50歳前後世代をさして『アラフィフ』と呼ぶそうだ。ということは、自分はアラフィフど真ん中である。日経MJ紙には「先端アラフィフは若々しく消費」とあるが、ほんまかいな。

アラフィフの定義


日経MJ紙では、現在47歳から52歳までの人を「アラフィフ」世代と定義しているらしい。ということは、満で49歳となった筆者は、アラフィフ世代ドンピシャである。


実は、この手のなんとか世代で自分がくくられるのは、初めての経験である。これって、ちょっとうれしかったりする。かつては「新人類」なる言葉が自分に極めて近い世代のことを表わしてはいたが、自分的には微妙なズレ感があった。Wikipediaによれば、新人類について次のような説明がある。


先行する概念として「共通一次世代」がある。国公立大学の入試制度が改められ、1979年から大学共通一次試験(現大学入試センター試験)が施行され、このマークシート式の入学試験を経た大学卒業者が最初に新卒社会人となった1983年をピークに、週刊誌の見出しとしてしばしば使われた。現役受験生はほぼ1960年代前半生まれ(1960年〜1964年生まれ)であり、世代として括るのに都合が好かったと考えられる。


筆者は1960年生まれ、しかも共通一次第一期生でもある。だから共通一次世代、新人類共にジャストストライクといいたいところなのだが、実際は違う。学年でいえば59年組であり、本来ならば共通一次などまったく関係なかったはずなのだ。が、よんどころない事情により大学入試を二年続けて受けることを余儀なくされたのだ。


実のところ、いわゆる真性「新人類」の方々とは、あらゆる局面において何か「合わない」ところがあった。年齢差はわずかに一つなのだが、その一年には大きな意味があったようだ。


だから、昔の新人類に属する人たちも一概に「アラフィフ」世代で括られることに、まずは違和感がある。


服に月10万円、新製品には敏感、だって?



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