マダガスカルの首都アンタナナリボにて。

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私は今般『国家とハイエナ』という書き下ろしの国際金融小説を上梓した。破たんした国家の債務を二束三文で買って、金利やペナルティを含めた全額を支払えと欧米の裁判所で訴え、債務国の外貨準備、原油タンカー、航空機、政治家の隠し資産、はては人工衛星打ち上げ契約まで差し押さえて、投資額の20倍、30倍のリターンを上げるヘッジファンドの話である。こうした「ハイエナ・ファンド」は米国に何十もあり、代表的なものが「共和党のキングメーカー」の異名をとるポール・シンガー氏(推定個人資産約2500億円)のエリオット・マネジメント(以下エリオットと略)だ。同ファンドは、ペルー、コンゴ共和国、ギリシャ、アルゼンチンなどを相手に、次々と勝利を収めてきた。今年4月に決着したアルゼンチンとの15年戦争では、1億8500万ドル程度で買ったアルゼンチン国債で22億8000万ドルの利益を上げた(ブルームバーグの報道などから推定)。

■取材は常にゼロクリアー

資料集めと並行して、当事者を捜し出して話を聞くことは、経済小説の書き手にとって必須である。一人の当事者(専門家)に会うことは100冊の本を読むのに匹敵する。

取材は常にゼロからの出発である。友人関係や編集者が役に立つことはあまりない。以前、著名なインベストメントバンカーを取材したとき「投資銀行業務というのは毎年ゼロクリアーなんです。厳しい収益目標を課され、一年間必死にもがいて達成しても、翌年の期初にはゼロクリアーされ、さらに高い目標を課され、また必死になってそれを達成する。その繰り返しです」と言われたことがある。作品の取材もまた毎回ゼロクリアーである。

今回取材をして知ったのは、ハイエナ・ファンドの強奪的投資手法を阻止しようと活動しているNGOが世界中にあり、彼らが各国でメディアや議会に働きかけ、反ハイエナ法案を成立させたり、ハイエナ・ファンドほどではないが、エチオピアやガイアナのような重債務貧困国を相手に、かなり強硬に債権回収を図ろうとしていた世界的食品メーカーのネスレ(本社・スイス)や英国最大の冷凍食品小売りチェーンのビッグ・フード・グループ社に対し、「ネーム・アンド・シェイム(名指しして恥を知らせる)・キャンペーン」を展開してきたという事実だ。日本ではほとんど報道されていないが、世界では、国家とハイエナ・ファンド(および巨大企業)とNGOの三つ巴の闘いが繰り広げられてきたのである。

この分野のNGO活動家としては、日本では、一昨年82歳で亡くなった北沢洋子さんが著名である。北沢さんが創設したNGO「アジア太平洋資料センター」(略称PARC、東京都千代田区淡路町)を通じて取材を申し込み、生前、横浜白楽のご自宅で、故小渕総理に首相官邸で会って、日本の対貧困国債務削減を申し入れたりしたときの様子など、貴重なお話を伺った。

その他、英米の裁判に関して複数の渉外弁護士、原油取引に関して現役商社マン、ヘッジファンドに関して複数の現役金融マン、コンゴ共和国に関して別の現役商社マン、ペルー・アルゼンチンに関して銀行の元現地駐在員、アフリカのフランス語圏に関して元国際機関職員など、30人ほどに取材をした。

取材は一人で行って一人で話を聞く。作品によっては熱心な編集者が同行してくれることもあるが、基本は一人である。これは先輩作家の城山三郎さん、高杉良さん、吉村昭さんなども同じである。これらの人たちのエッセイを読んでいると、高齢になってもノートと鉛筆を手に歩き回っていたことが書かれている。どんなに有名になっても、いい情報は向こうからはやって来ない。取材に関しては、ベテラン作家も新人作家も同じである。

■現地取材で風の匂いを嗅ぐ

作品の舞台には極力足を運ぶ。今回の作品でも、コンゴ共和国の原油を積んだタンカーが付近の海峡を航行するマダガスカル、エリオットがユーロクリアに送金されるペルーの資金を差し押さえようとしたベルギー、ヘッジファンドのCEOが訪れるセビリアや別荘を持っているカプリ島、日本の舞台として出てくる江東区の大島団地などを取材して歩いた。その他舞台として登場するニューヨーク、ワシントンDC、香港などはしょっちゅう訪れており、ジャマイカなどのカリブ海諸国、カタール、ルーマニアなどは過去訪れたことがある。英国はもう29年近く住んでいるので最も取材しやすい場所である。今回は英国議会やケンブリッジに足を運んだ。マダガスカルの取材は数ヶ月前から準備をし、現地でガイドと4WD車を雇って国を縦断した。

現地取材では徹底してメモを取る。そこではどんな風景が見え、どんな人々が暮らし、どんな風の匂いがするのか、五感を全開にして取材をする。そうすると色々なものが見えてくるし、1行か2行の描写にも魂がこもって説得力が出る。

今回、2010年に反ハイエナ法案が成立した英国議会も取材したが、長年の疑問が一つ解けた。英国では、与党・野党のそれぞれに、採決にあたって議員たちが党の方針にしたがって投票するよう徹底させる院内総務という閣僚級の役職がある。この役職は、英語で「whip(鞭)」と呼ばれている。なぜ鞭なのか以前から不思議だったが、今回、英国の国会を取材し、議場の左右にある賛成と反対の部屋(division lobby)に議員たちが入っていく昔ながらの採決方法を採っているのを見て、議員たちを羊の群れのように追い立てて行くからwhipなのだと分かった。なお採決の部屋に入るのは採決開始後8分以内とされ、国会議事堂の近くのパブには、一杯やっている議員たちのために採決の開始を知らせる「ディヴィジョン・ベル」というベルが備え付けられている。

■情報収集するデータマンの活用

作家の多くはデータマンという情報収集の下請けをしてくれる人を有料で使っている。データというと統計資料を指すように思えるが、要は、執筆に役立つありとあらゆる情報や資料を集めてくれる人のことだ。『国家とハイエナ』を執筆するにあたっては、ロンドンで英語に堪能な日本人に依頼して、図書館やインターネットなどで英文の資料を集めてもらい、日本では、長年私のデータマンをやってくれている人に頼んで、国会図書館、大宅文庫その他で資料を集めてもらった。もちろん自分でも直接資料探しをするが、探すだけでもかなりの労力を要するので、執筆のエネルギーに食い込んでくるし、別の人の目で見るとまた違った資料も出てくるメリットがある。

日本で私のデータマンをやってくれているのは、高校を出たあと演劇や音楽関係の専門学校に進み、バンドや演劇活動をし、その後ライターに転じたという変わった経歴の中年女性である。常に自分の頭でしっかり考え、こちらの要望を咀嚼した上で、資料を探してくれるので、資料を受け取るたびに感心する。以前、一流私大を出たデータマンを2人使ったことがあるが(男1人、女1人)、自分の頭で考える習慣を持っていない人たちだったので、あまり役に立たなかった。結局、どんな仕事でも、いわれるままにやるのではなく、自分の頭でしっかり考えて取り組むことが大切で、学歴と仕事の能力は全然関係ないということだろう。

(作家 黒木亮=文)