お年寄りが好きな「地元のお菓子」がいきなりトレンド1位に…愛知名物「しるこサンド」が新たなファンを生んだSNS戦略

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無類のあんこ好きだった創業者のアイデアで生まれた松永製菓の「しるこサンド」は、名古屋エリア発の菓子として不動の人気を誇る。今や全国各地でも販売されており、近所のスーパーマーケットなどで見かけたことのある読者も多いだろう。

1966年の発売から60年近く経つが、当初から味わいや製法はほとんど変わっていない。商品パッケージも昭和のレトロ感が漂う。途中、販売戦略に悩む時期などもあったというが、2000年代に入ってから一気に息を吹き返した。全国に販路が拡大したのもその頃だ。

昨今は若年層からも支持を集めつつある。消費者から飽きられず、ロングセラーとして生き残っている要因の一つに、SNSの活用があった。公式アカウントに関して、X(旧Twitter)のフォロワー数は6.7万人、インスタグラムは約1万人(2024年10月末現在)。昨年11月には漫画「ちいかわ」に登場し、しるこサンドがトレンド1位になるなど、大いにバズった。それを助長させたのも公式アカウントの“努力”によるところが大きかった。

しるこサンドが売れ続ける秘密に迫った--。

一筋縄ではいかなかった商品開発

しるこサンドを製造・販売する松永製菓は、愛知県小牧市に本社を構える、従業員150人前後の中小企業である。創業は1938年。名古屋市内でのキャラメル作りを祖業とする。

戦後、ビスケットやラーメンなどにも商品ラインナップを広げていった中で、1966年に誕生したのが「しるこサンド」だ。この商品が生まれた理由は極めて明快で、創業者で当時社長だった松永守市氏があんこが大好物だったから。

「初代社長は非常にあんこ好きな人でして。名古屋といえばあんこといった食文化があるのですが、既に製造していた洋菓子のビスケットと、和菓子の素材に使うあんこを組み合わせたら面白いお菓子ができるのではないかというアイデアが浮かんだそうです」と松永製菓 広報部チーフの可兒里奈さんは説明する。

当時、世の中にはビスケットであんこをゆるく挟んだ食べ物は存在していたが、それとは一線を画し、あんこを挟んで、さらに焼き上げるといった菓子を目指した。

とはいえ、創業者の理想とは裏腹に商品開発は一筋縄ではいかなかった。中身のあんこが飛び出してしまったり、ビスケットがうまく焼けずに焦げたりと、苦労の連続だった。

あまりにも失敗が続くため、社長は苦悩の末、商品化を断念しようとした。すると開発に従事していた若手の社員たちが「絶対に自分たちは成功させたい!」という熱い思いを社長にぶつけたため、もう一度チャレンジしてみようとなった。

1年ほどかかり、最終的にたどり着いたのが、長方形でギザギザの形状。それまでの直線だと生地が剥がれやすかったが、辺をギザギザにしてつなぎ合わせることで課題を解決した。

「しるこサンドはビスケット、あんこ、ビスケットの3層構造。それを型で抜いていくのですが、上から押すことでビスケットの上の生地が下の生地を包み込むような断面になります。そのおかげでビスケットがカリッととしつつ、中のあんこも飛び出さない。開発当時からのこのデザインのまま。当社独自の唯一無二の製法です」と可兒さんは胸を張る。

好きな人だけが買う地元の菓子だった

創業者、そして社員の夢を乗せて世に送り出された「しるこサンド」は、地元・愛知の人たちに好評だった。当時はまだ甘い菓子が高価で、キャラメルも1個100円という時代。そこに量り売りで安価に購入できるしるこサンドは破格だった。「腹ペコな子どもたちをお腹いっぱいにしたい」という創業者の思いが詰まった価格設定である。

3枚食べて初めてしるこの味わいがわかるという、商品のコンセプトも良かった。つまり、1枚食べただけではあんこの風味を感じないが、連続で2枚、3枚と食べると、口の中にじんわりと味が広がる。実際には、その後も4枚、5枚と手が止まらなくなる人が続出するそうだ。この絶妙な味のバランスも消費者にとって新鮮だった。

とはいえ、発売から5年ほど過ぎると人気に陰りが見えてきた。愛知を中心とする東海エリアには浸透したものの、爆発的に売れるというよりも、本当に好きな昔からのリピーターが買い続けているような状態だった。客層も基本的には年配が多かった。岐阜県出身の可兒さんも、どちらかといえば祖母の家に置いてあるイメージだったという。加えて、現在のようにまだ販路が確立できておらず、全国的にもほぼ無名の存在だった。

長らく影を潜めていたしるこサンドが、一躍、ヒットの階段を駆け上がるのは2008年ごろ。全国のご当地グルメなどを紹介するテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」がきっかけだった。また、同時期には別の番組で当時SKE48だった松井珠理奈さんが「子どもの時から食べていた」というコメントをしたことで引き合いがかなり増えた。

これらの番組放送直後から販売数が急増。しばらくはフル稼働で対応した。

創業80年で広報部が発足した理由

さて、ここまでの話だと、テレビに出たから売れたということで終わってしまう。商売そんなに甘くはない。

実は一過性のブームにならないよう、松永製菓自らが考え、推し進めたのがSNS戦略だった。それまで商品の宣伝やPRなどはほぼしていなかったと上述したが、現に会社には広報担当もいなかった。歴史の長い会社なのに広報部が立ち上がったのは2018年と、まだ10年も経っていないのは驚きである。なぜこのタイミングで部門ができたのか。

「2018年は創業80周年でした。中小企業こそ広報活動を積極的に行う必要があり、今後マスメディアに順応できる担当者が必要となって、広報部ができたのです」

当時は60代が購買層の大多数を占めていた。そこは大切にしつつも、新しい顧客を育てていかないと商品の未来が危ぶまれるのは必然だった。では、新しい顧客、すなわち若年層を獲得していくにはどうすればいいか。その一つとしてSNSの活用が有効だと松永邦裕社長(当時は専務)が判断したのである。

ただし、SNSを使えば、若者にリーチでき、万事うまくいくなどという話はない。しかし、まずは若者のハートを捕まえるためには、同じ世代である20代、30代の社員が商品開発に携わったり、広報担当として情報を発信したりするべきだと考えた。

「例えば、50代の社員が20代の消費者に対してコミュニケーションをとるのは、恐らく苦労すると思います。だから同じ世代の社員がいいだろうと。一方で、若手社員だけにすべてを一任するわけにはいかないので、バックアップするためにベテラン社員をつけて、その都度確認しながら運用していく。そのような会社の体制がその頃から整い始めました」

SNSのユーザーが求めているのは企画モノではない

広報立ち上げメンバーは2人。若手の実働部隊として白羽の矢が立ったのが可兒さんだった。驚くべきことに、その時に入社したばかり。しかも前職は販売員と、まったくのSNS未経験だった。

「写真の撮影から文字入れ、文章構成作り、返信も、基本的には全部自分たちでやります。私はそれまでPCをろくに触ったこともない状態だったので、画像処理などはかなり難しかったです。何よりも、個人のアカウントと企業の公式アカウントとでは責任の大きさがまるで違います」

SNS運用および広報のスキルを習得するため、日々セミナーや勉強会へ行っては、少しずつ経験値を積み上げていったという。

Xのアカウント自体は、広報部が立ち上がる前からあったが、フォロワー数は600程度。2015年に新発売した「生しるこサンド」の催事情報を伝えるだけのbotのような存在だった。それでは意味がないということで、80周年を機にテコ入れしたわけである。

「当時、SNSの企業公式アカウントが全盛期で、中の方たちがユーザーと活発に交流しているのを見て羨ましく思っていました。当社としても広報部がせっかく立ち上がったのであれば、情報発信は当然のこと、お客さまの意見を聞くことも強化したいと考えました。今までもお客さま相談室はありましたが、顧客の声をもっと身近なところで聞きたいという要望もあって、それをSNSでカバーしようとなりました」

つまり、SNSを活用してプッシュ型とプル型双方の活動を行うこととなったのである。広報部が立ち上がり、SNSの本格運用が始まってからは、基本的に毎日投稿することを目標に掲げた。「大変でしたね」と可兒さんは苦笑いする。

「最初は企画ものみたいなことを考えたりするのですが、ネタはすぐに尽きてしまいます。でも、SNSを運用していく中でお客さまが求めているのはそういった企画ではなくて、ちょっとした小話だったり、中の人がどんな感じで働いているのかだったりと、等身大の部分を知りたいのだというのが徐々にわかってきました」

そこで、ある時期を境に「今日は暑くなりそうなので、水分とお菓子をちゃんと食べて、気をつけてね」などといった投稿をするように変えたら、コメントが多数つくなど盛り上がった。

「お客さまが求めているのは特別なことではない。そして、続けていくことや変わらないことが大切なのだと、今はそう思っていますね」と可兒さんは強調する。

1年が経つ頃にはSNS運用のコツを掴んだ可兒さんは、積極的にユーザーに絡んでいくことになる。

「エゴサーチは必ずしますし、例えば、ユーザーがしるこサンドについて投稿したら、積極的にコメントを付けています。そうするとユーザーも『公式が反応してくれた』と喜んでくれます。今ではうちの会社のことを何か言えば反応してくれるという認知が広まり、投稿数も日々増えていますね。だいぶ対応が追いつかなくなってきました(笑)」と可兒さんは嬉しい悲鳴を上げる。

バズりを促進

SNSの強化によって具体的にどんな成果が生まれたのか。一つは、通販での売り上げ増。2020年あたりからECサイトの売り上げは右肩上がりで推移しており、SNSの運用前と比べて10倍以上に増加したという。

「従来はECサイトへの導線がほぼなくて、会社のページから飛べる程度でした。今はSNSの投稿内容に応じて商品リンクを貼っているため、SNS経由でのネット購入の割合が増えています」

もう一つは、バズりを促進させて、さらに話題性を大きくしている点だ。冒頭で触れた「ちいかわ」の際には、反応したユーザー一人一人にコメントしたり、いいねを押したりしたことで、そこからユーザーがさらに「公式にコメントをもらった」などと盛り上がった。そうした細かなアクションの積み重ねがSNS上で新たなうねりを生んだ。この前後の期間でしるこサンドの売り上げはおよそ1.2倍になったという。

日常菓子はファンになってもらうしかない

SNSに力を入れ続けるその先に目指すのは、ロイヤルカスタマーの獲得である。

「コロナ禍でお客さまと交流できるイベントなどがなくなってしまい、直接対話することもできず、広報としてどうすべきなのか悩みました。その時に活路を見いだしたのがSNSでした。そこからですかね、できる限り多くの投稿にコメントしたり、いいねを押したりするようになったのは」

可兒さんは続ける。

「やはりしるこサンドは日常菓子ですから。毎月毎月たくさんの新しいお菓子が発売される中で選んでもらうには、ファンになっていただくしかないのです。そのためにはコンスタントに情報提供したり、交流したりしないとすぐに関係性は薄れてしまいます。そうした点で、顧客接点のチャンネルとしてSNSはかなり役に立っています」

毎日コメントや返信をすることで、だんだんユーザーの顔も見えてくる。「あ、この人、また買ってくれたんだな」などと印象に残るようになる。そうやって顧客とのコミュニケーションを深化させているのだ。近い将来、リアルの場でファンミーティングを開催したいと考えている。

SNSで“勝手に”絡んでいく

商品に関する課題としては、まだ認知度が低いこと。同社の調べによると、愛知県でしるこサンドの認知率は8割ある一方で、愛知県以外だと5〜6割だという。いずれは全国どこでも8割の人が知っている状況に持っていきたいと考えている。

そのためにSNSを使って今取り組んでいることの一つが、県外から名古屋にやってきた観光客へのアプローチだ。ターゲットの一例が、音楽イベントなどに来た人たちである。

「しるこサンドはオタク文化との親和性が高くて。例えば、声優の方がライブ中のMCで『しるこサンドを食べて美味しかった』とコメントしてくださるとします。ファンの人たちって“推し”が好きなものは全部買うような習慣があるから、ライブ終わりに名古屋駅周辺のしるこサンドが買い占められることは定期的におきますね」

そうしたファンに対してSNS上で「ご購入いただきありがとうございます」とお礼を伝えたり、売り切れで購入できなかった人にはECサイトを案内したり、「名古屋のこのスーパーにはまだあります」といった情報を提供したりする。

「本当にお客さま相談窓口みたいな感じで、問い合わせに受け答えすることもしばしば」だと可兒さんは話す。そのきめ細やかなサポートが非常に喜ばれているようだ。

松永製菓の変革はここ数年で一気に加速した。たとえロングセラーであってもあぐらをかいてはすぐに淘汰される現代において、地方の老舗企業の大きなチャレンジから学ぶことは多い。

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