優しくほほ笑む北原佐和子(撮影・吉澤敬太)

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 介護のプロとしても活躍する女優の北原佐和子(60)がこのほど、18年の介護職で培った経験を記した「ケアマネ女優の実践ノート」(主婦と生活社)を発売した。花の82年組と呼ばれたアイドル歌手としてデビューした北原が介護という新たなフィールドに踏み出した理由とは。ケアマネジャー、准看護師の資格まで取得した異色の経歴の持ち主が、自身の人生、介護の現場で働く喜びなどを語った。

 還暦を迎えた北原の軸足は、介護の現場にある。都内の認知症専門クリニックで介護・看護スタッフとして働き、グループホームのケアマネジャーとして利用者のケアプラン作成にあたる。

 女優を辞めたわけではない。「ご縁があれば、やらせていただきたい気持ちはあるんですが、(今の仕事を)誰かに代わってもらうことができる状況ではないので」と責任感をにじませる。

 「さわやか恋人一年生」をキャッチフレーズに、18歳でソロ歌手としてデビュー。花の82年組と呼ばれ、トップアイドルに躍り出た。「歌ってる時のことはすごく覚えてます。親衛隊の方が歌に合わせてコールをかけてサポートしてくれて。魂を揺さぶられた思いとして残ってますね」

 懐かしそうに振り返った北原は、その後の苦悩を静かに語り始めた。

 「アイドルとして、本当に一瞬にして低迷したんですね。悲しくて苦しい期間がずっとあった」

 歌手を3年で卒業し、女優として本格的に活動を開始。30代を迎えドラマや時代劇などに多く出演するようになるが、一つの撮影を終えて、次の撮影が始まるまでの隙間は北原を不安にさせた。「社会から、芸能界から必要とされていないんじゃないかって不安定になってしまった。この状態は決してよくないと思ったんです」

 自分が求めているものを考え続け、湧き上がってきたのは誰かのために何かしたいという思い。「ああ、福祉に携わってみたいなって。そこからヘルパー2級の資格を取ったんです」。41歳での挑戦だった。

 女優業と並行してヘルパーとして働く二刀流をこなしながら、50歳で介護福祉士、53歳でケアマネジャー、56歳では准看護師資格も取得。ただ、「資格やキャリアが欲しかったのではない」と強調する。「目の前にいる利用者さんに何が必要なんだろうと考えた結果が介護福祉士であり、ケアマネでした。准看護師は、医療のことを何も知らない怖さを埋めるためでした」

 看護学校への入試という高いハードルもあったが「これからの人生、自分には限られた期間しかない。やるだけやってみようって」。猛勉強で合格を勝ち取り、老眼鏡をかけながら若い同級生たちと学んだ。

 介護の仕事で感じる喜びとは。問いかけに北原は真っすぐに答える。「利用者さんが不安な表情でいる時、どうしたら、不安を払拭して笑顔になるんだろうって考え、笑顔に触れられた時、幸せだなあって思えますね」

 状況によって声の抑揚を使い分け、相手の家族構成を理解した上で時には娘を演じる。検査の立ち会いで心がけるのは安心感を与える「天使のささやき」だ。施設ではデビュー曲を歌い、出演していた人気時代劇「水戸黄門」のクイズで場を和ませることも。歌手として、女優として培ってきたものは、現場で生かされている。

 「心の整理がしっかりつくまで、それなりの時間も必要でした」と口にしつつ「アイドルとして活躍していた時があったから、今があると思ってます。すごく大切な時間だったなって」。

 加速する高齢化社会の中で、人手不足や離職率の高さなど介護の現場を取り巻く状況は厳しい。後進に伝えたいことを尋ねると「こんな施設で働きたいって思いがあったら、その気持ちを大切にしてほしい。そして思いを言葉にすることで、必ず自分が働きたい現場との出会いはあると信じてます。私自身がそうでしたから」。誠実に言葉を紡いだ。

 ◇北原佐和子(きたはら・さわこ)1964年3月19日生まれ。埼玉県出身。高校在学中の81年に「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれ、82年に「マイ・ボーイフレンド」でアイドルデビュー。同期は小泉今日子、中森明菜、堀ちえみらで“花の82年組”と呼ばれた。その後女優として「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「名奉行 遠山の金さん」シリーズなどのドラマや映画、舞台でも活躍。女優歴は42年、介護職歴は18年になる。