出てしまいます。
このとき、代物弁済によって支払いを免れた春海さんに、譲渡税が課税されます。
計算を単純化すると(利益から控除できる取得費などを考慮に入れないと)、課税額は、遺留分4分の1相当額(1000万円)の約20%の約200万円となります(※)。
※取得費を多く計上できるなど、環境によっては、譲渡税がかからないこともあります。税率は、夫の取得年数により異なります。税理士を交えて、検討する必要があります。
夫を闘病の末に亡くし、貯金を使い果たした春海さんにとって、この税金は支払うことができません。
ほかに方法はないのでしょうか。
●春海さんの選択肢3:遺産分割協議して自宅の名義を共有する
春海さんがさらに専門家に相談すると、ほかの相続人が協力的な今回のケースにおいては、次のような方法もあると提案を受けました。
(1) 遺言を使わず、芳夫さんとの間で「遺産分割協議」をする。
(2) 遺留分相当割合の4分の1を芳夫さんの持分とし、春海さんと芳夫さんとで、3:1の共有名義とする。
「芳夫さんの意向は、亡父とのつながりがほしいということであり、売却時には協力してくれるという合意もできているので、支払うべき金銭がない以上、不動産共有もやむを得ないでしょう。遺言を使うと代物弁済により譲渡税の課税があるのであれば、遺言を使わないこの方法も一考です」
この提案に、春海さんは心が動きました。「自宅を春海さんに遺す」という亡夫の遺言に背くことになりますが、お金がない以上、こちらの方法を進めることに。
「遺留分として1000万円を芳夫さんに渡す」のでも、「代物弁済契約をして自宅の名義を共有とし、譲渡税約200万円を国に納める」のでもなく、第3の案「遺産分割協議をして自宅の名義を共有する」ことを選んだ春海さん。
ただ、共有のデメリットから解放されたわけではありません。
後の祭りではありますが、春海さんと生前の夫はどうすべきだったのでしょうか。
●最善の策:シンプルにできる遺留分対策は、やはりお金。生命保険を死守する
今回のケースでは、いずれの提案においても、共有のデメリットは残るのが難点です。
しかし、共有デメリットを解消できる方法があります。
遺留分請求に対して支払いができるように、生命保険をかけておくことです。
芳夫さんは、「お金はいらない、自宅名義の一部がほしい」ということでしたが、法律が金銭債権と規定している以上、春海さんとしてはお金を支払えば解決です。
芳夫さんの気持ちに寄り添うことはできませんが、課題を将来に残さない、きれいな措置と思います。
闘病生活に入る前に、夫が生命保険に加入しており、預金が枯渇したために保険解約などしていなければ、今回のケースでも、きれいに収まりました。お金の必要な相続人に直接お金を残せる生命保険は、使いどころが多くありますね。
遺留分侵害額請求には、保険で手当て、が基本といえます。
今回のケース以外でも、遺言の内容をそのまま実施してしまうと、相続人の間に禍根を残してしまうことがあります。
その場合、故人の思いとは裏腹に、不動産の共有を解決策として検討することもあります。
しかし、民法改正後は、改正前よりも共有にあたっての課題が多くあり、このように、金銭請求に対してきちんとお金で準備をしておくことが、対策の王道と思います。
●教えてくれた人
【鈴木敏起(すずきとしおき)さん】
東京都昭島市燦リーガル司法書士行政書士事務所
代表。相続総合支援業務や家族信託支援業務を得意とし、司法書士会主催の専門職向けの研修や、一般向けセミナーの講師を多数務める。