進化する校閲

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 言うなれば、「活字の番人」――。書籍・雑誌等の刊行物や販促物の記述や体裁が適切であるかを世に出る前にチェックする役割を果たすのが「校閲」という仕事です。誤字や脱字をチェックするだけではなく、事実関係や時に作者の表現の狙いにまで踏み込んで指摘を行います。その校閲という現場では「紙」特有の技術が積み重ねられてきました。しかし、出版物が電子で読まれることが増えてきたのと同様、校閲の現場にも、デジタル化の波が迫っていることはあまり知られていません。【新潮社校閲部】

【写真】デジタルデバイスを活用した校閲の最前線とは

「拡大・縮小」が自在になる

 一般に校閲という作業は「紙」の上で行われてきました。原稿を単行本や雑誌の体裁に合わせて印刷した「ゲラ」と呼ばれる校正刷りに鉛筆などを用いて指摘を行います。それをもとに著者が加えた修正(赤字)を反映したゲラを印刷所に出してもらい、正しく直っているか確認する。現在でも多くの刊行物ではこのやり方が主流です。

進化する校閲

 ただ、昨今はその「校閲」の現場でもデジタル化が進みつつあります。

 その一つが「iPad」による校閲です。PDFに描画できるアプリケーションを使って、iPadの画面上で作業します。鉛筆や赤ペンの代わりにスタイラスペンを用いて、紙と同じように作業できるのがiPad校閲の良いところです。

 校閲作業では文章への指摘を余白に書き込んでいきます。著者が読みやすいように疑問を入れる「空間を使う力」が問われますが、紙の場合、出す疑問の量が多くなると、一度書いたものを消して位置を変えたり、小さい字で書き直したりする必要が出てきます。

 しかし、iPad校閲の場合は疑問の描画を範囲選択して移動させたり、大きさを変えたりすることができます。一度書き込んだ疑問を修正したい場合も、選択して削除すれば、消しゴムでうっかり関係ないところまで消してしまう、という事故が起きません。疑問は太い字で書き込み、その他の伝達事項については細い字にしたり、色を変えたりするという工夫も手軽にできます。

 また、ゲラ自体の表示の拡大・縮小も自在に行え、拡大すれば読みやすいばかりでなく、細かな字体の違いや図版のチェックなどがしやすくなります。

誤字脱字を見逃す可能性が

 また、通信環境さえ整えば、自宅などでの作業も問題なくできます。そのため、コロナ禍を経て主に雑誌の現場でiPadを導入する出版社も増えてきました。

 この「iPad校閲」は確かに便利ではあります。「紙」での校閲に比べて優れているところもあれば、一方で、そうとは言い切れないところもあるのです。

 例えば、紙よりも誤字脱字を見逃しやすくなる可能性があるということです。体感的にはデジタルデバイスでの校閲作業よりも紙での作業の方が文章上の単純な間違いを見つけやすい。iPadで作業する時は自在に拡大・縮小ができるとは先にも触れましたが、拡大したまま作業をしていると文章の中身にばかり集中し、誤字脱字等を脳が勝手に補正して読み進めてしまうこともあります。その点、紙で読む場合は前後の行も自然に目に入るので、ふと間違いに気づく、というパターンが多いように感じます。

 さらに、印刷物で校閲作業を行う場合、蛍光灯などの下で作業するため、紙への反射光を利用します。他方、iPadで作業する際はiPadが放つ光、すなわち透過光を利用することになります。もしかすると、透過光よりも反射光で作業した方が間違いに気づきやすい、ということがあるのかもしれません。

 加えて、200ページ、300ページの書籍になると紙の方が作業効率が良い。それだけのページ数になると描画を加えていった場合データが重くなりすぎて、やりとりに不都合も生じてしまいますし、アプリケーションが負荷に耐え切れず突然終了して進捗が吹っ飛ぶ……などとなったら目も当てられません。iPadは、現状、雑誌などの短めの文章の校閲に導入するのが妥当なのではないでしょうか。

複数の辞書を用いる

 校閲者にとって「調べもの」は重要な仕事です。書かれている内容は正確か、その表現は正しいと言えるのか……。ゲラの中で調べなければいけない事柄は多岐にわたります。

 そのため、校閲の現場では複数の辞書を用います。例えば、「新潮現代国語辞典」「新明解国語辞典」「岩波国語辞典」「広辞苑」……など。また、漢字辞典も必須です。「新潮日本語漢字辞典」はとても使いやすいです。表現としてしっくりこない言葉と出会った時は類語辞典で調べるのもおススメです。

 それぞれの辞書には特徴があるので、同じ表現が特定の辞書では是とされても、他の辞書では非とされることもあります。

 例えば「失敗する」という言葉で考えてみましょう。この語は他動詞でしょうか? 広辞苑・日本国語大辞典は自他の明記はなく、用例は自動詞のみ。岩波国語辞典・新明解・新潮現代国語は自動詞と明記し、明鏡国語辞典の場合は自他動詞としている。

 では、実際の「失敗する」という語の使い方はどうでしょうか。

「説得が/に失敗する」(自動詞)
「味付けを失敗する」(他動詞)

 というように、自他双方で使うことがあります。そこで原稿中に「〜を失敗する」という表現があって疑問に思った時、参照する辞書が少ないと「に失敗する」と直す疑問を安易に出してしまいかねません。

 これはどの辞書が間違っているという話ではなく、漢字の使い分けをどこまで厳密に行っているかなど、辞書ごとに個性があるということです。複数の辞書を用いて、その表現が適切と言えるのか、本当に疑問を出すべきなのか、判断していくことが求められます。また、最近では手元に電子辞書を置いて、その電子辞書をファーストチョイスとして調べていく人も。小学館グループが提供するインターネット百科事典『ジャパンナレッジ』と契約して調べるという方法もあります。

AIと校閲

 校閲業界に今後大きな変化をもたらしそうなのが、AIの進展です。文章校正AIの開発も進んでおり、すでに活用している企業もあるでしょう。校閲者は今後絶滅してしまうのでしょうか。

 単純な誤字脱字についてはAIがそれなりに拾ってくれるものの、日本語特有の曖昧さ、表記の揺らぎについて充分な理解に到達しているかは疑問が残ります。文芸やノンフィクション、学術書などジャンルや著者の属性が変われば、疑問の出し方も異なってきますが、そこまで配慮してはくれません。

 調べものに関しては、AIは実力を発揮します。しかし、ある事実を調べるにあたり、AIが答えを明示してくれても、その事実が本当にその原稿の文脈で参照すべきものなのか、その事実をどういう資料から拾い上げたのか、そもそも本当に正しいのかなどといったことは、人間である校閲者が考え、精査していくことになります。特にノンフィクション作品ではファクトチェック という意味で「調べもの」は肝になりますし、しかも、最近はより厳密なファクトチェックが求められる傾向にあります。

 確かに「こういうことを論じている文献を教えて」などとChatGPTに指示すれば、比較的正確な答えをもたらしてくれます。AIそのものに調べさせるというより、調べものの補佐をしてもらうイメージです。

 今後、飛躍的にAI技術が進展したとしても人間が手掛ける部分は必ず残ります。AIをうまく使う「AIを操る校閲者」というのは残ることになるのではないでしょうか。

※8月29日に行われたオンラインイベント「新潮社の校閲講座〈ライブ配信編〉『ノンフィクション校閲の現在』」(新潮社『本の学校』にて期間限定公開中)の内容をもとに記事として再構成しました。

デイリー新潮編集部