西野ジャパンは、レギュラーと控えの線引きが、メンバー選考時からすでにあったかのような印象さえ受ける。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全3枚)

 8年前の、ちょうど今頃の感情を思い出してみる。
 
 2010年の南アフリカ・ワールドカップの開幕が目前に迫っても、当時『週刊サッカーダイジェスト』の編集長だった私に、高揚感はほとんどなかった。
 
 もちろん「奇跡」が起こってほしいと願ってはいたけれど、心の大部分を占めていたのは「大会後の不安」だった。2006年大会に続いて2大会連続でグループリーグ敗退となれば、日本サッカーを覆う熱はどこまで冷めきってしまうのだろう。サッカー専門誌など、誰も見向きもしなくなってしまうのではないか。まだ初戦を迎えてもいないのに、鬱々とした気持ちになっていた。
 
 私だけではない。当時はそれこそ、日本中がしらけきっていたように思う。大会前のテストマッチで4連敗を喫した岡田武史監督率いる日本代表に期待する者は、かなりの少数派だっただろう。
 
 時空を切り取って、すっぽり8年後にはめ込んだように、あの頃とロシア・ワールドカップの開幕を控えた現在の状況は、とてもよく似ている。3月のマリ戦以降の4つのテストマッチで1分け3敗という散々な結果だけでなく、代表チームを取り巻く冷めた空気感までもがそっくりだ。
 
 唯一異なるのは、監督交代に踏み切ったか否かという点だ。8年前の岡田監督は、メディアの解任キャンペーンにも屈せずに本大会でも指揮を執ったが、ロシアに向かうチームは予選を戦ったヴァイッド・ハリルホジッチを解任し、西野朗新体制で戦う道を選択している。
 
 だからこそ余計に不思議に感じるのは、監督解任という荒療治を施したとは思えないほど、現在のチームから危機感や焦燥感が伝わってこないことだ。
 
 西野体制の初陣となったガーナ戦で3バックが試されたが、ピッチに立つスタメン11人の顔ぶれは、3バックでも4バックでもさほど変わらない。レギュラーと控えの線引きが、メンバー選考時からすでにあったかのような印象さえ受ける。どんなにボールが収まらなくても、本田圭佑はトップ下/シャドーの一番手であり、スイス代表のジェルダン・シャキリにスピードで簡単にちぎられようと、長谷部誠は本大会でもピッチに立ち続けるのだろう。
 
 8年前のほうが、はるかに危機感はあった。
 
 岡田監督がそれまでのやり方──高い位置からプレスを掛けて、自ら試合の主導権を握るサッカー──を放棄し、より現実的かつ守備的な戦術にシフトすると決めたのは、カメルーンとの初戦の約2週間前だったと言われている。そして、試行錯誤を経て、本田を1トップで起用する“ゼロトップ・システム”が実戦のピッチでお披露目されたのは、同じくカメルーン戦のわずか4日前(急きょ組まれたジンバブエ代表との練習試合)。従来のパスサッカーの象徴とも言えた中村俊輔を控えに回す、まさしく戦術の大転換であった。
 
 岡田監督が注入した劇薬によって、チームはぎりぎりの段階で“ワールドカップ仕様”へと大きく舵を切るのだが、同時にこれは選手間の競争意識や危機感を煽る効果ももたらしている。悪い流れを変え、閉塞感を打破するには、それくらいの思い切った策や刺激が必要なのだろう。
 
 ワールドカップ開幕2か月前に起こった今回の監督交代劇を、無謀なギャンブルと見る向きもある。しかし、23人枠の人選や選手起用も含めて、西野監督のここまでの取り組みは決して想像の範疇を超えるものではない。8年前に岡田監督がわずか2週間でやってのけたことのほうが、ギャンブルと言えばよほどのギャンブルだ。
 
 今の代表チームから、良く言えば平穏な、悪く言えば座して死を待つような達観した空気が漂うのはなぜだろう。