最前線で活躍する86歳作家がすすめる“50代からの学び”
日本人の平均寿命は、女性が86.41歳、男性が79.94歳。昔にくらべ、50代、60代になっても元気な人が多い。50歳になってから何かの勉強を始めるのも、決して遅くはないということだ。
『50歳からの勉強法』(サンマーク出版/刊)では、86歳を超えてなお最前線で活躍を続ける作家・童門冬二氏が、50代からに焦点を当てた童門式勉強法を紹介する。
50歳から何かを始めるといっても、「50歳からいったい何を学べばいいのか。その材料がなかなか見つからない」ということになりがちだ。そんなとき人は、その鉱脈をまるっきり新しい山に探してしまうことが多い。つまり、勉強の素材を、まったく未知の分野に求めてしまうのだ。
しかし、童門氏は、「50歳を過ぎたら、それはもうおやめなさい。学びの種は未知ではなく、むしろ既知の分野に探しなさい」と提案する。どんな人でも、過去の中に必ず未来の種を宿している。それまでの仕事や生活の中で経験したことや、蓄積した財産のうちに、有望な鉱脈がすでに潜在しているというのだ。そこを丹念に探し、見つけ出し、育てていくことに力を尽くす。新しいことの模索よりも「これまで」の振り返りや見直しが、50代に大切なのだ。
では、50歳からの有意義な勉強法とはどのようにすればいいのか。童門氏は学びの心構えとして3つ、紹介している。
1つ目は、「学びの姿勢は自由でいい」ということ。50歳からの勉強法の主目的は資格取得や知識増量などにはなく、おのれの人生や人間の深度を深める点にある。したがって、「こうするべきだ」「こうしてはいけない」といった発想からは解放されて、柔軟性や流動性の高い独自の勉強法を採用すべきだ。
2つ目は、「教科書は世間にある」と心得よということ。机の前でかしこまっているだけが勉強ではない。書斎を飛び出して外気を吸い、街の息づかいに触れ、生きた人間に会う。そうした「門構えの広い」学びの態度が大事なのだと述べる。
3つ目は、「孤独を覚悟せよ」ということ。年齢を重ねるほど人間は孤独を増していく生き物だろう。したがって、その孤独を自明のものとして覚悟し、それに絶える力も太く養うものでなくてはならない。
童門氏は30年あまり、東京都庁の職員として働く傍ら、歴史雑誌への投稿を絶やさなかった。そんな童門氏は「二足のワラジ履いている」と、人から言われたという。
外から見ればそのように思うかもしれないが、「いや、一足のワラジを2本の足に履いているだけです」と反論していた。「織田信長がとったあの方法を今の組織に当てはめたらどうなるだろう」などと、現在を歴史の視点でとらえ直したり、歴史を現在の位相に置き換えたりしながら、歴史(小説)と現在(仕事)のあいだを往復し、そのふたつを相互交流させていたのだ。そういった勤め人時代の経験が、今も作家として活躍する童門氏の礎となったそうだ。
今まで経験していることが将来、何かの役に立つこともある。仕事をしながら執筆活動を続けていた童門氏のように、若いうちから興味のあることを続けていたり、仕事やプライベートでさまざまな経験をすること、常に好奇心を抱き、探究心を持って生きることが、50代から先の人生も充実したものにしてくれる元となるのだろう。
(新刊JP編集部)
『50歳からの勉強法』(サンマーク出版/刊)では、86歳を超えてなお最前線で活躍を続ける作家・童門冬二氏が、50代からに焦点を当てた童門式勉強法を紹介する。
50歳から何かを始めるといっても、「50歳からいったい何を学べばいいのか。その材料がなかなか見つからない」ということになりがちだ。そんなとき人は、その鉱脈をまるっきり新しい山に探してしまうことが多い。つまり、勉強の素材を、まったく未知の分野に求めてしまうのだ。
しかし、童門氏は、「50歳を過ぎたら、それはもうおやめなさい。学びの種は未知ではなく、むしろ既知の分野に探しなさい」と提案する。どんな人でも、過去の中に必ず未来の種を宿している。それまでの仕事や生活の中で経験したことや、蓄積した財産のうちに、有望な鉱脈がすでに潜在しているというのだ。そこを丹念に探し、見つけ出し、育てていくことに力を尽くす。新しいことの模索よりも「これまで」の振り返りや見直しが、50代に大切なのだ。
1つ目は、「学びの姿勢は自由でいい」ということ。50歳からの勉強法の主目的は資格取得や知識増量などにはなく、おのれの人生や人間の深度を深める点にある。したがって、「こうするべきだ」「こうしてはいけない」といった発想からは解放されて、柔軟性や流動性の高い独自の勉強法を採用すべきだ。
2つ目は、「教科書は世間にある」と心得よということ。机の前でかしこまっているだけが勉強ではない。書斎を飛び出して外気を吸い、街の息づかいに触れ、生きた人間に会う。そうした「門構えの広い」学びの態度が大事なのだと述べる。
3つ目は、「孤独を覚悟せよ」ということ。年齢を重ねるほど人間は孤独を増していく生き物だろう。したがって、その孤独を自明のものとして覚悟し、それに絶える力も太く養うものでなくてはならない。
童門氏は30年あまり、東京都庁の職員として働く傍ら、歴史雑誌への投稿を絶やさなかった。そんな童門氏は「二足のワラジ履いている」と、人から言われたという。
外から見ればそのように思うかもしれないが、「いや、一足のワラジを2本の足に履いているだけです」と反論していた。「織田信長がとったあの方法を今の組織に当てはめたらどうなるだろう」などと、現在を歴史の視点でとらえ直したり、歴史を現在の位相に置き換えたりしながら、歴史(小説)と現在(仕事)のあいだを往復し、そのふたつを相互交流させていたのだ。そういった勤め人時代の経験が、今も作家として活躍する童門氏の礎となったそうだ。
今まで経験していることが将来、何かの役に立つこともある。仕事をしながら執筆活動を続けていた童門氏のように、若いうちから興味のあることを続けていたり、仕事やプライベートでさまざまな経験をすること、常に好奇心を抱き、探究心を持って生きることが、50代から先の人生も充実したものにしてくれる元となるのだろう。
(新刊JP編集部)