少子化なのに「不登校」激増の異常事態 「無理して通わなくていい」は正しいのか
小学生は10年前の5倍に増加
先ごろ、全国で小中学生の不登校が激増しているという衝撃的なデータが発表された。文部科学省が行った2023年度「問題行動・不登校調査」の結果、その数は34万6,482人と過去最多だったことがわかったのである。しかも11年連続の増加で、前年度からは16%も増え、はじめて30万人の大台を超えてしまった。
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不登校とは、病気や経済的理由をのぞき、心理的および社会的な要因で小中学校に通えない日が年間30日以上あることを指す。23年度の内訳は小学生が13万370人、中学生が21万6,112人で、いずれも前年度より2万人以上増えている。10年前とくらべれば小学生は約5倍、中学生は約2.2倍だといえば深刻さが伝わるだろう。
小学生の増加率が高いことから、低年齢化の傾向にあることがわかるが、ことに23年度は小学1年生が9,154人で、2年前から倍増した。学年が低くなるほど増加率が高いということは、今後、不登校の数はさらに増加すると容易に予測できる。また、年々少子化が進行しているなかで、不登校の絶対数が増加しているのだから、児童生徒に占める不登校の割合の増加は、絶対数以上に深刻だということにもなる。
とくに23年度に急増した理由としては、コロナ禍の影響も指摘されている。集団生活を送る機会が減ったり、生活のリズムが崩れたりして、学校生活に適応しにくくなったというのである。たしかに、その影響はあるだろう。子供は新型コロナに感染しても重症化しにくいとわかってからも、学校で過剰な対策を強いたことの負の影響については、早急に検証する必要がある。
だが、コロナ禍がはじまったのは2020年であり、それだけでは不登校が11年続けて増加した理由の説明にはならない。学校の教室での大きな声や音に耐えられないなど、従来の学校生活のあり方に適応できない子が増えている、という指摘もある。実際、そういう子は増えているのだろう。だが、問うべきは、どうして適応できない子が増加しているのか、という大本の原因である。
昔にくらべてはるかにやさしい教育現場
筆者自身が小学校や中学校に通ったころ(昭和50年代)にくらべると、現在の教育現場は、児童生徒に対してはるかにやさしくなった。
当時は、宿題を忘れただけで体罰を受けたこともあったし、いじめのようなことをされて先生に相談しても、「男の子なんだから強くなれ」でおしまい。給食を残すことは許されないため、嫌いなしいたけなどは、吐きそうになりながら私は飲み込んでいたが、嫌いな食べ物が多い子は、午後の授業がはじまるまで給食を下げることを許されない、ということも珍しくなかった。
また、私は小児ぜんそくをかかえていたので、冬場の体育で走ったりすると発作を起こしがちだったが、相談しても一切配慮されず、発作を起こし、呼吸が止まりそうになりながら走っていた。当時も、その昔にくらべると教師の威厳が失われ、児童生徒の友達みたいになってしまったと指摘されていたのだが、それでも教師たちは児童生徒を、怒鳴ったり、時に体罰を加えたりすることもふくめ、いまにくらべるとはるかに厳しく導いていた。
こんな状況だから、私自身、学校に行きたくないと思ったことが何度もある。だが、そのころの私には、学校に行かないという選択肢はなかった。行かなくていいといわれれば、きっと行かなかっただろう。だが、そんな発想は皆無だった。それにくらべれば、いまの子供たちは守られているし、状況はずいぶん改善されたと思う。だが、その一方で、失われたものも多いといわざるをえない。
私が小中学校で日常的に受けていた指導には、いまならパワハラやモラハラとされるものも多いと思う。現在は、一部の部活動などでパワハラ指導が問題化することはあるが、子供たちを肉体的、精神的に追い詰めるような指導は避けるべきだという意識は、学校現場に周知されている。
それはいいのだが、子供が少しでも「厳しい」と感じる指導は、すぐに「パワハラだ」「モラハラだ」と指摘されてしまうので、しばらく前から小中学校で、厳しい指導がまったくできないと、よく聞かされる。
子供を指導できない教育現場
横浜市の公立小学校に勤める教諭が言う。
「パワハラが問題視されるのはいいとしても、パワハラと厳しい指導の境界があいまいなので、子供に少しでも厳しいことを言うと、すぐ『パワハラだ』と言われてしまいます。学校でも問題になるし、保護者からもすぐ苦情がくるので、子供が明らかにしてはいけないことをして、ちゃんと注意しなければならない場面でも、厳しく指導することができないのが現実です。児童というお客様に教諭たちが気を遣っているようだ、と言っても過言ではありません。しかし、子供にはまだ知識も経験もないのだから、違うことは違う、ダメなことはダメだと教えてあげないと、成長する機会を得られません」
同じ地域の別の教諭にも話を聞いた。
「教室での大きな声や音に耐えられない子供が以前より増えている、と指摘されているのは知っているし、たしかにそう感じます。でも、大声で騒ぐような子供を厳しく指導することができなくなっていて、そういう環境が嫌いな子供にとっては、教室の環境は悪くなっていると思います。また、私たち教諭は、子供の意思をできるだけ尊重するように指導されているので、なにかが嫌だという子に、無理にさせることがしにくい。嫌なことにも耐えるように、という指導ができないのです」
どうしても耐えがたいことに、耐えるように指導する必要はない。しいたけが嫌いな子に無理に食べさせても、ますます嫌いになるだけだろう。でも、やらなければならないことはあるし、耐えて乗り越えなければならないこともある。自分で自分を律する方法をまだ知らない子供に律し方を教えるのは、教育の責務であるはずだが、いまの教育はそれを避けている。その姿勢では、子供は学校で少しでも嫌なことにぶつかれば、すぐに通いたくなくなるのではないだろうか。
また、教育現場の意識は、親の意識と表裏一体である。小学校高学年の子供をもつ母親が言う。
「知人のお子さんは幼稚園のとき、サッカーに一生懸命取り組んでいましたが、あるとき足をけがしました。それからは、おかあさんはお子さんに『無理しちゃダメだよ』『頑張りすぎてはいけないよ』と言い続けたそうです。子供がまたケガをしたら大変だ、と心配する気持ちは私にもよくわかります。でも、それからその子は、運動も勉強もがんばらないようになってしまい、おかあさんは悩んでいます」
こうして頑張れなくなった子供が「学校に行きたくない」と言ったとき、「無理しなくてもいいんだよ」と親が答えれば、子供は不登校になるだろう。
「休ませなくて本当によかった」
2016年に成立し、17年に施行された教育機会確保法の影響も、大きいのではないだろうか。これは不登校などの理由で義務教育を十分に受けられなかった子供たちに、教育の機会を確保するための法律で、不登校が急速に増えているという状況を踏まえて制定されたものだ。とはいえ、8年前の2015年度における不登校は約12万6,000人で、23年度とくらべれば3分の1程度にすぎない。むしろ、この法律が施行されてから、不登校は増加の一途をたどっているのである。
どうしても学校に通えない子供に、教育の機会を確保するという発想自体は、否定されるべきものではない。だが、この法律のおかげで「学校に無理して通う必要はない」という意識が急速に広まったという指摘がある。最後の最後に頼るべきシェルターとして機能するなら有益だが、安易な逃げ場になっているとしたら、この法律自体を見直す必要もあるのではないだろうか。
最後に、いまでは高校生になった男子の母親の話を紹介したい。
「息子は中学受験で難関校に合格しましたが、その直後から、小学校でいじめを受けるようになりました。息子は『もう小学校には行きたくない』と言うので、卒業までわずかだし行かせなくてもいいか、と思ったのですが、夫と相談した結果、最後まで通わせることにしました。ここで1カ月ばかり小学校に通わなくても、学習には影響ありません。でも、嫌だったら通わなくていい、という意識が子供に植えつけられてしまったら、中学や高校で困難に直面したとき、そこから逃げるようになってしまうかもしれません。だから最後まで通わせる、というのが夫と話しての結論でした。そう決まって、小学校の担任の先生に事情を話して相談すると、協力して、息子をいじめていたような子たちをうまく導いてくれました。息子はその後、学校が嫌だと言ったことは一度もありません。あのとき休ませなくて本当によかったと思っています」
不登校の増加への対処法として、「子供たちにとって安心、安全な環境を作っていくことが大切」などという指摘がなされている。それが大切なことはいうまでもないが、それ以前に、どんな環境にも慣れ、また耐えられる子供たちを育成しないかぎり、不登校は増え続けるだろう。耐性のない子供が増加すれば、ひいては社会が立ちゆかなくなる。大本を見据えて対策を講じてほしいと切に願う。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部