高等学校の新学習指導要領が9日発表されました。
「これで学力低下に歯止めがかかる!」
…少し安易な発想ではないですかね。

過去の検証から新しい施策を考察することは大切です。「ゆとり教育」「脱ゆとり」、教育に携わる自分なりの視点で。

本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。


では、今回(=高等学校の学習指導要領の改訂)はどのように改訂されたか、と言いますと…


・(恐らくは)先生が(寿司屋の握り職人ではなく)「ファミレスのコック」であることを前提にした

・学習指導要領のミニマム・リクワイアメント性を取り払った

・英語は英語でを基本とする、など、個別性・具体性を伴った「明らかに“学力の高み”を目指す施策」を指導要領上に明記した


ということになります。
だから素人目にも「学力の向上」を目指している、と捉えることができるわけです。


しかし、これで「本当に学力向上がなし得るか」は別問題ですよね。
「ゆとり教育だったから学力が低下した」などというステレオタイプの視点は徹底的に避けるべきなのです。


たとえば…

前編を読んでいただければお分かりかと思いますが、「ゆとり教育」下でも総体的な学力向上が実現する可能性はゼロではなかったこと。少なくとも理念上は「ぜいたくな学力」を求めていたこと。
そして、実際に「ゆとり教育」下で「そうじゃなかった場合」に比べて伸び伸びと成長した子どももいるだろうと(理屈上は)推察できること。

また、「ゆとり教育」なんだから、「教えられる」という行為だけでは理解できない子どもをフォローする時間も(理屈上は)作られていたこと、そしてそれを実行に移していた先生もいるだろうと推察できること。

この辺の自分なりの考察なしに「これで学力向上する!」という結論を導くのはおかしな話なんです。



続きはこちら