去る5月23日に「『共謀罪』の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案」が衆院を通過し、29日には参院で審議される見込みです。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、「共謀罪」の内容の脆弱さや国会審議の不十分さなどに言及。さらに、「国民にこの問題が広がらなかったのはなぜか?」という観点から、日本のマスメディアと国民の意識改革を呼びかけています。

「共謀罪」をメディアは伝えられないのか、市民が受け止められないのか

朝日新聞や毎日新聞など反対する立場のマスメディアの表現を借りれば「『共謀罪』の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案」が、衆議院本会議で可決した。

法案を実施するに向けての内容の脆弱さや国会審議の不十分さなど様々な不備を筆者も感じてはいるが、イデオロギーで対応すると潰されてしまいそうだから、慎重に、そして純粋に国民にとって有益な法律かどうかの観点で考えてみる。それでもやはり問題は多いと思うから、ここではその問題点が市民の間で「問題」として認識されず、そして、問題が広がらなかったのは何故かの問いかけをしてみたい。

それは伝える側のメディアの問題なのだろうか。伝えられた側のオーディエンスの問題なのだろうか。

4月から客員教授として学習障がい者ら向けの法定外の「見晴台学園大学」での「メディアと社会」の講義をしながら、障がいのある学生らが情報を取得するに際して、その選択肢は多様であり、それは無意識のうちに得られやすく、読みやすい情報に向かい、そして受け入れていくという傾向に気づく。

今となってはテレビも新聞も情報伝達媒体の王様ではない。若者の動向を見る限り、もはやゲートキーパー理論(社会の出来事を報じる前にメディアがふるいにかけ、通過したものだけが報じられるという考え方)も死滅したと言えるのかもしれない。

そして、これは評論家の宇野常寛さんの言うところの「リトル・ピープル」の物語の「現在」でもあるのだろう。しかし、リトル・ピープルを統合する物語が見当たらない。物語の書き手・語り手として機能していたはずのメディアの王様は、そのアクセスの大半を折られただけではなく、核であるはずのファクトを描き切れないまま、ビック・ブラザーの時代に生きているような印象さえある。だから、受け手との融合が図れない。

今回の法案は「対テロ対策」という名目ではあるが、政府が描く大きな思想の中に、市民はいない。それはメディアも政府も同じように、安全な場所でモノを考えているような気がしてならない。

その事実にメディアは無自覚であるのも問題だ。

1960年代半ばに鶴見俊輔は専門化したマスメディア企業のジャーナリズム以外に、市民のジャーナリズムというものがあるべきで、両者はつながり合うべきとの主張を行っている。

しかし、明治の近代国家建設と共にマスメディアは新聞・テレビを中心に企業ネットワークにより構築化され制度化された一方、市民の入る余地はなかった。結果的に市民の言論活動は停滞したまま現在に至った。

市民にとっても発信はマスメディアがやるものだという意識でいるものだから、「共謀罪」に対する危機意識が薄い。問題点を指摘し、考え、討議し、発信する、という行為が他人事だから、仕方がない。言論に誰もが携われる社会であるならば、この法案は上程すらできなかったであろう。

つまり、そんな社会を私たちは作ってきてしまったのである。加えて、メディアリテラシーを構築してこなかったのは、意図的なのかメディアの怠慢なのか。

水越伸・東京大教授によると、リテラシーは3つのフェーズがあって、「メディアの使用能力」「メディアの受容能力」「メディアの表現能力」に分かれる。そしてそれは、「3つの能力はどれかが中心で重要だというような性格のものではなく、たがいに関係しつつ全体としてメディア・リテラシーの総体を構成している」(水越教授)という。

今の日本社会に置き換えれば、スマートフォンやパソコンの普及により使用能力は高水準だが後者2つの能力はほとんどないに等しいだろう。その教育をどこも担ってこなかったからである。

結果として、この3つがそれぞれの能力水準をかけ合わせて相乗効果で総体の「力」を発揮するところが、後者2つがゼロ、もしくはマイナスだから、総体の値は上がらない。だから、共謀罪を受けとめる市民にメディアの論理は響かないのであろう。かといって嘆いてばかりでは仕方がない。この教育を、どこかでやらなければならない。さもなければ本当に手遅れになってしまう。共謀罪が悪用されないためにも、私たちはまだやることは多い。メディアには、市民の中の、という意識への覚醒を求めたい。

image by: Shutterstock.com

 

『ジャーナリスティックなやさしい未来』

著者/引地達也

記者として、事業家として、社会活動家として、国内外の現場を歩いてきた視点で、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを目指して。

出典元:まぐまぐニュース!