18-19シーズンはついに欧州制覇。クロップが欧州の頂点に立った瞬間だ photo/Getty Images

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 ユルゲン・クロップは2015-16のシーズン序盤にリヴァプールの監督に就任した。第8節から前任者のブレンダン・ロジャーズからチームを引き継いだもので、簡単なミッションではなかった。しかし、クロップとリヴァプールのそこからの9年間は、KOP(リヴァプールファンの愛称)だけではなく世界のサッカーファンを魅了した。

 17-18シーズンにモハメド・サラーを獲得し、CLで決勝に進出(準優勝)。18-19はプレミアリーグでマンチェスター・シティとデッドヒートを演じて2位に食い込み、CLでは14年ぶりに優勝してみせた。

 サラー、サディオ・マネ、ロベルト・フィルミーノの“フロントスリー”は、サッカー史に残る得点力を誇り、プレミアやCLで猛威を振るった。19-20には30年ぶりにプレミアを制覇!  低迷していた古豪を復活させ、一時代を築いたクロップの9年間を振り返る。

途中就任の1年目は8位 2年目も人材不足だった

 各選手が攻守両面でインテンシティの高さを維持し、球際に鋭く、素早く仕掛ける。代名詞であるゲーゲンプレスをチームに植え付けるには、ある程度の時間がかかる。クロップは以前に指揮した2チーム、マインツとドルトムントでもすぐに結果を出していたわけではなかった。

 リヴァプールでも戦術の浸透に多少の時間がかかった。2015-16シーズンの第9節から指揮官となり、最初の2試合はトッテナム、サウサンプトンに引分けという船出だった。それでも、新たな指揮官に鼓舞されるなか運動量が増しており、方向性が変化したのは明らかだった。

 チェルシーに3-1、マンCに4-1で勝利するなど、前方へ仕掛ける守備がハマったら相手を駆逐する得点力を見せた試合があった。一方で、ワトフォードに0-3で完敗するなど前がかりになり過ぎて裏を取られ、失点を重ねる試合もあった。簡単に言えば不安定だった。

 監督就任1年目は既存の選手で戦わなければならず、この状態が大きく好転することはなかった。クロップのスタイルは中盤、前線に献身的なハードワークが求められるが、期待されたクリスティアン・ベンテケの調子があがらず、ダニエル・スタリッジも負傷で戦線離脱する期間がありトップを固定できず。中盤も同じで多くの選手がピッチに立ったがチーム力は熟成するには至らず、初年度は8位に終わっている。

 16-17はサディオ・マネ、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、ジョエル・マティプなどが加入し、クロップの志向するサッカーが明確にピッチで表現されるようになっていった。ワイナルドゥム、アダム・ララーナがインサイドハーフを務め、強度の高いゲーゲンプレスでボールを奪う。次の瞬間、守備から攻撃へと素早くトランジションし、フィルミーノやマネがトップスピードでゴールに迫る。

 相手陣内でボールをロストしたときこそがチャンスで、各選手にすぐに奪い返す意識があり、実際に即時奪回して攻撃を畳みかける。前年やられたワトフォードを6-1で下せば、マンCとは1勝1分。1年目より2年目と、確実に完成度を増していた。

 ただ、最終ラインにはまだ不安があり、人材不足でジェイムズ・ミルナーが左サイドバックを務めていた。右サイドバックはナサニエル・クラインで、このときまだ18歳だったトレント・アレクサンダー・アーノルドは2試合に先発したに過ぎなかった。センターバックもマティプは安定していたが、その相棒がいない状態だった。

 良質な選手が揃っていないことで、チームのパフォーマンスにムラがあってコンスタントに勝点を積み上げられない。とくに、このシーズンは1月、2月に苦戦し、7試合1勝3分3敗と失速した。それでも、3月以降を1敗で乗り切り、最終的に4位でシーズンを終えている。方向性に間違いはなく、人材不足のポジションに補強が必要だったのである。

継続した強化&的確な補強で4年目に欧州制覇を達成

 クロップがリヴァプールに来て3年目の17-18は、ブレない基礎の上にいよいよ良質な資材で建造をはじめた1年となった。フィルジル・ファン・ダイク、モハメド・サラー、アンドリュー・ロバートソン、アレックス・オックスレイド・チェンバレン。いずれもこのシーズンに加わった選手たちで、こうした即戦力の補強によってゲーゲンプレスはいよいよ精度を増していった。

 とくに大きかったのは冬の移籍期間に獲得したファン・ダイクで、加入するとすぐにフィットし、後方からチームを支える存在となった。最終ラインは右からアレクサンダー・アーノルド、マティプ、ファン・ダイク、ロバートソン。攻撃力を兼ね備えた4名が揃ったのは、このシーズンからだった。

 さらには、前線である。フィルミーノを頂点に、右にサラー、左にマネ。爆発的な得点力を持つ“フロントスリー”が揃ったのもこのシーズンで、クロップ率いるリヴァプールはプレミアだけではなく、CLでも相手を圧倒する戦いを見せるようになっていった。

 フィルミーノ、サラー、マネは意思の疎通が取れていて、フィルミーノが左右に流れたり中盤まで下がったりしたときはそのスペースにサラーやマネが走り込み、スペースを効果的に使う。ここにアレクサンダー・アーノルドやロバートソンがサイドバックの概念を一新する動きでからむことで、次から次に選手が押し寄せ、二次攻撃、三次攻撃を仕掛けるサッカーをピッチで体現していた。

 17-18のリヴァプールはサラーが32ゴールで得点王になり、フィルミーノ(15得点)、マネ(10得点)も二桁得点を達成。プレミアで2年連続4位となり、CLでも決勝に進出した。レアル・マドリードに敗れて戴冠はならなかったが、すでにクロップの思い描くチームになっており、優勝まであと一歩のところまできていた。

 18-19はマンCと激しい優勝争いを演じた。シーズンを通じて、プレミアで敗れたのはそのマンCに1-2で競り負けた1敗のみ。30勝7分1敗で勝点97というハイスコアを記録した。他のシーズンであれば優勝に匹敵する数字だったが、優勝したマンCにわずか1ポイント及ばず2位となった。

 選手の顔ぶれは前年と大きく変わらず、とくに最終ラインの4人とフロントスリーはほぼ固定してシーズンを戦い抜いた。サラー、マネは仲良く22ゴールで並び、得点王を分け合った。フィルミーノは12ゴールで4年連続二桁得点を達成している。

 変化があったのはまずGKで、足元の技術力が高いアリソン・ベッカーが加わった。鋭い反応でリーグトップのシュートセーブ率を記録しただけでなく、攻撃にも良い効果をもたらした。アリソンはプレイエリアが広く、足元の技術力も高い。正確なフィードでチャンスを生み出すことができるため、アリソンがボールを持った瞬間にフロントスリーが前方に走り、そこにピタッとロングボールが入るシーンも見られるようになった。

 中盤にはファビーニョ、ナビ・ケイタ、ジェルダン・シャキリが補強され、ターンオーバーすることが可能に。それまではジョーダン・ヘンダーソン、ワイナルドゥム、ミルナーというセットが多かったところに、この3名が入ったことで強度を落とすことなくシーズンを戦い抜けるようになったのである。

 システムにも変化が見られ、[4-3-3]だけではなく[4-2-3-1]を選択する試合もあった。サラーの1トップ、2列目にシャキリ、フィルミーノ、マネを並べる布陣である。自陣に守備ブロックを作る相手に対して、より厚みのある攻撃を仕掛けるためのオプションだった。

 クロップが監督になってから4年が経ち、すでに機は熟していた。プレミア制覇こそならなかったが、CLでは2年連続決勝に進出し、トッテナムを2-0で下して優勝を飾った。継続した強化、的確な補強のすえに掴み取った14年ぶりの欧州制覇だった。

見どころ満載だった5年目 30年ぶりにプレミア制覇

 クロップは自身が志向するゲーゲンプレスによる強度の高いスタイルをしばしば「ヘヴィ・メタル・フットボール」と表現したが、4年目に完成形となってCL制覇を達成。ほぼメンバーが変わらなかった5年目の19-20は攻守両面でさらに連携が磨かれ、各選手がよりオートマチックに素早く動けるようになり、開幕から白星を積み重ねた。

 ノリッジに4-1で快勝すると、8連勝で序盤からガッチリと首位をキープ。12節マンC戦にもファビーニョのミドルで先制し、3-1で勝利してさらに勢いを増した。プレミアにリヴァプールの攻撃を防げるチームはなく、27節を終えてなんと26勝1分け。28節ワトフォードに0-3で敗れて一休みするまで一気に駆け抜けた。

 冬の移籍期間にはサラー、マネ、フィルミーノの負担を軽減するべく南野拓実を獲得し、バックアップを充実させた。CLではラウンド16でアトレティコ・マドリードに敗れ、FA杯は5回戦、リーグ杯は準々決勝で敗退したが、プレミアでは首位の座を一度も明け渡さず。史上最速となる7節を残して優勝を決めてみせた。

 大勢が決した終盤戦に黒星があり、最終的な成績は32勝3分3敗で勝点99。歴代2位となる勝点、歴代最多タイとなる勝数という記録的な数字を残し、実に30年ぶりの戴冠となった。クロップ体制になって4年目、5年目のリヴァプールは、各選手が迷いなく動き、連携も取れていて簡単にゴールを奪う記憶にも強く残るチームだった。

 得点王こそ逃したが、サラーはチーム最多の19得点に加えて10アシスト。マネが18得点7アシスト、フィルミーノも9得点8アシストとフロントスリーの得点力は相変わらず。特筆すべきは両サイドバックのアシスト数で、ロバートソンが12、アレクサンダー・アーノルドが13を記録した。

 中盤では加入2年目のファビーニョが初年度よりもチームに馴染み、存在感を発揮。素早いトランジション、正解なパスワークでヘヴィ・メタル・フットボールを支え、チームを高みへと押し上げた。個性的な選手たちをまとめた主将のヘンダーソンのリーダーシップ、最終ラインに君臨したファン・ダイクの抜群の安定感……。クロップが作り上げた19-20のリヴァプールは、随所に見どころがあった。

ケガ人続出の6年目を経て7年目に国内2冠を達成

 20-21はケガ人が多発した。とくに痛かったのは、センターバックが総崩れとなったことだ。ファン・ダイクが5節エヴァートン戦でヒザの十字じん帯を断裂し、マティプ、ジョー・ゴメスも負傷で戦線離脱があり、主力センターバック3名を欠いて戦わなければならなかった。

 ファビーニョやときにヘンダーソンを最終ラインに下げて起用したが、相手を駆逐するヘヴィ・メタル・フットボールの強度を維持できず。22節から25節にかけて4連敗を喫するなど、パフォーマンスが低下した。

 コロナ禍でもあり、シーズン中に感染する選手もいた。各チーム同じ条件ではあったが、ケガ人が多いところにコロナウイルスである。CLは準々決勝敗退、FA杯、リーグ杯はともに4回戦で敗れた。それでも、この年に加入したディオゴ・ジョタの台頭などでプレミアでは終盤戦に10試合負けなしで順位を上げ、3位に食い込んでCL出場権は確保した。

 頂点に立った翌年に沈んだリヴァプールだったが、クロップ体制7年目の21-22にふたたび浮上した。一度たしかに築いた土台は崩れておらず、ファン・ダイク、マティプなどケガ人が戻り、ジョタ、さらには新たに補強されたルイス・ディアスなどが躍動して強度を取り戻した。圧巻だったのは9節マンU戦で、敵地でゴールラッシュをみせて5-0で大勝した。当時の両雄のチーム状態を如実に表わす結果である。

 シーズンを通じてロバートソン、アレクサンダー・アーノルドの両サイドバックがふたたび二桁アシストを成し遂げ、サラー23得点、マネ16得点。これに続いたのが加入2年目のジョタで、顔ぶれは変わったがフロントスリーの破壊力は変わらなかった。

 プレミアではまたもマンCと優勝争いを演じ、勝点1差で2位となった。敗れたのはわずかに2試合で、28勝8分2敗で勝点92である。マンCとの直接対決は2分けで、他チームとの対戦で取りこぼしがなければ……というシーズンだった。

 なにしろ、FA杯、リーグ杯の決勝ではともにチェルシーをPK戦のすえに下し、2冠を達成。CLでも決勝に進出している(Rマドリードに敗れて準優勝)。21-22はあと少しで4冠の可能性があったハイパフォーマンスを維持した1年となった。

ラストシーズンに遠藤が加入 リーグ杯優勝で指揮官を送り出す

 継続は力なりという言葉がある一方で、継続は停滞を招くという考え方もある。監督就任8年目となる22-23はまたもケガ人が続出し、自分たちのサッカーが思うようにできなかった。高品質なオプションもなく、苦しい戦いを続けた。CLはラウンド16、FA杯とリーグ杯はともに4回戦で敗退。プレミアでもシーズン途中から指揮を執った初年度を除き、もっとも低い5位でシーズンを終えた。

 前線ではマネが移籍し、ジョタ、ルイス・ディアスが負傷により離脱した時期があった。期待された新加入のダルウィン・ヌニェスはチームそのものが精彩を欠くため、自身も輝けず。苦しいチームを引き上げるほどの爆発力な個人能力の高さもなかった。

 中盤ではファビーニョ、ヘンダーソン、ミルナー、チアゴ・アルカンタラといった経験ある選手たちが健闘したが、スピード&パワーを含む強度の高さが求められるなかトップコンディションを維持できない。クロップは22歳のカーティス・ジョーンズ、20歳のハーヴェイ・エリオット、18歳のステファン・バイチェティッチなどをピッチに送り出したが、すぐに成果は出なかった。

 前線、中盤の質の低下はゲーゲンプレスの機能不全を意味し、そうなると最終ラインもきつい。アレクサンダー・アーノルドは守備で拙いプレイが目立ち、評価を下げることに。冬の移籍期間にコーディ・ガクポを獲得したが、ヌニェスと同じくチーム状況を一変するようなスーパーな力はなく、苦戦するチームのなかで自身も苦戦した。

 こうした結果を受けて、いよいよ迎えた9年目、23-24のシーズン前には劇的な動きがあった。フィルミーノ、ヘンダーソン、ミルナー、ファビーニョといった一時代を築いた選手たちが揃って退団。中盤は総入れ替えとなり、下馬評は決して高くなかった。

 それでも、クロップのスタイルはチームにしっかりと植え付けられており、シーズンがはじまると低迷した前年度を上回る質の高いパフォーマンスでKOPを落胆させなかった。新戦力であるアレクシス・マクアリスター、ドミニク・ショボスライがすぐにフィットし、クロップのスタイルをピッチで体現した。

 6番のポジション、アンカーの人材を探し求めるなか遠藤航を獲得。これで23-24バージョンのリヴァプールが完成した。アンカーに遠藤、インサイドハーフにマクアリスターとショボスライ。この中盤は攻守両面で強度が高く、7節トッテナム戦に敗れただけで前半戦をわずか1敗で乗り切った。

 ただ、クロップはもうリヴァプールで長い年月を過ごしていた。リーグ杯で決勝進出を決めた3日後の2024年1月26日にシーズン終了後に監督を退任することが発表された。本人が寄せたメッセージのなかには、「エネルギーがなくなってきてしまったんだ」という一文があった。

 去り行く指揮官に向けて、選手たちはリーグ杯のタイトルをもたらした。FA杯、EL、プレミアも優勝を狙える位置にいて、4冠も見据えていた。しかし、絶対的なエースだったサラーに以前のような決定力はなく、ヌニェス、ルイス・ディアス、ガクポも決めてほしいところで決められない。

 FA杯準々決勝は延長戦のすえにマンUに競り負け、ELではアタランタに完敗を喫した。残されたのはプレミアのみとなったが、マンC、アーセナルと三つ巴の争いになるなか、終盤戦になって失速して優勝争いから離脱した。

 シーズンは異なるが、クロップはリヴァプールでの9年間でプレミア、FA杯、リーグ杯、CLに優勝を飾った。情熱を持って選手を指導し、ときにサポーターと一緒になってチャントを歌い、さらには毎年のようにチームをタイトル獲得へ導いたクロップは、その陽気なキャラクターでKOPから厚く信頼され、愛されてもいた。

 もう、来シーズンはクロップが率いるリヴァプールではない。先を見据えればどんなチームになるか楽しみだが、過去を振り返ればワクワクさせてもらった思い出がよみがえる。この9年間のリヴァプールは、記録にも記憶にも残るチームだった。

文/飯塚 健司

※電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)第294号、6月15日配信の記事より転載