コケ植物「シントリキア・カニネルウィス」は火星の環境でも生存することが判明
「火星」は地球以外の天体へ人類が入植する候補地として長年注目されています。しかし、現在の火星の環境はあまりにも過酷であるため、火星の環境を変える「テラフォーミング」を行うことが検討されています。もしも早い段階の過酷な環境でも生存する植物があれば、テラフォーミングの初動を後押しすることになるでしょう。
中国科学院のXiaoshuang Li氏などの研究チームは、砂漠や極地などの厳しい環境に生息するコケ植物の1種「シントリキア・カニネルウィス (Syntrichia caninervis)」を過酷な環境にさらす耐久実験を行いました。その結果、乾燥したシントリキア・カニネルウィスは、火星を再現した実験環境に7日間さらした後でも生存しただけでなく、水を与えれば30日かけて元通りに成長することが判明しました。これは一部の微生物やクマムシを凌駕するほどであり、植物としては並外れた耐久力です。
地球でも生態系の基盤として重要な役割を果たしていることを考慮すれば、火星のテラフォーミングで最初にコケ植物の繁殖が試みられる可能性は十分に考えられます。
■火星のテラフォーミングに生物は使えるか?
「火星」は将来的に人類が地球以外の天体に入植する有力な候補地として注目されています。しかし、平均気温マイナス55℃、二酸化炭素を主成分とする地球の約0.75%の気圧しかない薄い大気、極度に乾燥した地面、宇宙から強い紫外線や放射線が降り注ぐ現在の火星の環境は、人類が生存していくにはあまりに過酷すぎます。入植の初期には生存可能な環境を維持する基地で生活することが考えられますが、それではごく一握りの人口しか維持できません。
そこで、火星の環境を改変し、地球のように生身でも生存できるような環境を人工的に作り出す「テラフォーミング」の実施が検討されています。現在ではまだ構想段階であるものの、テラフォーミングに関連する科学や技術の研究は火星への入植だけでなく、地球における過酷な環境への対応や、大きな社会問題となっている地球温暖化や気候変動の理解や対策にもつながるため、研究が進められています。
テラフォーミングを行うにあたっては、合成した温室効果ガスを放出するなどの人工的なプロセスと同時に、生物の力を借りることも検討されています。地球では、ほとんどの生物が死滅してしまうような環境でも生存する、驚くほど強靭な生物がたくさん見つかっています。その中には、現在の火星の環境でも生存が可能なのではないかと考えられている生物もいます。
真正細菌、真菌、藻類、地衣類などに、火星の環境をシミュレーションした実験環境にさらすことで、実際に生存可能かどうかを確かめられた生物もいくつかいます。しかしこれまで、植物についてはあまり研究が進んでいませんでした。植物は光合成によって二酸化炭素を吸収し、酸素を放出するなど、環境を大きく変化させる力を持っているだけでなく、光合成の効率も藻類や地衣類よりも上であるという特徴があります。しかし、植物の胞子についてのわずかな耐久実験は行われたことがあるものの、植物そのものを対象にした実験はなかったのです。植物はかなり複雑な生物であり、環境に対する耐性が藻類や地衣類と比べても高くはないと考えられることがその理由です。
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■コケ植物「シントリキア・カニネルウィス」は水分の98%を失っても死なない
今回の研究を行ったLi氏らが注目したのはコケ植物です。道路の縁石やブロック塀などに繁茂しているのを見かけるように、コケは他の植物が生えることのできない環境にも耐えることができます。コケは砂漠、高山、極地のような非常に過酷な環境にも進出していますが、このような環境は部分的ながらも火星に似ています。このため、コケの中に火星の環境でも生きていける種がいてもおかしくはありません。
Li氏らは、マゴケ綱センボンゴケ目に属するコケ植物「シントリキア・カニネルウィス」に着目し、実験を行いました。このコケはグルバンテュンギュト砂漠、パミール高原、南極半島のような、極度に低温で乾燥した環境に適応して繁茂しています。その耐久力は高く、例えば乾燥によって98%以上の水分を失っても死なないだけでなく、水を与えてから2秒後には光合成を再開します。また、雪や氷の下でも光合成を続ける生態や、乾燥時に葉を重ねることで紫外線のダメージを抑える反応など、過酷な環境に適応するための工夫がいくつも見られます。
Li氏らは、シントリキア・カニネルウィスがどの程度の耐久力を有するのかを調べるために、いくつかの実験を行いました。実験は水分を含んだままの標本と、水分量が2%以下になるまで乾燥させた標本とを比較する形で行われ、その環境に耐えたかどうかは生育条件を整えた後の最大60日間に新しい枝から葉を生やすかによって判断されました。
最初の低温実験では、マイナス80℃の超低温冷蔵庫に3年間または5年間入れる実験と、マイナス196℃の液体窒素に15日間または30日間漬ける実験が行われました。その結果、乾燥させた標本はどの実験条件にも耐えて、新しい枝と葉を再生させました。枝や葉の再生率は、何もしていない標本の90%以上に達します。一方、水分を含んだ標本では生存率や成長率が低下したものの、それでもマイナス80℃なら3年間、マイナス196℃なら15日間さらされても一部は生き残ることが分かりました。
次に行われた放射線照射実験では、ガンマ線を最小500グレイ(※)、最大1万6000グレイの6段階の強さで照射し、生き残るかどうかが調べられました。人間の場合、ガンマ線の致死率は5グレイで約50%、10グレイでほぼ100%です。それに対し、乾燥させたシントリキア・カニネルウィスは4000グレイでも約70%が生存し、8000グレイ以上では全滅することが分かりました。この結果から、約5000グレイの照射量でも半数が生存すると推定されています。一方、水分を含んだままのシントリキア・カニネルウィスにも照射実験を行ったところ、乾燥状態の時よりも耐性が落ちるとはいえ、それでも半数が生き残る照射量は2000グレイに達しました。
今回の実験で乾燥させたシントリキア・カニネルウィスの生存が確認された最大の照射量である4000グレイでは、葉が黄色く変色するような明確な被曝の影響が観察されたにも関わらず大部分が生存しており、注目に値します。また、500グレイの照射量ではガンマ線を照射していない標本と比べてむしろ成長率が高くなるという、興味深い結果が得られました。
※…放射線量の単位の1つで、放射線によって与えられるエネルギー量に基づきます。
■シントリキア・カニネルウィスは火星表面の環境でも生存することが判明
これらの驚くべき耐性から、Li氏らはシントリキア・カニネルウィスは火星でも生存できるのではないかと考え、火星を再現した環境にさらす実験を行いました。実験では気温とその変化、大気組成と気圧、紫外線の照射量が再現され、乾燥させた標本が1〜7日間さらされました。その結果、最長の7日間さらされた標本であっても、何もしていない標本と同じ状態に30日間かけて再生することが分かりました。このことは、通常の2倍程度の時間をかけて元通りに成長したことを意味します。また、水分を含んだままの標本は、1日間さらされても、約4分の1は生存することが分かりました。
端的に言えば、シントリキア・カニネルウィスは火星表面でも生存可能な植物であるということになります。植物が生物としてかなり複雑であることを考えれば、この実験結果は驚きです。
もしも火星でテラフォーミングが行われるとすれば、シントリキア・カニネルウィスのようなコケ植物を地表に植えることが真剣に検討されるかもしれません。コケ植物は「バイオクラスト」と呼ばれる植物と土壌粒子の複合体を形成します。バイオクラストは風で飛ばされないように土壌を保持し、水分をよく蓄えるため、コケ植物だけでなく藻類や線虫のような他の生物の生存も支えます。バイオクラストは砂漠のような乾燥地域では非常に重要な存在であり、 “地球の皮膚” と形容されるほどです。このため、火星のテラフォーミングではコケ植物が “火星の皮膚” として活用される可能性が十分に考えられます。
Li氏らは、将来シントリキア・カニネルウィスを月や火星に持ち込み、定着や生育の実験が行われることを期待しています。
Source
Xiaoshuang Li, et al. “The extremotolerant desert moss Syntrichia caninervis is a promising pioneer plant for colonizing extraterrestrial environments”. (The Innovacion)Kristopher Benke. “This desert moss has the potential to grow on Mars”. (Cell Press) (EurekAlert!)
文/彩恵りり 編集/sorae編集部