精神科医と患者の対話 『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(内田 舞,浜田 宏一)

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 私は現在ハーバード大学医学部アソシエイトプロフェッサー、またマサチューセッツ総合病院の小児うつ病センター長という立場で、小児精神科医として精神疾患をもつ子どもたちを診察しています。それと同時に、子どもの精神科症状を解明したいとの思いから、人間の感情や判断に関わる脳機能を解明する脳神経科学研究にも携わっています。

 精神疾患と聞いて、皆さんは何を思い浮かべられるでしょうか。メンタルヘルスの大切さが広く語られるようになり、うつ病をはじめ社会の理解が進んだといっても、まだまだその人の性格や判断に起因するような偏見に満ちた語られ方をすることが少なくありません。

 まして小児精神科の疾患は、つい最近まで子どもの自閉症は冷たい母親の態度のせいだなどと言われていたくらいです。「子どものうつ病や不安障害なんて存在しない」と言う人もいれば、「すべて家族に原因があるのではないか」と家族に向けられた偏見もあります。こういった偏見が原因となって、苦しむ子どもたちが必要な診断や治療にたどり着かないこともあります。だからこそ私は科学の知見を用いて、ご家族や本人の負担を下げることを目指しています。

 本書は、小児精神科医である私が、長年うつとともに生きてこられた経済学者の浜田宏一さんと語り合った一冊です。88歳になられる浜田さんは、その活躍の陰で、ひそかにうつと闘ってこられました。直接の主治医ではない、しかし精神科医である私が聞き手になり、どのようにうつを生きてこられたのか、そのライフストーリーを伺いながら、うつ病について、メンタルヘルスについて読者の皆さんと理解を深めていけたらと思っています。

 ……とこのように述べた後での告白になりますが、実は私自身、当初は精神科への偏見を持っていたのです。どこか精神科への暗く怖い印象もぬぐえず、今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、子どものころは母が精神科医であることを恥ずかしいと思っていたこともありました。あるいは医学生だった当時、周囲から精神科を選ぶなんて、内科や外科で能力を存分に活かしたらと引き止められることも度々でした。医学界においても精神科に対してはスティグマが存在するのです。

 転機となったのは医学部1年生の頃、初めて統合失調症の方と対面した時のことです。彼は人から銃で狙われていると信じて、診察室では恐怖で人の目を見ることも言葉を発することもできず、うつむき、汗をかきながら震えていたのでした。その姿を見て、これは気の持ちようとかではない脳の病気だと理解しました。しかし、ひとたびドーパミン遮断薬の服用を始めると、自分の妄想を疑い始めた彼は次第に医師や看護師の目を見て話せるようになり、最終的には他の患者さんとジョークをかわせるほどになったのです。治療によってこんなにドラマティックに変わることができるとはと驚きました。

 人間の考えや行動を司る脳にかねてから興味を持っていた私は、脳のすごさに驚くと同時に、そのメカニズムをもっと知りたい、解明したいと強く思ったのです。また、患者さんの人生を間接的にともに歩み、その心のしがらみを解く一助となれるかもしれないということに感動も覚えました。感情や行動について生物学的なアプローチと心理学的なアプローチの合わさるところに精神科の医師になることの魅力があると気づかされたのです。

 さらに、子どもの精神科に関わる中で子どもの精神疾患の難しさを、一方で治療が可能であること、治療できた場合の子どもたちの人生へのインパクトも多大であることを実感するにつれ、私の中で小児精神科医になる決意は揺らがないものになりました。その後、医師になって20年経とうとしていますが、今ではこの仕事は天職だったと確信しています。

 まだまだ働くお母さんが珍しかった時代、私は母が医師になる姿、研修医として駆け回る姿を幼少時から見ることができました。そして、そんな母を心から愛し、その成功と幸せを望む分子生物学者の父がイェール大学に研究留学したことで、我が家は私が4歳のときにアメリカのコネチカット州ニューヘイブンに引っ越しました。家族として新しい文化の中で新しい経験を重ね、その環境のなかで娘の私は計り知れないギフトを得ました。そんな時期に母が出会ったのが経済学者の浜田宏一さんでした。

 日本人の精神科医が来たと聞きつけたイェール大学経済学部の方から浜田さんの話を聞いてもらえないかと相談され、浜田さんと母は交流を持つようになりました。その後我が家が日本に帰国してからも、相談を受けながらの母と浜田さんとの交友関係は続き、私が医学部卒業後に研修医として渡米してからは、両親が私のもとを訪れるときにも浜田さんと会食し、社会や人生や芸術について3人が楽しく語らう様子を嬉しく見ていました。私がイェールとハーバードでの精神科研修を終える頃には浜田さんは「アベノミクスのブレイン」としてもご活躍されていました。

 また、両親を通じて浜田さんの精神科の症状や治療について、息子さんが同じくうつ病を患い、自死で亡くなられた経緯に接することにもなりました。その経験をいつか公に語りたいと話されるのも耳にしました。そんな浜田さんと母の信頼関係によってこの本は生まれ、メンタルヘルスへの理解を広げたい、精神症状に苦しむ多くの方が必要な助けを求めるハードルを下げたい、との思いを共にする私がバトンを受け取らせていただきました。

 この本の出版にあたり、浜田さんの強い希望で、私は30年来浜田さんの主治医をされているマイケル・ボルマー先生と話す機会を持ちました。ボルマー先生は実は私の研修医時代の指導医の一人でもあります。彼は浜田さんについてこんなふうに述べていました。

「うつを公にすることにはリスクがある。特に強い偏見のある日本ではそうだ。自分の評判はどうなるのか? 家族や友人からの目は変わってしまうのか? しかし、浜田さんは10年以上前から、リスクをとっても闘病を語る本を作りたいと強く願っていた。それだけに、この本は社会への大きな貢献となるだけでなく、浜田さんにとっても意義深い。自身の過去やトラウマ、うつであった事実に正面から向き合い、その経験を言葉にすることには、さまざまな思いを昇華させる目的がある。そうやって88歳の今も成長し続けられるのは素晴らしく、まさにエリクソンの言う発達段階の尊厳と叡智の達成と言えるのではないか」

「アイデンティティ」の概念の提唱者として知られる心理学者のエリク・エリクソンは、乳児期から老年期まで人生には各発達段階で達成すべき心理社会的課題があり、老年期の課題は「アイデンティティの統括&尊厳vs絶望(integrity vs despair)」だと提唱しました。人生を振り返って自分が誰であるかを統括すること、そして次世代への貢献を実感する中で自分の人生に尊厳を抱くこと。老年期においてはそれこそが生きる目的になり、実際にそれを達成した場合に得られるのは「叡智(wisdom)」だとエリクソンは提唱しています。

 今回、私は、浜田さんとの最初の出会いから数十年の時を経て、その個人的で大切なストーリーを受け止め、伴走させていただけることをとてもありがたく思っています。

 私たち二人の対話のなかでは、浜田さんが経済学者として大きな業績を達成されながら、その成功もまた病の引き金の一つとなったかもしれないこと、アカデミアの世界から政策アドバイザーに軸を移され、ハイプレッシャーだと予想された安倍政権下での仕事が実は助けになっていたことなど驚きのストーリーが語られるでしょう。また、精神科の入院病棟での他の患者さんや医師、看護師たちとの交わりは生き生きとドラマに満ちていて、読者の方々の精神科へのイメージをいい意味で裏切ってくれるかもしれません。もちろん一番大切なお話は浜田さんご自身の闘病の実体験、そして息子さんへの思いと愛です。

 本書のタイトルは「うつを生きる」ですが、本書を通じて人生を生きるとはどういうことなのか、という普遍的な問いをみなさんと深めていけたら幸いです。

「はじめに 精神科医と患者の対話」より