「紳助、ありがとう!」。島田紳助の突如の引退に際して、明石家さんまが発したこの言葉は、近年まれにみる「男前」のコメントだったと思う。

暴力団との交際に起因すると言われる紳助の引退についての、芸人仲間のコメントは、微妙なものが多かった。

真面目な顔をして、引退を惜しんだり、戻ってきてくれと悲しんで見せたり。紳助に感謝の意を示しつつも、「反社会的な勢力との付き合いは良くない」と一般論を述べたり。紳助との距離感によって、微妙な差はあったが、芸人らしい、洒落のめしたようなコメントはなかった。ある種の芸人たちには、先輩芸人、恩人に対して気遣いをしたいところだが、己に火の粉が降りかかるのは避けたい。そういう保身の色がありありとうかがえた。彼らは、テレビ界の住人としてのステイタスを守りたいのだと思った。

その中でひとり、明石家さんまは、「仕事が増えるだろうから、嬉しい」と言い放った。

人の不幸であれ、何であれ、それをネタにし、笑いにするのが芸人。こういうときに洒落を言わんでどうするねん。

明石家さんまは、全くぶれなかった。芸人としてのスタンスを完全にキープした。恐らく、さんまのコメントで、芸人たちの日和見に傷ついた紳助も救われたのではないかと思う。

BIG3と言われるタレントの中で、さんまは一人だけ「フロー」の芸人だと思う。

ビートたけしは、「漫才ブーム」「ひょうきん族」「映画作品」など、さまざまな活動、作品を通じてそのステイタスを上げてきた。すべての活動が、「たけし」というブランドを押し上げる資産となっていった。

タモリは、たけしとはかなり異質だが、「笑っていいとも!」「タモリ倶楽部」を30年にわたって放送し続け、多くのタレント、芸能人、文化人と交流した。同じ番組で同じ立ち位置で居続けるタモリを、人々の意識に刷り込み続けることで、現在の地位を得た。

たとえば、30年前のたけし、タモリと、今のたけし、タモリでは、存在の重さも違うし、人々が二人に対して抱くものも違っているはずだ。

たけし、タモリは、「ストック」を積み重ねることで、現在のステイタスを得た。そのストックの重みが、良くも悪くも二人の行動を規定し、キャラクターを形作らせている。

しかし、さんまは、今も昔もほとんど変わらない。

共演するタレントから笑いを引きだし、心の底からそれを笑い、歓び、そのテンションを周囲に波及させているだけである。ごく一部、競馬やサッカーなどで含蓄のあることをいうときもあるが、大部分のテレビでは、一過性の笑いを発信し続けてきただけだ。


さんまが仕切る番組は数多いが、どの番組も基本的なプロットは同じ。芸能人や、素人や、アナウンサーなどが話をしたり、クイズをしたり、動画を見ながら話すのだが、眼目はそこにあるのではなく、出演者に、さんまがいかにからむか、突っ込むか、そして受けるか、にある。

そして、さんまの笑いは、その場で弾けると、あとは消えていく。腹にもたれることなく、強く記憶に残ることもなく。

そのかわり、さんまの笑いは極めて鮮度が高い。仕込みをしているわけではなく、相対したタレントや芸人に、その場その場の感性で突っ込み、次々と展開させていく。いつ聞いても新しいし、みずみずしい。それは、作り物ではないからだ。さんまは、まるで、スポーツのような反射神経を求められる仕事をしてきたのだ。

1955年生まれ、当年57歳になるさんまにとって、こうしたテレビ出演は、体力、気力的にきつくなってきていると思う。BIG3と言われる中では、一番若いが、それでも、ここまで高いテンションを維持するのは尋常ではないと思う。