慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍は徳川家康率いる東軍に敗れ、西軍は各部隊が敗走することになる。西軍が敗走するなか、島津義弘率いるわずかな軍勢は故国を目指し、敵中突破を敢行する。その決死の軍事行動は「島津の退き口」と呼ばれ、今も語り継がれている。■知られざる「島津の退き口」の真実『関ヶ原島津の退き口義弘と家康-知られざる秘史』(桐野作人著、ワニブックス刊)では、歴史作