ニッポンの“CMシンデレラ”50年の名場面(6)「中島はるみ・キリンレモン(1979年)」

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 あと少しで70年代が終わろうかという79年、異次元のスタイルを持つ少女がデビューした。竹内まりやの「ドリーム・オブ・ユー」をバックに、175センチの肢体を見せつけた中島はるみ(51)である。

──デビューした14歳で身長175センチ、B80・W58・H83と完璧すぎるプロポーション。

中島 いえいえ、幼稚園の時から飛び抜けて大きいだけで、何か病気じゃないかと心配したくらいでした。

──デビューはどんなきっかけで?

中島 母親が劇団に応募したんです。そのプロデューサーの方に「背が高いからモデルになったら」と言われまして、それで受けたオーディションが「キリンレモン」の6代目イメージガールでした。

──やはり、モデルという選択肢は誰の目にも明らかですね。そして5代目の片平なぎさに続いての登場。

中島 片平さんの次が私でいいんだろうかってドキドキしましたね。実は私、小さい時から西城秀樹さんが大好きで、私も同じ歌手になりたいと夢みていました。ただ緊張しすぎる性格なので、1人で歌うなんてできないと‥‥。

──あれ? デビュー2年後の81年には歌手デビューもしているのに?

中島 ああ、ありましたねえ。しかも秀樹さんの番組に呼んでもらって、目の前で「僕、ここで見ていよう」って近距離で歌うことになりまして。いつにも増してボロボロの状態でした(笑)。そんな秀樹さんとは、今はたまたま家が近くて、犬のお散歩ですれ違ったりしますよ。

──さて、デビューCMの話に戻しますと、爽やかな「キリンレモン」のイメージから、南国のビーチが多かったですよね。

中島 はい、当時は中学生だから、体育の授業で腕だけとか、太腿のあたりだけとか、まだらに日焼けしているんです。CMは水着になるので、だったら全身をガンガンに焼きましょうと言われて。

──70年代は、夏目雅子の「クッキーフェィス」に代表されるように、女性も肌を焼くという価値観。

中島 そうなんです、でも1日で急激に焼いたから、皮がめくれるくらい大変なことになりました。

──デビューしたばかりの竹内まりやも、このテーマ曲が初ヒットになりました。対面はしました?

中島 はい、竹内さんのコンサートに、私がステージ上で花束を渡させていただきました。

──6代目のイメージガールが3年半ほど続いて、以降はメディアへの登場が控えめだったように思います。

中島 18歳で本格的なファッションショーの世界に進んだんです。パリコレなども経験して、それまでコンプレックスだった背の高さが、ここでは堂々としていいんだと思いました。

──そして結婚・引退を経て、03年から再びミセスモデルとして第一線に。同時に、2人の娘さんの母親としても忙しい日々を。

中島 娘は2人とも背が高くて、芸能界への興味も少なからずあるみたいです。母親としては反対ですが、私も好きなことをやってきたので、先輩としてならアドバイスできるかなと思います。

──ぜひ、2代目の「レモンライムの青い風」が吹き荒れることを楽しみにしています。