師岡正雄アナ「世界一の実況できたのは財産」第1回WBCで野球日本代表の世界一を実況
◆ いつでもみんなのプロ野球!実況アナルーム11月のテーマは“野球日本代表”
「第1回で世界一の実況できたのは財産だよね。無我夢中にしゃべることができた。声が枯れてもいいと最後は思いましたね」。
ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める師岡正雄アナウンサーは、野球日本代表が世界一に輝いた第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)について語ってくれた。
2006年3月に開催された第1回のWBC。師岡アナはWBCの実況のオファーを受けた時に「サッカー日本代表でアメリカW杯、ドーハの悲劇、ジョホールバルの実況をやったので、野球は別のアナウンサーになるんじゃないかなと思っていました。少し意外というか、イメージしていなかったというのが当時の思ったことじゃないかな」と、サッカーで主要試合を実況していたこともあり、まさか野球日本代表の国際大会を実況するとは思わなかった。
「第1回はどんな盛り上がりするのかわからなかったじゃない。試合ごとに盛り上がって行ったんだけど、そのきっかけというか、熱がすごくなったのは第2ラウンドのエンゼルスタジアムでのアメリカ戦だよね」。この試合は日本が2回までに3点を先制するも、2回と6回に失点し同点に追いつかれる。3−3の一死満塁から岩村明憲のレフトへのフライで三塁走者の西岡剛がタッチアップしホームイン。一度はセーフと判定されたものの、アメリカ側が西岡の離塁が早いのではないかと抗議し、判定が覆り三塁走者の西岡がアウトになった。結局試合は9回に藤川球児がサヨナラ打を浴び敗戦。続くメキシコ戦に6−1で勝利するも、韓国戦に1−2で敗れた。
「失点率になったんだけど、ほとんどの報道陣が一緒にサンディエゴに行っていたんだよね。僕らもどうするかとなった時に会社からとりあえずメキシコとアメリカ戦を見て、それからいきなさいと言われたのよ」。
「(アメリカ対メキシコ戦の)途中から東京とやりとりしていて、もしかしたらメキシコが勝ったら、失点率で日本が行けそうですと入ってきて、AKI猪瀬さん、ディレクターもいたので、終盤メキシコとアメリカ戦を緊急中継したんですよ」。
「準決勝に行けるというのを一生懸命、計算間違いないというので喋る。メキシコが勝った。あの時にOAでグラシアスメヒコといって、日本の皆さん今夜はタコスを食べましょうと言ったのかな。メキシコのおかげで日本が決勝ラウンドに行ったと叫んだですよね」。
準決勝進出が厳しいかと思われたが、大会規定による当該チーム間での失点率で準決勝進出を果たした。準決勝の韓国戦は劇的だった。0−0の7回に先頭の松中信彦が二塁打を放ち出塁すると、一死後、代打・福留孝介の2ランで先制すると、この回5点を奪う。8回にも多村仁志のソロで追加点を奪い6−0で勝利。決勝のキューバにも10−6で勝利し、初代世界一に輝いた。
「第1回大会を喋れた。あの時は侍という言葉もありませんでした。王ジャパン、野球の世界大会はそれまでありませんでした。それをつぶさに、アメリカに行ってから取材したり、試合を見たりしていると、こういうものなんだと。サッカーしか知らなかったので、スタッフも少ないし控えの選手がバッティング投手やったりとか、コンパクトでみんなで作っていくみたいな。そういう部分では、歴史をまず築いたんじゃないかなと思いますね」
第1回大会の決勝を実況したことについて当時どのように思っていたのだろうかーー。
「こんなに大きな大会になるんじゃないかなと思ってはいましたね。とにかくアメリカがメジャーリーガーを投入してきた大会。初めての頂上決戦。メキシコにしても他の国もメジャーリーガーが出てくるようになって、まさに野球の頂上決戦というのが試合を追うごとに真実味を増してきたという感じですよね」。
「やっぱりあの空気を共有できたこと。頑張れ日本の気持ちを前に前に押し出していって、無我夢中でしゃべれたというのが最大の僕の宝物かな。韓国に勝って、キューバは当時強かったじゃない。そういう部分で日本の野球ってすごいなと思いましたね」。
WBCという野球の世界大会の第1回大会を実況し、そして日本代表の世界一の瞬間を実況した師岡アナ。実況人生の大きな財産になっている。ちなみに、“グラシアスメヒコ”の実況について日本に帰ってから当時巨人で監督を務めていた原辰徳氏に“あの実況は良かったね”と褒められたそうだ。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
「第1回で世界一の実況できたのは財産だよね。無我夢中にしゃべることができた。声が枯れてもいいと最後は思いましたね」。
ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める師岡正雄アナウンサーは、野球日本代表が世界一に輝いた第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)について語ってくれた。
「第1回はどんな盛り上がりするのかわからなかったじゃない。試合ごとに盛り上がって行ったんだけど、そのきっかけというか、熱がすごくなったのは第2ラウンドのエンゼルスタジアムでのアメリカ戦だよね」。この試合は日本が2回までに3点を先制するも、2回と6回に失点し同点に追いつかれる。3−3の一死満塁から岩村明憲のレフトへのフライで三塁走者の西岡剛がタッチアップしホームイン。一度はセーフと判定されたものの、アメリカ側が西岡の離塁が早いのではないかと抗議し、判定が覆り三塁走者の西岡がアウトになった。結局試合は9回に藤川球児がサヨナラ打を浴び敗戦。続くメキシコ戦に6−1で勝利するも、韓国戦に1−2で敗れた。
「失点率になったんだけど、ほとんどの報道陣が一緒にサンディエゴに行っていたんだよね。僕らもどうするかとなった時に会社からとりあえずメキシコとアメリカ戦を見て、それからいきなさいと言われたのよ」。
「(アメリカ対メキシコ戦の)途中から東京とやりとりしていて、もしかしたらメキシコが勝ったら、失点率で日本が行けそうですと入ってきて、AKI猪瀬さん、ディレクターもいたので、終盤メキシコとアメリカ戦を緊急中継したんですよ」。
「準決勝に行けるというのを一生懸命、計算間違いないというので喋る。メキシコが勝った。あの時にOAでグラシアスメヒコといって、日本の皆さん今夜はタコスを食べましょうと言ったのかな。メキシコのおかげで日本が決勝ラウンドに行ったと叫んだですよね」。
準決勝進出が厳しいかと思われたが、大会規定による当該チーム間での失点率で準決勝進出を果たした。準決勝の韓国戦は劇的だった。0−0の7回に先頭の松中信彦が二塁打を放ち出塁すると、一死後、代打・福留孝介の2ランで先制すると、この回5点を奪う。8回にも多村仁志のソロで追加点を奪い6−0で勝利。決勝のキューバにも10−6で勝利し、初代世界一に輝いた。
「第1回大会を喋れた。あの時は侍という言葉もありませんでした。王ジャパン、野球の世界大会はそれまでありませんでした。それをつぶさに、アメリカに行ってから取材したり、試合を見たりしていると、こういうものなんだと。サッカーしか知らなかったので、スタッフも少ないし控えの選手がバッティング投手やったりとか、コンパクトでみんなで作っていくみたいな。そういう部分では、歴史をまず築いたんじゃないかなと思いますね」
第1回大会の決勝を実況したことについて当時どのように思っていたのだろうかーー。
「こんなに大きな大会になるんじゃないかなと思ってはいましたね。とにかくアメリカがメジャーリーガーを投入してきた大会。初めての頂上決戦。メキシコにしても他の国もメジャーリーガーが出てくるようになって、まさに野球の頂上決戦というのが試合を追うごとに真実味を増してきたという感じですよね」。
「やっぱりあの空気を共有できたこと。頑張れ日本の気持ちを前に前に押し出していって、無我夢中でしゃべれたというのが最大の僕の宝物かな。韓国に勝って、キューバは当時強かったじゃない。そういう部分で日本の野球ってすごいなと思いましたね」。
WBCという野球の世界大会の第1回大会を実況し、そして日本代表の世界一の瞬間を実況した師岡アナ。実況人生の大きな財産になっている。ちなみに、“グラシアスメヒコ”の実況について日本に帰ってから当時巨人で監督を務めていた原辰徳氏に“あの実況は良かったね”と褒められたそうだ。
(ニッポン放送ショウアップナイター)