レイソル、昇竜のJ1優勝
Jリーグ34節 浦和 1−3 柏
(12月3日 埼玉スタジアム)

★運営スタッフの方針の勝利
 埼玉スタジアム・メーンスタンド最上階の記者席から、双眼鏡で柏レイソルのベンチ前を見ていた。Jリーグの最終節、柏レイソルが浦和レッズを破ってJ1優勝を決めた直後である。
 防寒コートを着たレイソルの小見幸隆強化担当が、ネルシーニョ監督と抱き合う姿がレンズに移った。竹本一彦GMの姿もあった。ぼくが双眼鏡で見ようと思ったのは、この光景だった。
 柏レイソルがJ2からJ1に復帰し、昇竜の勢いで勝ち進んでいるとき「もし優勝すれば、その功績は運営スタッフ(フロント)のものだ」と考えていた。復帰した年に即優勝という快挙を実現したのは、ネルシーニョを監督に迎え、J2に落ちてもネルシーニョ中心の強化方針を変えなかった運営スタッフの方針の勝利である。

★緊急措置ではなかった監督交代
 2年前の2009年のシーズン、柏レイソルは惨憺たるスタートだった。シーズン半ばを過ぎた7月の時点で、もはやJ2降格は免れないほどの状況だった。監督交代は当然である。
 だが、多くの場合、そういうときは、とりあえず監督の首を切り、コーチ陣の中から暫定監督を選ぶ。
 しかし、柏はそうはしなかった。小見幸隆強化担当がブラジルに飛び、旧知のネルシーニョを連れてきた。急なことで就労ビザが間に合わず、ビザがないのに競技場内で監督扱いはできないと、わざわざ競技場外の道路に連れ出して来日の記者会見をした。
 シーズンの残りは少なかった。ネルシーニョの手腕をもっていても、降格を免れることはできなかった。しかし、J2に落ちた2010年のシーズン、ネルシーニョ監督は続投した。
 ネルシーニョ招聘が、降格を防ぐための緊急処置ではなかったことに、ぼくは感心した。

★J2は格下ではない
 柏レイソルは降格しても戦力削減はしなかった。J2に落ちると収入が激減するから報酬の高い選手を手放すことが多い。レイソルでも降格に伴ってチームを去ったプレーヤーはいたが、それは本人あるいは代理人の意向によるもので、レイソルのほうから切ったのではなかった。
 一方で、レイソルは下部の育成組織から若いプレーヤーを積極的に昇格させた。それによってネルシーニョ監督にはチーム作りの手駒が増えた。
 J2落ちは順位が少し落ちただけのことで、ひどく格下になるわけではない。8位から9位に落ちたと同じように、16〜18位から19位に下がっただけである。そう考えれば、チームの内容を格下レベルに合わせて落とすことはない。J1の基準で復帰をめざせばいい。
 柏の運営スタッフは、それを冷静に実行したのだと思う。



黄色と黒の風船で描いた「柏」の人文字。