東京の「亀有」と聞くと、秋本治さんの国民的マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を思い出す人も多いのではないでしょうか。下町のイメージの強い亀有ですが、この街がそういう雰囲気になったのは、意外にも最近のこと。第二次世界大戦以降なんです。戦災を逃れたこの街は、墨田区、台東区、荒川区から人が流れてきて、下町気質も受け継いだのだそう。商店街には飲食店も充実しているし、公園や自然も多いこの街。気さくな亀有の、地名の由来についてお話します。


「こち亀」で人気のあの地名は、伝言ゲームで付けられられた!?



下町情緒あふれる町、東京葛飾区・亀有。
江戸時代、この町は「御場(ごじょう)」という将軍が鷹を狩る場所でした。
そのため、鴨や鶴など水鳥が多く飼われていたといいます。
縁起物の鶴と対になるものとして、亀の名がつけられたという説もありますが、実は亀有の地形そのものが、地名の由来だったという話もあります。

亀の背のように盛り上がった地形だったこの場所。
葛飾区は大昔、海だったそうで、工事などで掘り起こすと貝殻が出てくるそうです。
低湿地で、亀の甲羅のような地形だったため、「亀のように成す」場所として「亀なす」と呼ばれるように。
やがて言葉が訛って「亀梨」と言われるようになりました。
「亀」に果物の「梨」で、亀梨です。

江戸時代のある日。かの水戸光圀公が亀梨に訪れました。
「なかなかによい御場だが、この場所はなんと言う?」
「はい、亀梨と言います」

すると光圀公はこう言いました。
「“亀無”だと? 長寿の亀が無いとは、縁起が悪い。このままでは、町の人は早死にしてしまう。今日から亀有に名前を変えよう」

こうして、亀梨は一転して、亀有と呼ばれるようになったのでした。
鶴は千年、亀は万年。浦島太郎が救ったのも亀。
日本人が長く愛してきた守護神は、江戸の人にとって、とても大事だったのです。

葛飾区の「郷土と天文の博物館」には、亀の形をした大変珍しい瓦が保存されています。
また亀有にある香取神社の参道の入り口には、亀の形をした狛犬ならぬ「狛亀」が置かれています。
今でも亀はこの町の大事な象徴として存在しているのです。

それにしても、「亀を成す」から「亀梨」に。
そしてそれが「亀有」になったとは、とんだ伝言ゲームですね。

文/岡本清香

◆TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、「亀有は亀無?」として2011年8月4日に放送した内容を再構成したものです。

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