さて、4月末となり、新年度・新学期にもそろそろ慣れてきた頃かと思いますが、そもそもこの4月を新年度とするようになったのは、明治時代以降とその歴史は意外と新しいようです。

 江戸時代の寺子屋などは随時入学を認め、藩校なども毎月2回の入学を受け付けていたと言いますから、基本、一斉に入学時期を設けるという感覚はあまり持っていなかったようです。そう思うと、私たちが常識として身につけている感覚というも、案外最近になって作られたものも多いのかもしれませんね。

 それでは、どうして4月に新年度が設けられたかというと、一言で言えば、明治政府がイギリスの仕組みにならったためだと言われています。当時、世界経済を牽引していたイギリス政府の会計年度が4月を採用していたようで、そこから日本も同様の措置を採ったと言われています。この背景には、お米を現金化して収められる税金が、新年の1月だと予算編成に間に合わなかったことも影響しているようです。

 確かに、江戸時代以前の農業人口が全体の7〜8割にも及ぶと考えれば、4月に合わせた方が都合よかったのかもしれません。結果、税金で運営されている学校も4月に合わせることになり、春の新学期がスタートしました。ただし、イギリスの会計年度は4月でも、新学期は9月なので、この4月に新学期制度を設けているというのは、日本以外にはほとんど見られていないようです。

 この他にもここ百年で始まった習慣は実に多く、正月を代表する初詣にしたって、有名な寺社仏閣に訪れるようになったのも鉄道が出来てからの話ですし、中でも意外なのが、お葬式で、今では普通に喪服を着用する際に、黒を基調にコーディネートしておりますが、実はこれもせいぜい百年前後のはなし。

 もともとは、白が基調であったとされ、言われてみれば、いわゆる死装束は白だし、神道の世界でもケガレを忌み嫌い、清浄を重んじることから白という色を好みます。中でも「死」というものは「ケガレ」そのものですから、黒をつけるという感覚は元々希薄だったかもしれません。

 かつて、ドイツの考古学者であるシュリーマンが来日した時に、日本の葬式に参列したところ、当時の喪服は白であったと書き残しております。

 それがなぜ、黒になったのか、という明確な理由は定かではありませんが、日清・日露戦争といった大規模な戦争が起こるにつれて、喪服の着用頻度が高く、その汚れを目立たせないために黒が好まれるようになったという指摘がありますが、中には、これはあくまで欧米列強の習慣にならったためという主張もあります。確かに海外では、中東などの地域を除いて、黒系が多く好まれておりますので、何かしらの影響を受けた可能性はあると思います。

 今では、白というと何だか死者に対して失礼な心持ちすらしてしまいますが、往古の感覚で言えば、その方が失礼ではないということになるんですね。そう考えると、私たちの持つ感覚というのは案外いい加減なのかもしれません。とは言え、一部大学では、9月入学の可否がささやかれておりますが、伝統という意味での歴史は浅くても、やはり桜の舞う季節と共に事の始まりを感じる感覚というのはこれからも大事にしていきたいところですね。

著者プロフィール

一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター

東條英利

日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。

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