札幌から北九州に新天地を求めた大森。自分の感覚を取り戻すべく、慣れ親しんだ地で再起を期す。(C)J.PHOTO

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 一言で言えば、ギラヴァンツ北九州のFW大森真吾はプレーも性格も純粋で真っ直ぐだ。

 恵まれた身体能力と当たり負けしない強さを武器に、貪欲にゴールを目ざす。ピッチ外でも実直な男で、東福岡高時代にはそれを象徴する出来事もあった。

 高校3年次の11月下旬。選手権開幕まで1か月を切ったなかで、練習の雰囲気が悪かった。すると、仲間が帰った後にスタッフルームに足を運び、涙ながらに「なんでもっと周りはやらないんですか」と訴えかける。感情をあらわにした大森の姿からは、勝利に対する貪欲さがこれでもかと垣間見え、誰よりもサッカーを愛している様子がうかがえた。

 高校卒業後、順天堂大に進学した点取り屋は1年次から活躍し、同年秋にはU-19日本代表の一員としてU-19アジアカップ(現・U-20アジアカップ)の予選にも参加。以降も世代別代表にたびたび招集された。

 しかし、大学3年生の6月に大怪我をしてしまう。右足の腓骨骨折だった。シーズン中の復帰は叶わず、ピッチに戻ってきたのは翌年の8月。他箇所の負傷も重なり、復帰までに予想以上の時間を費やすことになった。

 直後に24年からの北海道コンサドーレ札幌入りを決めたものの、1年目はJ1で4試合1ゴールの結果に。目標としていたパリ五輪世代の代表に一度も招集されず、プロ2年目の今季も古傷の影響もあり、札幌で思うような活躍ができずにいた。

 現状を打破するべく、大森は今夏に大きな決断を下す。J3の北九州に育成型期限付き移籍し、地元でリスタートを決めたのだ。
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「自分の現実と(怪我をする前の)理想。そのギャップで苦しんでいたんです」

 過去の自分と決別するべく、大森は再び前を向いて走り出した。

 加入してから1か月ほど経過したものの、結果はまだ出せていない。だが、大森の表情は明るい。9月14日に敵地で行なわれたJ3第28節の大宮アルディージャ戦。0−3で敗れた一戦で大森は1点ビハインドで迎えた74分に投入され、2トップの一角で果敢にゴールを狙った。チームとして喜べる結果ではなかったが、大森自身は確実に前へ進んでいる。

「札幌時代はなんかモヤモヤしていたんです。他人に矢印が向いたりしていた。その要因は分からないけど、メンタル面で良い日々を過ごせていたとは言えない。環境を変えてみて、今は自分にベクトルを向けてやれている。まだ結果を残せていないので、もどかしさや自分に対する残念な気持ちもあるけど、自分の立ち位置を再確認して地道にやっていくしかない」

 奇しくも大宮戦でピッチに立ったNACK5スタジアムは、高校サッカー選手権でゴールを決めた思い出の地。浦和南との1回戦(4−0)で右サイドに流れたボールに反応し、ハーフウェーラインを超えたあたりから強引にシュートを放ってネットを揺らした。

「あの時のゴールも足を振るような場面じゃなかったけど狙えていた。やっぱり、フォワードならどこからでも得点を狙わないと」

 自分の感覚を取り戻すべく、慣れ親しんだ地で研鑽を積む。かつて代表でともにプレーしたFW植中朝日(横浜F・マリノス)や高校の1年後輩である荒木遼太郎(FC東京)らがパリ五輪に出場し、「やっぱり悔しかった。その想いはずっと持っている」という。

 今はまだ彼らの背中を追いかける立場かもしれない。だが、もう一度同じピッチに立つべく、大森は生まれ育った地で再起を期す。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)