2018年3月6日、春闘集会で気勢を上げるトヨタ自動車労働組合の組合員(写真=時事通信フォト)

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毎年春、企業の労働組合は賃金引き上げなどを要求する団体交渉を行う。この「春闘」の交渉で、トヨタ自動車は社長以下の全役員が出席する異例のスタイルを貫いている。団体交渉が形式的な内容にとどまる企業があるなかで、なぜトヨタは春闘での議論を重視しているのか――。

■今年のトヨタの春闘回答は異例づくめ

自動車業界に起きている「100年に一度の大変革」がトヨタ自動車春闘を大きく変えたようだ。直面する危機に、労使がどのような関係を築き、立ち向かうべきなのか――。トヨタでは長年、春闘の労使交渉の場に社長が参加する慣例があり、春闘は経営課題を労使で議論する場として捉えられていたが、その色彩がさらに強まった。

今年のトヨタの春闘回答は異例づくめだった。正社員のベースアップ額(昨年1300円)を公表せず、「前年を上回る」とだけ説明した。その代わり、正社員、定年後の再雇用者、期間従業員を含めた全組合平均の賃上げ率を3.3%(昨年約3%)、額で11700円と公表し、「定年後再雇用者、期間従業員など弱い立場の方に厚めの昇給を実施した」と説明した。

なぜ正社員の賃上げ率を公表しなかったのか。トヨタの正社員の賃上げ率の数字が独り歩きし、その数字がベンチマークとなり、グループ各社が「トヨタ・マイナス・アルファ」の賃上げを実施する慣習を崩すためだ。この慣行を続けている限り、トヨタとその他グループ企業との格差が固定化してしまう。

■「弱い立場の方に、全員が寄り添わねばならない」

またトヨタの競争力を支えるグループ企業について「トヨタの回答を見てから、自社の回答を決めるという慣習が、それぞれの会社の競争力強化に向けた労使の真剣な話し合いを阻害しているのではないか」という懸念を豊田章男社長は持っていたという。

こうした問題意識はトヨタ社内にも向かった。正社員と期間従業員などそれ以外の社員との賃金格差の拡大を放置していれば、社内の一体感を失ってしまう。「大きな声を出せず、いわば弱い立場ではあるものの、会社を支えてくれている方にこそ、ここ(労使交渉の場)にいるわれわれ全員が寄り添わねばならない」と豊田社長は14日に回答を伝えた場で語った。正社員以外の社員も含めた平均賃上げ率だけを示すことで、一体感を高める必要があったのだ。

■「生きるか死ぬか」というほどの危機感

今年の春闘が従来型の回答方式と大きく異なったのは、自動車産業が危機感に満ちた環境に置かれているからだ。

自動車産業は電動化と自動運転に向けた激しい開発競争に巻き込まれている。その競争には米テスラのような新興電気自動車メーカーやIT企業が新規に加わった。自動車メーカー同士の従来の戦いとは異なり、新技術の行方次第で形勢が大きく変わり得る戦いだ。それだけに世界最大規模のトヨタといえども「生きるか死ぬか」というほどの危機感が募っている。今年のトヨタの春闘では、厳しい環境の中で生き残る「競争力強化のために、解決すべき課題は何なのか」を労使で議論するという方向性が例年に増して、強まった。

「労使協議会」と呼ばれるトヨタの労使交渉は、春闘期間中に4回ある。今年は2月21日の第1回から毎週水曜日に、回答日となる4回目の3月14日まで開かれた。各回1時間半程度、労使で議論する。参加者は会社側が社長以下全役員(部長級の常務理事以上)の約80人、組合側は組合執行部、各職場の委員長など約220人、合計300人の大会議である。

大手企業の場合、春闘の労使交渉に会社側として参加するのは、労務担当役員をトップとした労務・人事部署の幹部や担当者らに限られることが一般的だ。すべての交渉に社長以下全役員が参加するトヨタの交渉スタイルは異例と言っていい。

■トヨタの春闘は労使が徹底的に話し合う

トヨタの社長が労使交渉に毎回参加し始めたのは、1962年の「労使宣言」締結以降で中川不器男社長時代から。その後、参加者は徐々に増えて全役員の参加という現在の形になった。

「労使宣言」が締結されたきっかけは、急激な業績の悪化で1950年に当時の全従業員の25%、1500人を人員整理せざるを得なくなり、労使が厳しく対立したこと。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎は経営責任を取り、社長を辞任、50年以降はストライキが頻発し、「会社は敵」と労組はみた。労使関係の修復には12年を要し、生産性の向上を通じて、企業の繁栄と労働条件の改善をはかるという労使宣言を締結した。労使の課題は、徹底した話し合いで、自主的・平和的に解決することに終始してきた。

それ以来、トヨタの春闘は労使が徹底的に話し合うことが優先されるようになった。例えば、4回の労組交渉は、1回目が会社を取り巻く経済や競争環境、2回目が会社の競争力の現状、3回目が組合員の努力、がんばりと今後の決意、4回目に回答という段取り。3回目までは賃上げについて金額の議論をするのではなく、現状や今後の課題について労使が意見を述べ合うことを基本にする。

■「全体最適の判断ができるマネジメントは少ない」

今年は1回目から「競争力」についての議論がクローズアップされ、人事担当者は「従来のようにテーマを順に議論するというよりも、終始、競争力をどう維持し、強化するかを話し合った。いつもとは様子が変わった」という。

交渉の中では現場の組合員からのこんな提案も出た。「『お客様や車両全体をみて開発せよ』という(会社の)方針を踏まえて提案しても、全体最適の判断ができるマネジメントは少なく、部署、部品ごとの損得勘定で論破される状況がある」と経営層に苦言を呈し、こう締めくくった。「調整業務ではなく『将来に向けた技術開発』のための時間を作り出すべく、トップマネジメントの思い切った判断やプロセス変革をいただき、労使で力を合わせ、時流に先んじる技術を世に出していきたい」

■「私と一緒に闘ってくれていないのだろうか」

かなりあけすけに幹部社員の現状を嘆き、目の前にいる社長以下役員らに注文するという発言である。このような組合員からの発言や頑張りぶりを主張する組合員の様子に対し、豊田社長も3回目の交渉の終わりに、こう感想を述べた。

「100年に1度の危機感を本当に持っているならば、過去の成果に目を向けている暇はない。今よりももっと競争力を強化するために、何を課題として共有しないといけないのか、何を解決しないといけないのか、それに尽きる。(中略)『要求に応えてくれ』という主張を聞くたびごとに『私と一緒に闘ってくれていないのだろうか』と寂しい気持ちになっていた。明日から各職場で日々踏み込んだ議論がなされ、競争力強化に向けて着々と歩みが進んでいくことを心から期待している」

これまたあけすけな本音の経営者の意見を社長が吐露した。労使が本音をぶつけ合うのがトヨタの春闘の話し合いなのだろうか。

■労使がとことん話し合ったからこそ生き残れた

激しい労働争議から12年の年月を経て、トヨタが労使関係を修復した1962年と言えば、先の東京オリンピックを2年後に控え、日本は高度経済成長の時代である。だが、国内の自動車メーカーは乗用車の貿易自由化を目前にし、競争力の強化が叫ばれていた。70年以降も排ガス規制を強化する米マスキー法、石油ショック、日米貿易摩擦と自動車産業は危機に何度も直面した。そのたびに労使がとことん話し合ったからこそ日本の自動車メーカーは生き残れたのかもしれない。

今年の労使交渉の議長を務めた河合満副社長は交渉の最後をこう締めくくった。

「将来、後輩たちが振り返った時、今年の労使協議会が『本当に変わった』という契機であったと思ってもらえるようにしたいと思う」

(Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之 写真=時事通信フォト)