伊藤沙莉

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 NHKの朝ドラ「虎に翼」は、相変わらず安定感があって好評だ。主人公の佐田寅子(伊藤沙莉)は裁判官になっても「はて?」と自問自答を繰り返す。寅子の「はて?」には、法の下の平等を新憲法が定めた以上は、あらゆる差別を許さないという精神がにじんでいる。【水島宏明 ジャーナリスト/上智大学文学部新聞学科教授】

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 新潟県の地方裁判所の判事として様々な事件に直面している寅子。今週の放送では朝鮮人が被告人となった放火容疑事件の裁判を担当する様子が描かれている。

 寅子は、周囲に根強い朝鮮人差別が存在することを実感する。逮捕状を請求するため、裁判所にやってきた警察官はこう言い放つ。

伊藤沙莉

「本人は否認していますろも、犯人はスマートボール場を経営していた朝鮮人で間違いないでしょう。ほんにこれがすけ朝鮮の連中は…」

 寅子は思わず制止する。

「止めてください。差別的発言は見逃せません!」

 だが警官は何を言われたのかすら理解できない。

「差別…? 何がですて…?」

「はて? 生まれた国は関係ないのでは?」

 犯人は朝鮮人で間違いない――そんな先入観を持つのは警官だけに留まらない。裁判は判事長の星航一(岡田将生)、判事の寅子、判事補の入倉始(岡部ひろき)の3人で審議されるが、一番若い入倉は朝鮮人に対する偏見を隠そうとしない。

「また朝鮮人か…。事件ばかり起こして困ったヤツらですよ」

「はて? 生まれた国は関係ないのでは?」と、戸惑う寅子。

 入倉は色をなして反論する。

「私は事実を言っただけです。いいヤツらもいれば、どうしようもないヤツらも多い」

(寅子)「だから…? それはどの国の人間でも同じでしょう?」

(入倉)「怒らないでくださいよ。そもそも最近ヤツらが威張り散らしているから、余計な事件が起きるんです」

(寅子)「裁判官としてあるまじき発言よ。撤回すべきです」

(入倉)「僕はきれいごとではなく、現実の話をしているんです」

 寅子の脳裏には、大学で一緒に法律を学んだ朝鮮人の友人、崔香淑=チェ・ヒャンスク(ハ・ヨンス)の思い出がある。朝鮮人であることで弁護士の道をあきらめ、現在も日本人であるふりをして生きる崔。今も日本人の心の中から完全に消え去ったとは言い難い「朝鮮人差別」が今週のテーマのようである。

 初公判では、傍聴していた被告人の弟が騒ぎ出す。朝鮮語で叫んで職員に身体を取り押さえられる。

「兄さん、何も話すな黙っていろ。この国じゃ警察も裁判官も誰も信じられない」

人気ドラマで異例の言及

 7月30日の放送回では、星航一が、入倉が口にした「火のないところに煙は立たず」という言葉に反応し、関東大震災について知っているかと尋ねる場面がある。

(星)「じゃあ、あの時、朝鮮人が暴動を起こした、という流言が飛び交って、大勢の罪のない朝鮮人が殺されたことは…?」

 星の言葉の後で「略奪―放火―凶器―爆弾毒薬携帯」「中には婦人陵辱もある」「本所を襲った朝鮮人の一団」など当時の新聞記事が差し込まれる。

「差別が生まれる理由は様々です。火のないところに煙は立たずで終わらせるのか。それともその煙を上げたのは誰なのかを見極めるのか…」

 これだけ世間の注目を集める人気ドラマの中で、たとえ短い尺であっても、関東大震災での朝鮮人虐殺を扱ったのはこれが初めてのケースではないか。筆者の記憶では21世紀に入ってからはまったく記憶がない。

今やテレビのタブーになった

 先日、三選を果たした小池百合子・東京都知事が、歴代の都知事が続けてきた朝鮮人犠牲者への追悼文を送ることを2017年から取り止めていることでも、ネット上でこの問題は注目されていた。

 現在、関東大震災が発生した9月1日になると、墨田区の都立横網町公園で行われてきた慰霊祭では、朝鮮人犠牲者を慰霊しようとする団体と「大虐殺はなかった」と主張する右派の団体との間で、怒号が飛び交う事態になっている。

 関東大震災から100年後の節目となった2023年も、現場は緊張した雰囲気になっていた。当時、この模様を取材したTBS「報道特集」は「デマと虐殺」という特集を放送したほか、別の放送日には戦時中に日本で働かされた朝鮮人の追悼碑が群馬県で撤去された問題を取り上げていた。朝鮮人問題に強いこだわりを見せる報道姿勢だ。

 しかし、この問題を真正面から取りあげたのは、100周年を迎えた2023年でも、報道番組でさえごく数えるほどだった。テレビで、この問題はタブーのように扱われている。

 そうした中での「虎に翼」の今回の扱いである。関東大震災での朝鮮人虐殺を、多くの人が知っておくべき「史実」として連続ドラマの中で扱ったのだ。

 寅子が「はて…?」と首を傾げ、何が正解なのかを正面から問いかける姿勢。寅子の同僚となった裁判官の星航一も「差別」の問題に関しては人には言えない苛酷な体験をしてきた人物でもあるようだ。寅子の「はて?」が、周囲の差別意識をどう解かしていくのか見ていきたい。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部