9回表、阪神2点リードのマウンドに上がったのは榎田大樹だった。阪神不動の守護神・藤川球児は怪我で戦列を離れている。

榎田のボールを受ける女房役は小宮山慎二だった。ベテラン正捕手・藤井彰人は前の試合で右脇腹を痛めて欠場した。小宮山は6月27日の中日戦でも、1回無死一・三塁の状況で後逸し、三塁走者を生還させている。しかし、球受けがいなくては試合にならない。2度も3度も同じことせんやろ…首脳陣もそう思っていた。

榎田は臨時守護神として悪くない投球を見せる。先頭打者・赤松を1球で打ち取ると、つづく石原に対しては慎重な攻め。外に2球外れてから、3球目は内角にスライダーを投じ空振り、4球目のストレートで追い込む。3球ファウルで粘った石原だが、ひとつ外れてカウント3-2となってからの9球目、ど真ん中に投じた力のあるストレートで石原を打ち取る。しかし、この時点で榎田の内心には不穏なものが蠢いていた。

榎田大樹の話:「サインが合わんのですよ。何か、気に入らんというか…。何度も首を振ったでしょ。どこかスッキリしなくて…。石原さんへの8球目、内角のボール気味のまっすぐを放ったんですが、小宮山がこぼしよったんですよ。で、ビックリしたようにボールを見てて。ボールが揺れたんですかね…。いやでも、片手をピョっと伸ばしてポロリされても…。ここは走者もないんで、わざわざ文句つけるほどでもないかとは思ったんですが…」

石原をファーストゴロに打ち取ったあと、場内からは「あと一人!」コールが始まった。ファンは勝利時にあげるジェット風船を膨らましている。ベンチで勝ち投手の権利を持って見守るスタンリッジは上機嫌だ。アメリカンな字幕で「HA HA HA HA HA!」という声が聞こえてくるほどの笑顔。マウンドの榎田も守備陣に「あざーっっす」とでも言うようにお辞儀をし、笑顔を見せる。

広島は投手に代えて代打・迎を送る。今季ここまでわずか5安打。投手をそのまま打たせても大して変わらないんじゃないかレベルの代打。こりゃもう大丈夫だろう。ベンチのスタンリッジはニッコニコしている。迎は初球のシンカーを豪快に空振りする。「こりゃストレート一本で待ってるな」と誰もが確信する中、小宮山は外角のストレートを要求。これが内に甘く入る。あちゃー。打たれた。二死一塁。

解説・広沢克己の話:「勿体ないですね。野球は何が起こるかわからない。今の空振りを見れば、もう1球ボールで振らしても構わなかった。ストライク取りにいってしまいましたね。何でも振ってきますからね…。ちょっと勿体ない…。迎で試合終了にしたかったですね」

広島の打者は1番にかえって天谷。引きつづき場内では「あと一人!」コールが響く。しかし、天谷に投じた初球はほぼど真ん中。甘いボールを見逃さず、天谷はライト前に運ぶ。

解説・広沢克己の話:「うーーーーーーーん、こうなるんですよね。こうなるんですよ…。1球、ですよ。たった1球の間違いが、一・二塁にさしてしまうんですね」

ベンチでは阪神・和田監督が心配そうに戦況を見守る。マウンドの榎田は「しまった」という顔で落着きを失った。「1球の過ち」をネチクチ指摘されているとも知らず、小宮山はいけしゃーしゃーとマウンドに駆け寄る。コーチも、内野陣も榎田のもとに集まった。新井は榎田の肩をポンポンと叩いた。

新井貴浩の話:「お疲れさん、と言ってたんですよ。あとは藤川に託して、ゆっくり休めって。俺も早く帰って風呂入りたいからって。そしたら藪コーチが『藤川いないよ』って…。ビックリしましたね…。だから榎田だったのかって…」

榎田大樹の話:「後ろのピッチャーが誰も準備していなかったので…。あ、僕に任されてるんだなっては思いましたけど…。そう思ったら、何かカーッってなっちゃって…すっごい汗とか出てくるし…困ったなぁみたいな」

ここで広島ベンチは動く。代打にルーキーの菊池を送り、攻勢を強める。菊池への初球は低めに外れてボール。ここで思い出したかのように、広島ベンチは二塁走者に代走・中東を送る。

広島監督・野村謙二郎の話:「うっかりしてました」

菊池に投じた榎田の2球目はスライダー。内角に鋭く落ちると菊池のバットは空を切る。サード新井は「この球全然打てへんやん」という目で榎田を見守り、ベンチの金本は「早く帰らせろ!」という表情で声援を送る。解説の広沢は「今の空振りを見ればどんなボールでも、という感じですが…。こういうバッターはまっすぐのタイミングで変化球に対応しようとしている。遠くへ遅く、内へ速く、です」と指摘。攻め方を間違えなければ簡単に打ち取れると連呼する。

しかし、菊池への4球目は内角へのシンカー。これをレフト前に弾き返され1点差に。引きつづきジェット風船が揺れるスタジアムで、スタンリッジの笑顔は完全に消えた。

解説・広沢克己の話:「(菊池への4球目について)何でだ!うーん…。内側に遅くですからね。さっき言ったのと反対ですよね。もちろんコントロールミスもあるんでしょうが、打たれるべくして迎と菊池には打たれていますね」

そして迎えた打者が梵である。初球は外目のまっすぐが外れてボール。2球目、3球目は見逃してカウント1-2。「あと一人」から「あと一球」へと状況は推移する。

広島ベンチは、この状況からダブルスチールで揺さぶりをかける。スライダーを取りこぼした小宮山は三塁にも二塁にも送球できない。「あと一球」「一打逆転」が交錯するスタジアム。ジェット風船の揺れはやや静かになり、スタンリッジのガムクチャは激しさを増す。

広島監督・野村謙二郎の話:「これが破天荒野球ですwwww」

梵への5球目、解説の広沢が「外に落とせ」「外に落とせば空振りを取れる」「落とせ」と呻くように声を上げるも、バッテリーの選択は外角への真っ直ぐ。梵は完全に腰を泳がせながら、かろうじてバットに当ててファウル。場内は「何投げても三振取れそう」「全然合ってない」「あと一球!」と、その興奮を頂点へと高めていく…。

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