大切なことは「スナックのママ」と「町中華の大将」が教えてくれた…芸人(57)がたどり着いた「人生後半」の生き様
※本稿は、マイナビ健康経営のYouTubeチャンネル「Bring.」の動画「40歳から養う「仕事観」。あえて、「新しいことをはじめない」という選択肢を持つ」の内容を抜粋し、再編集したものです。
■「ズルをしない、近道を歩かない」
【長谷川晶一】ビートたけしさんに弟子入り後、芸能界で約40年のキャリアを持つ玉袋さんですが、仕事観に関してこだわっている部分はありますか?
【玉袋筋太郎】たいした考えは持っていないけれど、唯一、大事にしているのは「ズルをしない、近道を歩かない」ってことかな。このことについては、仕事から離れたところから話したほうがわかりやすいかもしれない。例えば、美味いラーメン屋や焼肉屋に行きたいというときも、いまはスマホで検索するじゃない?
もちろん、知らない店に飛び込んでまずいものを食べるリスクを考えたら、ぱっと調べて美味いものを確実に食べられる店を選んだほうがいいよな。だけど、俺の考えでいくと、「ハズレもあたり」なんだよね。ハズレを引く経験をするから、「こういう店はパスしたほうがいい」という嗅覚が磨かれるわけだからさ。ハズレを引いても、「うん、これは授業料だ。安いもんじゃねえか」と思えれば、あたりになるというわけ。
【長谷川晶一】「ハズレもあたり」と思えるようになったのは、どのような経験からだったのですか?
【玉袋筋太郎】やっぱり、俺の場合はスナックの会話で活きたことかな(苦笑)。まずい店に入ってしまったら、それを初っ端に失敗談として話すんだよね。
自慢話や成功譚から入るとどうしても煙たがられがちだけど、「ママ聞いてよ。あの駅前の店に入ったら、冷めたものが出てきてさ。参っちゃったよな」だったら、もう最初から犬が腹を見せているような状態じゃない。「この人は攻撃をしてこない」ってみんなから受け入れてもらえるよ。ハズレだって、それを笑い話に転換してしまえば、価値が出てくる。
■「無駄」にこそ意外なお宝が埋まっている
だから、スマホに頼ってズルをするんじゃなく、さっきいった嗅覚――これを俺は、鼻のナビゲーション、「ハーナビ」って呼んでいるんだけどさ、それを信じたほうがいい。ハーナビは使えば使うほど精度も上がってハズレを引かなくなるし、最初は遠回りになるかもしれないけれど、そうして掴んだ自分だけの嗅覚は大きな武器になるよ。
もちろん、ハーナビは仕事にも有効なものだよね。飲食店のチョイスだけじゃなく、人を見る目にも影響を与えるものだから。誰かがいっている評判じゃなくて、実際に相手に会って得た感覚で判断していけば、信頼できる人なのかそうでないのかといったこともわかるようになってくると思う。
【長谷川晶一】いわゆる「タイパ」などという考えとは真逆の思考ですね。
【玉袋筋太郎】うん。いまの時代、それこそビジネスパーソンには効率が求められがちだけど、無駄に見えるようなことにも意外なお宝が埋まっていることはよくあるし、たとえそれがいまいちだったとしても、そこから引き出しが増えていくものだよね。
■「オフィス北野」を退社して
【長谷川晶一】玉袋さんは、長年所属したオフィス北野(現・株式会社TAP)を2020年に離れて個人事務所を立ち上げました。一般のビジネスパーソンの場合だと、「会社を辞めて看板や肩書がなくなった途端に人が離れていった」といった話もよくありますが、玉袋さんの場合は安定して仕事が続いていますよね。
【玉袋筋太郎】もちろん、最初からそうした絵を描いていたわけじゃないけれど、結果的に協力してくれる人がたくさんいたということは本当に嬉しかった。だって、完全に後ろ盾がなくなったんだもん。いまはそういうことも減ってはきているんだけど、やっぱり芸能界という場所は、後ろ盾があれば仕事が途絶えないことも実際問題としてあるわけよ。
でも、俺にはその後ろ盾が完全になくなってしまった。オフィス北野に所属していた時代に俺がやっていた仕事は、あくまでも事務所経由で成立していたものばかりだから、事務所から離れるということは、それまでの契約を各放送局が見直すことを意味していた。
当然、「これはもう続いていた仕事もなくなるな」「すべての仕事が一からやり直しになるな」と腹を括っていたわけだけど、実際は大丈夫だった。ある放送局の上層部の人にことの経緯と状況を説明したら、「わたしたちは事務所と付き合っていたわけじゃなく、玉さん個人と仕事をしてきました」といってくれたんだよね。もうさ、その言葉にはしびれちゃったよ。
■「会社が倒産した後の自分」をイメージしておく
【長谷川晶一】そこに関連したことでいくと、一般の人の場合、「会社以外の人脈をつくれ」ということもよくいわれることです。
【玉袋筋太郎】いわゆる「会社人間」としてがむしゃらに生きてきた人が、会社の倒産や不祥事などトラブルに巻き込まれて、その地位や肩書を失ってしまうこともあるよね。そのとき、会社以外の人間関係のなかで、果たしてどれだけの人が自分の味方になってくれるのか? そうしたことは、いつも頭の片隅に置いておいたほうがいいかもしれないよ。
■「部下に慕われない上司」に足りないもの
【長谷川晶一】いまに限った話ではありませんが、人間関係に悩むビジネスパーソンは数多くいます。上司や部下と飲みに行けば、誤解が解けたり理解し合えたりすることもあるはずですが、特に若い人の場合は、いわゆる「飲みニケーション」を敬遠する傾向もあるようです。
【玉袋筋太郎】そうだよね、全日本スナック連盟会長の俺としては悲しいことだよ(苦笑)。ただ、最近ひとつの答えが見えた気がしているんだ。つまり、後輩を無理に飲みに誘うんじゃなくて、俺のようなおじさんたちが楽しく飲んでいる背中をただ見せればいいんだよ。別に大金を使って飲むってことじゃないよ。そこらの大衆居酒屋かどこかで、塩辛かなんかをつまみながら、くだらない話をしていればいい。
もちろん、「そういうのが嫌だ」という後輩なら仕方ないけれど、「僕も仲間に入れてください」といってくる後輩もいるんじゃないかな。だって、事実、俺がそうだったからね。無理に誘われると行きたくなくなるけど、「この先輩、上司と飲むのだったら面白そうだ」と思う人間は、勝手に向こうからついて来るよ。
■弱い一面を部下に見せられているか
【長谷川晶一】その背中を見せるのは、やっぱりスナックがおすすめですか?
【玉袋筋太郎】それは理想だよね(笑)。会社でどれだけ威張っている上司でも、スナックじゃママに頭が上がらないわけよ。そういうシチュエーションなら、ふだんの会社での自分とは違う、ある意味で弱い一面を部下や後輩に見せることができるじゃない。会社では近づきにくいと思われている上司だって、スナックに行ったらママの下僕だもん。そういう姿を見せられたら、部下からの心理的な距離もぐっと近づくんじゃないかな。
客側の人間は、大企業の社長だろうが上司だろうが部下だろうが、肩書なんて関係ない。ママが絶対的なトップというだけであとは対等な立場だから、客同士、「心の混浴」ができるのがスナックという場所なんだよね。
■無理にそば打ちや陶芸を始めなくたっていい
【長谷川晶一】長いこと芸人として活躍してきた玉袋さんは、仕事の質を高めるための工夫もしてきたかと思います。もちろん、大っぴらにいえることではないかもしれませんが、明かせる範囲でその工夫について教えていただきたいです。
【玉袋筋太郎】特に40代、50代に入った中高年の人にいえるのは、「あえて、新しいことを始めないことも大切」だということだね。なぜだか年を取ると長野あたりの山奥に行って作務衣を着てそば打ちや陶芸に手を出す人っているじゃない。あれはもう、少しあぶねえ状態だよ……(笑)。きっと、自己啓発本なんかの「老後に備えて新しい趣味を身につけよう」といった言葉を真に受けているんだよな。
確かに俺にも、むかしはそういうところがあったよ。雀荘(両親が経営していた)の息子なのにマージャンができなかったから、「本格的に勉強しようか」と覚えてみようとしたこともあるし、まわりの人間の多くがゴルフをやっているからとクラブを握ったこともある。でも、本に書かれていることや誰かの影響を受けて始めたことって、結局は長続きしないよ。心から「やりたい」と思ったことじゃないんだから、それも当然だよね。
新しいことを始めないという観点では、例えば映画にしても、どうしても気になるものは新しくても観るとして、『ロッキー』(1976年作品)なんて何十回観たか分からないもん。結末どころかセリフまで頭に入っているような映画なのに、毎回「どっちが勝つんだ?」「今回ばかりはアポロ(ロッキーのライバル)に勝つんじゃないか?」なんて思いながら観てるよ。馬鹿だよな、本当に……(苦笑)。
■新しいなにかを得る前に、中高年ならではの武器を磨け
【長谷川晶一】むやみに新しいことに手を出さないことでいうと、玉袋さんが仕事でもよくお会いする町中華の大将たちにも通じるところがありそうです。
【玉袋筋太郎】「町中華で飲(や)ろうぜ」(BS-TBS)に登場する大将たちはみんな何十年も、自分の暖簾を守り続けている。しかもメニューは、いわゆる定番モノばかり。確かに、時代や客のニーズの変化に応じて味を変えたり新メニューを加えたりするやり方もあるだろう。でも、流行りとは無縁であっても、「いつも同じ味を提供する」という格好よさも確実にあるはずなんだ。
もちろん、俺が気づいていないだけで、大将たちも微妙に味を変えてブラッシュアップしているのかもしれない。それを俺のような客に気づかせないまま満足度を上げてくれているというのも、またいいじゃない。
変化していく時代の流れに取り残されないように、さらなるステップアップを目指して新たなスキルの習得のために努力することももちろん大切だし、立派なことだと思う。
だけど、「新しいなにか」を獲得しようとする前にやれること、やるべきことがあるんじゃないかな? それこそ30年、40年と会社員としてしっかり働いてきた人なら、若い人間にはない経験や能力だっていくつもあるはずじゃない。自分では気づいていないだけで、中高年ならではの武器や味わいをすでに持っているんだよ。
そうであるなら、「新しいものに飛びつく前に、そっちを磨け」って話じゃないかな。一度、「いま、自分はなにを持っているのか?」という棚卸し作業をやって、それをさらに磨いてみる。それこそ町中華の大将たちのようにね。そのほうが、「勝ち目」があるように思うんだよね。
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玉袋 筋太郎(たまぶくろ・すじたろう)
お笑い芸人
1967年、東京生まれ新宿育ち。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士とお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。芸能活動のかたわら、多数の本を手がけ、小説デビュー。社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。主な著作に、『粋な男たち』(角川新書)、『スナックの歩き方』(イースト新書Q)、『痛快無比‼ プロレス取調室 〜ゴールデンタイム・スーパースター編〜』(毎日新聞出版)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)などがある。
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長谷川 晶一(はせがわ・しょういち)
ノンフィクションライター
1970年、東京都に生まれる。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、2003年からノンフィクションライターとして、主に野球をテーマとして活動を開始。主な著書として、1992年、翌1993年の日本シリーズの死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『プロ野球語辞典シリーズ』(誠文堂新光社)、『プロ野球ヒストリー大事典』(朝日新聞出版)などがある。また、生前の野村克也氏の最晩年の肉声を記録した『弱い男』(星海社新書)の構成、『野村克也全語録』(プレジデント社)の解説も担当する。
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(お笑い芸人 玉袋 筋太郎、ノンフィクションライター 長谷川 晶一 構成=岩川悟(合同会社スリップストリーム) 文=清家茂樹)