SFとファンタジーの共通点と相違点

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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 第54回目となる今回は、小説家・沢村凜さんです。
 沢村さんといえば1月29日に『通り雨は<世界>をまたいで旅をする』『ぼくは<眠りの町>から旅に出た』(ともに角川書店/刊)が2作同時発売されたばかり。
 SFとファンタジーという別ジャンルの小説の同時発売は、小説の世界では異例です。そして、沢村さんにとってファンタジーは7年ぶり、SFは16年ぶりの刊行とあって、その内容も気になるところ。
 この2作はどのように構想され、書きあげられたのでしょうか。作品の執筆過程や読書歴、作家を目指したきっかけまで、広くお話をうかがいました。

■SFとファンタジー、対極の2作品が同時発売
―今回、発売されます『通り雨は<世界>をまたいで旅をする』と『ぼくは<眠りの町>から旅に出た』についてお話を伺えればと思います。この2作品は、それぞれまったく異なる小説なのですが、何か共通するものがあるようにも感じました。それが何かはうまく言えないのですが…。


沢村:ただ、ジャンルは確実に違いまして、『通り雨は<世界>をまたいで旅をする』の方は完全にSFですし、『ぼくは<眠りの町>から旅に出た』はファンタジーです。SFとファンタジーはよく一緒にされてしまうのですが、むしろ両者は対極です。そういう意味では共通する部分がありつつも、まったく別のお話だと思っています。

―SFとファンタジーはどういった意味で対極なのでしょうか。

沢村:SFが現実を科学的に、あるいは論理的に突き詰めていって、その結果現実を突き抜けるものだとしたら、ファンタジーは論理的な部分をゆるめることで現実を反対側に突き抜けるものだと思います。あくまで私の考えですが。

―では、ファンタジーの作品『ぼくは<眠りの町>から旅に出た』から先にお話をお聞かせ願えればと思います。この作品には「お金」や「食べ物」など、私たちの生活の中にある「生々しいもの」が全く出てこないまま、登場人物たちは目的地のわからない旅を続けるという、読んでいて不思議な心地よさを感じる作品でした。この物語の発想はどういったところから得たのでしょうか。

沢村:頭の中でイメージとしてあったのは、とにかく少年が旅をする物語を書きたいということでした。そこから、なぜ旅をするのか、どこに向かっているのかという想像をつけ加えていくうちにこういうお話になりました。
テーマとして「孤独」というのがありまして、人というのは他人との関係の中に自分があると言われていて、それは確かに真実ですが、それだけじゃないということを書こうと思いました。

―執筆を始める時から完成図のイメージは見えているんですか?

沢村:いえ、最初から決まっているのは書き始めとラストだけです。その他の細かいところは少しずつ書き進めるうちに決まっていくという感じですね。書いていくうちに予定したラストとは違う結末になってしまうということはないです。

―主人公の「僕」は、物語の冒頭では過去の記憶がなく、言葉も思考も貧しい状態です。それが旅を通して様々な体験を重ねるうちに言葉を得て、思考も充実していくわけですが、人が生まれて、人格が出来ていく過程が繰り返されているようですごくおもしろかったです。

沢村:物語の結末から逆算すると、そうせざるを得なかったんです。普通に持ち合わせているものがないという設定で書くのは大変でしたね。

―そういった設定も手伝ってか、寓話的な味わいがありました。

沢村:子どもの頃に読んだ『天路歴程』の影響が大きいのかもしれません。
ジョン・バニヤンという人が書いた宗教色の強い小説なんですけど、その物語も「私」という登場人物がどこか分らないところを旅して、いろいろな人に出会ってというお話です。それと、『星の王子様』もそうですよね。そういう子どもの頃に読んだ本のイメージが、書こうとする作品にも生きているんだと思います。

―『天路歴程』を読む子どもってなかなかいない気がします。

沢村:家にあった子ども向けの世界文学全集に入っていたんだと思います。今読んでも面白くないと思うんですけど、人がどこかわからない場所を歩いていて、「頑固」とか「軽率」とかそれ自体で人のある性質を表すような名前の登場人物と出会って、何かを得ていくという構造が当時はすごく新鮮だったんですよ。

第2回「便利な物があれば使うが、進歩を望まない自分もいる」人間の二面性 につづく